自衛隊こぼれ話

印刷年賀状でも安堵の気持
 ★ (2000.12.10) こだま欄で年賀状に対する意見が紹介された。自筆か印刷しても必ず添え書きするとの ご意見が主流である。確かにご尤もなご意見で反論の余地はない。だが、自分の年賀状が 手書きだからといって、貰った印刷年賀状を、味気ない、冷たいなどと非難するのはいか がなものだろうか。  手書きしたいと思っても、忙しくて宛名書きが精一杯という人もいる。私の年賀状は、 大半が昔の戦友や小・中学校の同窓生からである。たとえ印刷だけのものであっても、無 事に一年を生き延び、新しい年を迎えることができたのだと、安堵の気持ちで祝福する。  念のため今年の年賀状を調べた。自筆二十八通。印刷に添え書きしたもの四十三通。印 刷だけのもの百十五通(写真等を含む)。喪中欠礼六通で、印刷だけの年賀状が圧倒的多 数であった。皆それぞれ忙しく働いているのだと思うと、来年の正月が楽しみである。
  「福岡空港」の存続強く望む
  ☆(2000.11.4) 福岡空港の離着陸回数が、二〇〇三年には限界を迎える。その代替空港として、新宮・ 津屋崎沖の玄海東地区に新空港を建設する構想が進められていると報道された。  利便性から考えると、現在の福岡空港を存続する方向で再検討できないものだろうか。 問題の離着陸回数を増やさないため、乗り入れを旅客機だけに制限し、貨物機は近隣の佐 賀空港や北九州空港を利用する。理由は航空需要の増加は旅客よりも、貨物の方が多いか らである。  貨物の増加のため、旅客の利便性を犠牲にする必要はないと思う。貨物を他の空港に移 すことで、滑走路の延長や道路増設などの工事が必要になると思われるが、海を埋め立て ての空港建設に比較すれば、遥かに安い費用で期間も短くて済むはずである。  費用以外にもいろいろな問題があると思うが、便利のよい現在の福岡空港を存続するた め、あらゆる方法をご検討願いたい。
米国の反捕鯨裏に農業戦略
 ☆(2000.9.28) 二十一日のデスク日記に、米国の捕鯨反対には合点がいかない。と書かれていた。商業 捕鯨が中止され、われわれ庶民が鯨を食べなくなってから久しい。  米国が捕鯨に反対するのは、環境とか野蛮だとかの理由の裏に隠された国家戦略がある。 それは、農業保護の一言に尽きる。我が国の畜産や養鶏業者は、殆どの穀物飼料を米国か らの輸入に頼っている。  日本人が鯨を食べれば、畜産品の需要が減り、米国の穀物飼料の輸出に影響ありと懸念 して、捕鯨反対の先頭に立っているのである。  農産物の輸出国として当然の戦略である。それに対して、我が国の農業政策は寒心に堪 えない。減反政策にはじまり豊作といって「青田刈り」するようでは、将来に希望はない。 なぜ収穫して飼料にしたり食料援助に回すなどの、有効利用を考えないのか。  戦後の誤った農業政策が、農業の衰退と食料自給率の低下につながったことを反省し、 国家百年の大計を熱望する。
  後世に残そう特攻隊の事績
☆(2000.8.12) 広島や長崎の原爆慰霊の行事は毎年報道される。 しかし、特攻隊の事績が報道されるこ とはない。戦争中は畏敬の念で迎えられた特攻隊も、戦後は「犬死に」としか評価されず、 多くの同期生を沖縄特攻で亡くした私は悔しい思いをしてきた。    過日、ある大学の先生から、学生に特攻隊の体験を話してほしいとの依頼を受けた。だ が、今の学生に特攻隊員の心境が理解できるのだろうか。  ある学生はハワイ旅行でアリゾナ記念館を見て、初めて日本軍が真珠湾を攻撃した事を 知ったそうである。また他の学生は、太平洋戦争と大東亜戦争とは別の戦争だと思ってい たという。  今の若者は教えられないから知らないのである。悲劇は語り継がなければならない。戦 後五十五年を経て、戦争も風化した。その一方で、特攻隊員の心情やその事績に、強い関 心を寄せられる、大勢の若者がいることを知り、 意を強くした次第である。  今年もまた八月十五日がやってくる。
 岩山先生はご自身も子供の頃、混乱の中国から引き揚げられた戦争体験者である。先生 からの要請で「特攻隊」時代の体験を学生に話した。これを先生が、上記のように新聞に 投稿されたのである。ところがその時、新聞社とひと悶着あったそうである。それは先生 の原稿では「大東亜戦争」と書いていたのに、新聞社は何の説明もなく「太平洋戦争」と 書き改められたからである。凛とした生前のお姿を偲び、ご冥福をお祈り申しあげます。
  零細企業に無縁な黄金週間
