非加入の選択望む介護保険
☆(1999.10.22) 介護保険に実施について、 新聞やテレビなどで盛んに報道されている。しかし、いまだ 全体像を理解しかねている。 一番気になるのが要介護認定調査である。今までの報道から判断すれば認定を受けられ るのは、相当な重症者に限られているように見受けられる。 また認定されたとしても、一定割合の自己負担が必要で、これが払えないため辞退する 場合も有り得ると解説されている。 それであれば、家族に負担はかかるが初めから保険による介護を断念し、保険非加入の 選択は出来ないのだろうか。そうすれば、受ける見込みもない介護に多額の保険料を支払 う必要もなく、少額所得者は助かるのだが。 また介護の問題は民間の保険会社でも十分対応できると思われるのに、なぜ市町村主管 の強制保険としたのか疑問に思う。始業繰り上げ時計そのまま
☆(1999.11.22) 一月二十九日気流欄に、サマータイム制は政府、産業界の思惑より生活の知恵だった。 と昔の生活が紹介されています。 竹下恵美子さんは、生活のリズムが狂い、疲れるだけだった。とこだま欄で訴えておら れます。 昔海軍には「夏期日課」の制度があり、朝の「総員起こし」から夜の「巡検」までの日課 時限を繰り上げていました。この「夏期日課」を官公庁をはじめ一般企業が採用し、時計 の針はそのままにして始業や開店時間を繰り上げたらどうでしょうか。 これも、全国一律ではなく、北海道と九州の時間差や、各人各様の生活リズムを考慮し、 各企業や団体が最も自分たちに適合した日課を法律によらず自分で決めるのです。 ここで問題は、通勤時間の変動に伴う交通機関の対策でしょう。臨時便などで対応でき ればよいのですが、ダイヤ改定は必至と思われます。各交通機関の地域に密着した「夏期 ダイヤ」の設定と円滑な移行が夏時間を成功させる鍵だと思います。 全国一斉に時計の針を進めて混乱を起こすより、できるところから始められるこの方法 が、「夏時間」普及の近道だと思います。ガルーダ事故機長判断理解
☆(1998.2.17) 一九九六年六月のガルーダ航空機の事故は、機長の判断ミスとして処理された。確かに 全ての責任が機長にあるのは当然であり、弁解の余地はない。だが、私は元パイロットと して彼の判断を理解する。もし同じ状況なら私も離陸を断念する。 離陸時の事故は殆ど整備に問題があり、着陸時の事故は大半がパイロットに問題がある ことは周知のことである。運行マニュアルではV1に達していれば、あの状況で離陸する よう求めている。 これは一つのエンジンが故障しても他の二つが完全に作動することが前提である。とこ ろが、パイロットの心理としては、一つが悪ければ他のもと思うのは当然である。それが 証拠に、ある機体に欠陥があれば、同じ機種全機を飛行停止にして同じ箇所を点検する。 ガルーダ機の場合も一基のエンジンが故障すれば、他のエンジンに不安をもっても不思 議ではない。あのまま離陸して、墜落全員死亡の事故は百パーセントなかったと断言でき るなら別だが、私は不幸中の幸いであったと思っている。だから、ロナルド機長の処置を 理解してあげたい。地球温暖化を本気で防ごう
★(1997.12.5) 地球温暖化防止が叫ばれている。我々は温暖化防止に地球人として真剣に取り組む必要 がある。だが、その影響が眼前に見えないため切迫感がなく、ややもすると掛け声だけに 終わろうとしている。 現代を快適に過ごすためには未来のことなど我関せずの風潮が蔓延している。電力消費 一つをみても、ネオン広告をはじめ、屋外自動販売機の過度な照明。それに、クリスマス ツリーのイルミネーションなど、数えあげれば際限がない。 原因はこれらの行為に対する罪悪感がないことである。だが、温暖化は確実に進んでい る。未来のために辛抱することは美徳であることを、皆で認識したいものである。国歌君が代の歌詞について
★(1997.9.18) 君が代の歌詞についての意見が、 こだま欄に掲載されていました。平安朝以後今日にい たるまで、政治形態の変遷により、意味の解釈や使われ方も変わってきたと思います。 そして近世国家の誕生とともに、国歌として歌い継がれてまいりました。そして敗戦。 憲法改正により、国民主権国家となりました。新憲法の第一条に「天皇は日本国の象徴で あり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基ずく」 とあります。 この憲法はその後半世紀改正されておりません。ならば、国民統合の象徴である天皇を 賛美する歌詞が、国歌としてふさわしくないとは思われません。もちろんすべての国民が 納得できる国民主権国にふさわしい歌詞がれば別ですが、今のところ君が代に代わる歌詞 は見当たりません。命の大切さをもっと考えて
☆(1997.6.10) またまた若い命が失われました。いくら物余りの世でも、命まで粗末にするとはどうい うことでしょう。我々が十七〜八歳のころは「全機特攻」の至上命令で、同期の友は次々 と「体当たり攻撃」に出撃しました。 生きたくても生きられない時代があったのです。この世の未練を断ち切り、父母の面影を 脳裏に刻みながら散華されたのです。 ご遺族のお話しもお聞きしました。いくら国のためとはいっても、息子の死を悲しまない 親はいません。あの当時に比べれば、何と平和で恵まれた世の中でしょう。たった一つの命 を粗末にして、 親を悲しませないでください。 かけがえのない命を捨てるほどの理由があるのですか。もう一度考え直してください。今 は苦しくても、 きっと輝かしい未来が開けるはずです。 目をつむると、若くして戦死した同期生の童顔が浮かびます。だが、彼らとはもう話すこ ともできないのです。目次へ戻る [AOZORANOHATENI]