自衛隊こぼれ話

★印は不採用。


池田小学校建て替え目的は
★(2001.8.28)  池田小学校建て替え問題について、テレホンプラザで賛否が議論されていた。最終的 には児童の心に傷を残さないために、建て替えやむなしで落ち着いたようである。  ところが、二十七日に仮校舎で行われた二学期の始業式の報道をみると、建て替えの 目的は児童の「心のケア」とは別にあるように思われた。  まず、「事件を心に刻み……」という校長の挨拶。亡くなられた児童に対する黙祷。 各教室でのホームルームでは、犠牲者の机を同じ位置に置き、遺影や花を飾ったこと。  これらは、児童に事件を忘れさせるというより、事件の印象を刻み付けることを目的 としており、「心のケア」とは相反する行為である。  校舎建て替えの真の目的は、事件を体験した児童の為ではなく、事件によるイメージ ダウンの為、入学志望者の減少を恐れた学校当局の思惑によるものとしか考えられない。                            
靖国神社こそ英霊の御座所 
   ★(2001.8.15)     靖国神社に関していろいろな意見が噴出している。先日も「兵士たちの霊は、個々の 遺族の元に返してやるべきである。真の慰霊とは、国家がその死を収奪するのでなく、 安息の場所に戻してやることだと考える」とのご意見が紹介された。  多くの同期生を沖縄特攻で失った私には、私なりの意見がある。彼らは単なる事故死 や自殺ではない。国を護るという崇高な目的のために、わが身を犠牲者にしたのである。  ところが戦後、「犬死に」としか評価されなくなったのである。ご遺族の方は、お墓 を建立し、それぞれの宗教宗派による慰霊を行っている。だが、これとは別に国家とし て彼らに報いるのは当然だと思う。  「国やぶれみだれる御代となりしとも いつか香らん靖国の花」。これは、特攻で亡 くしたわが子を偲ぶ母親の和歌である。  「靖国の宮にみ魂は鎮まるも 折り折りかえれ故郷の山」。これは、特攻で戦死した 弟の墓碑に、姉上が刻んだ願いである。  英霊の御座所としては、靖国神社は最も相応しいところだと思う。
食べ残しせず感謝心掛けて
☆(2001.7.20) 「残さず食べるマナー大切に」との投稿が紹介されました。私も全く同じ意見です。 昨年一月に「他国の礼儀や慣習を学ぼう」との題で、食事の作法を紹介させていただき ましたが、基本的には同じことだと思います。 中国では「おいしいので、全部いただきました」と、残さず食べるのが礼儀で、残す のは「おいしくないから残した」として、失礼に当たるそうです。 日本では「おいしいので腹いっぱいいただきました。もうこれ以上は要りません」と、 一口分残すのが礼儀とされています。しかし、これはあくまで接待を受ける場合に、感 謝の気持ちを表す儀礼です。食堂で自分が注文したものを食べ残すのは、食べ物を粗末 に扱う典型で、礼儀以前の問題です。 農家育ちの私は、自分の腹具合によって、し好より適量なものを優先的に選択するよ うにして、決して食べ残さないように心掛けています。
情けの行方が分かる世間へ
★(2001.6.15)    「情けは人のためならず」の意味を誤解している人が49%と、文化庁から発表されまし た。これは、誤解というよりも、「情けは人のためならず、かけた情けが仇となり」とい う川柳との混同と思います。  かけた情けが我が身に帰るような美談は、最近聞いたことがありません。むしろ、かけ た情けが仇になるような話の方が多く聞かれます。  浮浪者が自立しようとしないのは、情けをかける人がいるからで、恵がなくなれば自分 で働く以外に方法がなくなります。子供の万引きを見つけても、その将来を考えて見過ご してやれば、世間を甘くみて次々に悪事を重ねるようになる。  最近の世情はこの川柳のように、恩を仇で返すような事件が多すぎます。「渡る世間は 鬼ばかり」でなく、「渡る世間に鬼はなし」の明るい世間に早くなってほしいと思います。     
パソコン習い実りある人生
      ☆(2001.5.25)   世はパソコンの時代となりました。年寄りがいまさらとも思いましたが、「八十の手習 い」と言う諺もありますので、早速手習いを始めました。  幸い知己を得て、手取り足取り、熱心な指導を受けております。そして念願のホームペ イジも開きました。  ところが驚いたことに、作成途中にもかかわらず、全国各地からたくさんの方々の意見 が寄せられてきました。パソコンの威力に圧倒されています。これに刺激され、ますます 練度の向上に励みたいと思っております。  「人生諦めが肝心」と言う諺もありますが、何事も諦めずに挑戦することの方が肝心だ と思い、今日も黙々とキーを叩き、マウスを握っています。そして限りある人生を、実り あるものにするよう心掛けていきたいと思います。     
