自衛隊こぼれ話
盃(さかずき)の作法について
昔、直方財務事務所に勤務していた時の話しです。
確か新入所員の歓迎会の席での出来事だったと思います。
一人の新入所員が、所長の前に畏まって座り、盃を差し出しました。ところが、
「何で俺が、お前の盃を受けにやいかんのか!」と叱責されました。
その新入所員は、所長のご機嫌をとるために折角盃を差し上げようとしたのに、何故叱られる
のか理解できない様子で、ただポカーンとしていました。
皆様は既にお分かりと思いますが、昔は殿様が家来に対して、
「今日の振る舞い見事であった、盃をとらすぞ」「ハハーッ ありがたき幸せに御座います」
となるわけで、盃を与えるのは殿様であって、家来ではありません。
やくざの世界では、親分から子分が盃を貰うのが常識です。一般社会でも、所長が所員から盃
を貰うことなど有り得ないのです。この基礎的な儀礼を欠いだために叱られたのです。
昔の田舎では、お祝いごとに親戚縁者が集まっての酒宴が行われることがあります。このお膳
の席では「長幼の序」によって自ずから席順が決まっていました。
宴酣になると長老がお酌人(親族の娘や近所の娘さんが加勢にきます)を呼びます。
「この盃を、○○さんにやってくれ」
お酌人はこれをお盆に受け、○○さんの前に行き、
「□□小父さんからです」と言って渡します。○○さんは□□小父さんに目で会釈します。
そしてお酌人からお酒を注いでもらい、これを一口で飲み干して、お盆に返します。
お酌人はこの盃を、□□小父さんに返して酒を注ぎます。この時もお互いに会釈します。
盃を受けた者が、一口で飲み干さずに盃を下に置くのは、失礼とされていました。
このような席でも、盃は常に目上から目下の者へ流れるのが普通でした。
例外を説明します。目上の方から盃を頂きたいのに、なかなか回して貰えない場合があります。
その場合は、その方の前に座り、
「お流れを頂戴致します」と言って催促するのです。あくまで盃は差し上げるのでなくて貰う
ことが前提です。この場合も、一口で飲み干して返杯致しましょう。
盃(さかずき)の持ち方について
次は目上の方に差す場合の盃の持ち方です。一般に「親を隠して上からどうぞ」と云います。
盃を目下の者から目上の方に差し上げるには、糸底を親指と人差し指で持って、左手を下か
ら添えます。相手が取りやすいように縁を空けます。
逆に上の縁を持って差し出すと、目上の方が下から頂戴する形になり、失礼とされています。
次に、目上の方から盃を頂戴する場合は、必ず両手でうけるのが礼儀です。
☆写真参照
正式な日本料理での作法
料亭などの正式な日本料理では、杯洗が準備されています。
杯洗で盃をガバガバ洗う方がいますが、これは儀礼的なものですから、自分が唇を付けた箇所
を一寸湿して一方の指先で軽く拭く程度で良いのです。
また、先にも説明しましたように、盃は目上から目下へ流れるものです。ここで注意しなけれ
ばならないことがあります。
目上の方から盃を差されたのに、
「私は飲めませんから」と云って固辞される方がいます。これは失礼にあたります。
「なんだ! 俺の盃が受けられないのか?」と言うことになりかねません。これでは何の為の
接待かわからなくなります。
そこで、下戸の方にその対策を伝授致します。
先ず酒席に臨む場合には、厚手のハンカチを数枚用意しておきます。
そして、頂いた盃の酒は飲み込まずに口の中に溜めておきます。そしてハンカチで口の周りを
拭く真似をしながらそのハンカチに含ませます。さり気ない様子で。
後日談
私はある時期、第三術科学校の教官の職にありました。座学は退屈です。居眠り対策として、
よくこのような雑学を披露していました。
当時のある学生が出世して、芦屋基地司令として赴任してきました。開庁記念日に招待され、
話す機会がありました。
彼が空幕の予算班長在職時、職務がら大蔵省の役人と料亭で会食する機会があったそうです。
その際、私の盃の作法が大いに役立ったと申していました。
考えてみれば、法令や規則は自分で勉強できますが、先人の残した仕来りや作法は誰かが教え
ないと、乱れてしまいます。