☆ (2000,4,30) 今年もまたゴールデンウイークがやってくる。毎年この時期になると、海外旅行だ  安近短だ  五連休だ  九連休だ  と、日本中がレジャーを満喫しているような報道 がなされる。しかしその陰で、休みもとれず懸命に働いている方々のことはあまり報道さ れない。  ゴールデンウイークでレジャーを楽しめる者と、連休などに関係なく働く者との比率は どうなっているのだろうか。恐らく恩恵を受けている者は二割にも満たないであろう。  ゴールデンウイークでも休めないのは、交通機関・治安消防関係・医療介護関係・レジ ャー関連施設及び宿泊施設・小売業その他のサービス業に従事している方々である。  毎年繰り返されるゴールデンウイークの恩恵を確実に受けられるのは、主に公務員や大 手企業の社員である。それに反し、代替休日にも恵まれずに働く零細企業の従業員が大勢 いることを忘れないで欲しい。
看護婦追及より抜本対策を
☆(2000.6.3) ある大学病院で、医療事故により幼い命が失われた。点滴用のチューブに誤って内服薬 や消毒薬などを注入した事故は、私の記憶にあるだけでも数件繰り返されている。  更に驚いたことには、幼児用のチューブは一種類しか市販されず、静脈点滴用も内服薬 用も同じだったという。事故の直接原因は看護婦の錯覚である。毎回看護婦の責任追及で 一件落着としている。しかし、事故の誘因である錯覚を起こしやすい医療器具の根本的な 改善は行われていない。  事故のあった病院が院内でできる対策を講ずるのは当然であるが、この際、 厚生省は全 国的な対策を検討すべきである。例えば点滴用のチューブや注射器に特定の色を指定し、 点滴用の薬剤の容器も同色とする。それ以外の器具や薬品にはこの色の使用を禁止する。  規制緩和が叫ばれる時代ではあるが、人命に拘わる問題についての規制は必要ではない だろうか。
  身近な危険に万全な対策を
☆(2000.4.7) 日本海沿岸に2万個もの不審なポリ容器が広範囲にわたって漂着したとの報道があった。 あれは単なる事故だったのか、それとも意図的に流されたものだったのか早晩解明される と思っていた。ところが、未だ続報が無いのは気掛かりである。  ポリ容器には強酸性の液体が入ったのもあったと報道されている。ある目的のため、毒 ガスや細菌が入れられていたら、日本海沿岸一帯はどんな騒動になっていただろうか。  前回の不審船問題も記憶に残るなかで、更に今回の騒ぎである。それも偶然の事故とは 思われない。ある日突然、日本海が死の海になったと騒いでも手遅れである。  関係当局者は早急に真相を解明して全容を公開し、前回の不審船の教訓も併せて、万全 な対策を講ずべきである。
   見当たらない 企業糾弾の声
☆(2000.3.20) ある企業で運動部が廃部された。残された部員がクラブ方式でのチーム存続を模索して いるとの報道があった。   捨て犬などの問題では、 「ペットを飼うのなら最後まで責任を持て」と飼い主に非難が 集中する。飼い主にしても可愛がっていたペットと別れるには、それなりの理由があるは ずである。だが、これを擁護する発言は聞かれない。また、捨て犬に同情して餌を与えて いる話も数多く聞かれる。  このように、遺棄されたペットに対する同情と、飼い主に対する非難の声は再三報道さ れる。ところが、企業の部活動切り捨てに対しては、不況によるやむを得ない処置である と企業の立場に理解を示し、部員に同情して企業を糾弾するような発言は見当たらない。  根本的には同じ構図と思われる問題に対し、この反応の違いはどこからくるのだろうか。
   他国の礼儀や慣習を学ぼう
☆(2000.1.28) 先日中国からの留学生の来訪を受けて懇談した。席を立ったあとに包みが残されている。 「あっ、忘れ物」と声をかけると「お土産です」との答えが返ってきた。  中国では贈答品を帰り際にさりげなく渡すのが一般的習慣だそうである。日本ではこれ 見よがしに真っ先に披露する。  食事の饗応を受ける際、日本では一口分残すのが礼儀とされている。「美味しいので、 腹一杯戴きました、もうこれ以上は入りません」という意味だそうである。  ところが中国では逆で、出された食べ物を残すのは失礼に当たるらしい。「不味いから 食べ残した」と解釈されるそうである。「美味しいので、全部戴きました」と残さず食べ るのが礼儀だという。  日本でも地方によっては食べ残さない風習のところもあると聞く。これらはほんの一例 に過ぎないが、それぞれの国にはそれぞれ独特の生活慣習や礼儀作法がある。  「郷に入っては郷に従え」との諺どおり、国際交流は、他国の慣習や礼儀作法を理解す ることから始まる。
目次へ戻る
[AOZORANOHATENI]