昔を懐かしみドラマを追想
       ☆(2001.4.21)    小さな紙切れに数行の文字しか印刷されてない名刺だが、初対面に自己紹介する以外に も隠れた効用のあることを知った。  戦後復員して公務員を志した私は、昭和三十三年中間管理職に登用され、初めて名刺を 使用する身分になった。以後定年までの二十余年間、数度の転勤と配置転換で名刺の肩書 もその都度新しくなった。 さらに、定年後は小さな会社を設立し、名刺の使用量も極端に増加した。そしてこの度、 同業者に店舗を譲って隠退した。その間、いろいろな方々と名刺を交換した。手元に残さ れたこれらの名刺を、暇にまかせて整理しながら過去の追想に耽っている。  一枚の名刺にもドラマがある。その場限りのものや、長い交際のきっかけとなった出会 いなど、さまざまである。それぞれの過去を懐かしむとともに、肩書の無くなった自分の 名刺に、一抹の寂しさを感じている今日このごろである。     
   歴史は勝者により作られる
     ★(2001.4.9) 歴史教科書の検定で、他国から圧力を受けている。教科書の内容はさておき、教育に対 する他国の干渉は理不尽である。  古今東西、歴史は勝者によって作られてきた。一例として「大東亜戦争」の呼称がある。 これは、昭和十六年十二月十二日に閣議決定され、それ以降改廃されていない。だから、 国内法としては正式な呼称である。ところが、戦勝国の「太平洋戦争」が正式名称のよう にして使用されている。   事の善悪は別として、当時の我が国が「大東亜戦争」と呼称して戦争を遂行したことは、 歴史的事実で何人も否定できない。  経済的発展は目覚ましい我が国だが、北方領土は占領され、国内の主要基地には、外国 軍隊が我が物顔で駐留している。この現実を直視すれば、講和条約が締結されたにもかか わらず敗戦国そのままで、真の独立国には程遠い。  中国に「臥薪嘗胆」の古言がある。「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」真の独立を達 成するため、全国民が一丸となって対処すべき秋である。
  新福岡空港の建設は必要か
    ★ (2001.4.2) 仁川国際空港の開港を報道した記事の中に「アクセス不便、利用客は敬遠」とあった。 仁川国際空港は、空港へのアクセスが高速道路だけで、渋滞すれば二時間もかかるという。 同じことが、津屋崎沖に建設が計画されいる、新福岡空港にも当てはまるのではないだろ うか。    現在、都心から地下鉄と宮地岳線を乗り継いで、終点まで約五十分を要する。ここから 線路を延長するのか専用道路を建設するのか、いずれにしても一時間以上はかかる。現在 の福岡空港と比較して、利便性に劣った新空港の建設には疑問が残る。  問題は、限度に達した離着陸回数への対応だが、貨物便の乗り入れを制限し、離着陸に 余裕のある近隣空港へ回すことで、現福岡空港を存続できないだろうか。最近の航空需要 の増加は旅客よりも、貨物の方が著しい。    膨大な建設費用を必要とする海上空港を建設して移転するより、貨物機のため、近隣空 港の道路を整備する方が、遥かに安上がりと思う。
 戦闘機の装備はまだ必要だ
   ☆(2001.3.24) 先日のこだま欄で専守防衛の自衛隊に、戦闘能力が高く、価格も高い戦闘設備は全く不 要だとの投稿が紹介された。  軍隊など必要のない、ボーダレスでグローバルな平和が訪れることを切に願う。という 気持ちは理解できる。だが、その平和を得るためには努力が必要で、決して棚ぼたで得ら れるものではない。  日本海の不審船や拉致事件それにテポドンなど現実の問題。更に、今も世界各地で次々 に起こる地域紛争や民族間の争い。これらを冷静に分析すれば、自衛隊の戦闘設備の放棄 は時期尚早と思う。  昭和の初期に生まれた私の子供時代、雨戸はあっても、風雨を防ぐのが目的で、鍵など 掛けていなかった。ところが現在、鍵も掛けずに開けっ放しの家庭など見かけない。少々 堅固な錠前もピッキングと称する連中には無防備である。  自分の家は自分で守り、自分の国は自分たちで守るという決意と努力が必要だと痛切に 感する。
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