学生の親代りとして
教育部の教官から大隊長に就任して大いに反省させられた。教官として2年近くも学生 と接していながら、その表面しか見ていなかったことに気が付いた。今までは、いかにし て専門知識を身につけさせるかだけを考えればよかった。ところが、大隊長は学生の生活 全般を指導監督する立場にある。だから、 その裏側にまで目を配る必要があった。 そのためまず学生の身上調査から始めた。各自に提出させている「身上票」には学歴や 家族の状況などが記入されている。だが、家族の状況といっても住所と続柄それに年齢し か記入されていない。 父親の職業なども記載されていない。父親といっても保護者という意味合いではなく、 事故などが起きた場合の連絡先として届けさせているのである。記載内容を補充するため、 区隊長が面接するのに立ち会っていても、単に彼らの話を聞くだけである。 プライバシー 保護とかで、立ち入った質問はできないことになっていた。 小学校や中学校では家庭環境を知るため家庭訪問を行う。しかし、自衛官はすべて成人 として処遇するので、そんな制度はない。 それに、旧軍隊と違って文通は検閲もなく自由にできる。ただし、来信は大隊でまとめ て受け取り、事務室で区隊ごとに仕分けして各自に渡すので文通の頻度を知ることができ る。それによって、家族との親密度を推察する。 ところが、旧軍隊時代とは違って電話が普及した。公衆電話からの通話は自由にできる。 だから、手紙の数などは意味をなさなくなっていた。家庭環境を把握するのも大変である。 断片的に集まった情報から判断すると、騒ぎを起こしているのは一握りの学生である。 大部分の学生は区隊長や区隊付の指導を受けて、真面目に勉強している様子である。だが 一部の学生であっても、騒ぎを起こすにはそれなりの原因があるはずである。その原因を 探求して学生の要望を満たすように努力をするのが、彼らの親代わりとしての、大隊長の 職務である。 いくら論文で立派なことを書いても、自ら実行できなければ絵に描いた餅である。まず、 学生の荒れる理由を解明しなければならない。ところが、区隊長や区隊付の話を聞いても、 どこに問題があるのかはっきりしない。 当時の学生は旧軍隊の志願兵のように、厳格な選抜試験を受けて入隊したわけではない。 そのため、もともと素質の悪い者が混じっていた。だからといって、そのまま放置するわ けにはいかない。素質の良否にかかわらず一人前の自衛官に育てあげるのが、大隊長とし ての職務だからである。 当面の状況判断から、劣悪な居住環境が学生の荒れる理由の一つではないかと思われる 節があった。学校は本来学生を教育するために存在する。だから学生が主人公でなければ ならない。ところが隊舎一つを例にしても、新築された立派な隊舎には基幹隊員(学校の 運営を担当する隊員)が入り、学生は米軍の駐留時代に、幼稚園や小学校に使っていた腐 りかけの建物に入れられている。 これでは本末転倒である。「孟母三遷」の教えがある。孟子の母親は教育環境の重要性 を認識され、三度も住居を遷したという教訓である。 私が大隊長に就任して間もなく、第1大隊は隊舎の引越しを実施した。だが、 その引越 した先も、旧陸軍が戦争中に急造した木造兵舎で、白蟻に侵された雨漏りのする隙間だら けの代物であった。ただ食堂や浴場それに教室などが幾分近くなって、地理的に多少便利 になった程度で、教育環境の根本的な改善には程遠いものであった。 学生を古い隊舎に入れているのは、彼らは在校期間が短く、数ヵ月間しか居住しないと いうのが理由である。ところが、その数ヵ月間が問題なのである。教育部長も学生隊長も、 この点に疑問を持っていない様子である。 テレビその他の娯楽用具にしても、基幹隊員を優先的に配分している。いくら勉強する のが目的の入校であっても、課業時間以外は基幹隊員と同様にくつろがせることも必要だ と思う。 生活環境が悪いうえに、隊舎内外の清掃担当区域は入校学生のピーク時の人数を基準に 割り当てられたのであろう、基幹隊員に比較して広大であった。だから、入校学生の少な い時期には掃除だけでも大変である。 そのうえ、何か行事などがあるとその準備や運営のため、授業を中断して真っ先に作業 員に狩り出される。これでは何のために学校に来ているのか分からない。不満は募るばか りである。 さらに悪い慣習があった。それは区隊会費という名目で、毎月一定額を学生から徴収し ていた。卒業アルバムを作ったり、トイレットペーパーなど共同生活に必要な消耗品類を 一括して購入するのが目的でこの制度が設けられている。形のうえでは学生の自主的運営 だが、実質は強制である。小学校や中学校での学級費のようなものである。 ところが、その使い方に問題があった。営内居住を義務づけられている自衛官は、衣食 住すべての費用を国が支弁するのが原則である。しかし、予算が必ずしも潤沢でないため、 この区隊会費を流用する。これを使えば国の予算を使用するような繁雑な手続きを必要と しない。 そのため、本来なら国の予算で支弁できるものまで安易にこの会費から支出する。歯止 めが効かない。だが、学生の立場では表立って抗議する力はない。だから、言われるまま にお金を出している。内心では面白いはずがない。 要するに、学生が勉学に専念できる教育環境を整備する事が先決問題である。ところが、 いくら意見具申してもなかなか改善されない。意見は無視され、旧態依然として教育環境 は変わらない。考えてみれば、一朝一夕に改善できるような問題ではなかったのである。 私たちの小学校や旧制中学時代には、教室に暖房設備などなかった。小学校低学年の寒 い冬の日、先生たちが職員室で石炭ストーブにあたっているのを窓越しに覗き、羨ましく 思った記憶がある。だが、私たちの子供時代はそれが当たり前で、特に不満に思うことは なかった。 ところが、過保護で自由気ままに育てられたため、自己主張はするが自制心や協調性の ない当時の学生が、生活面での差別待遇に反発するのは当然であろう。 「その足らざるを嘆かず。その平らかならざるを憎む」という言葉がある。学生も基幹 隊員も同じような環境や処遇であれば我慢もするだろう。だが、同じ自衛隊員でありなが ら、基幹隊員は娯楽設備の整った立派な隊舎に住み、学生は娯楽設備もなく雨漏りのする 隊舎で、掃除や作業に追いまくられたのでは、不平不満が募るのは当然であろう。 これらの不満が爆発して、いろいろな問題が続発するのだろうと推察した。もちろん、 これ以外にも荒れる原因はあるのだろうが、見当もつかない。われわれが終戦後に、厳し かった軍隊生活の束縛から解放された反動と、「特攻隊は馬鹿げた犬死にだった」と評価 が一変したことに対する反発などで、「特攻くずれ」と呼ばれながら、相手かまわず暴れ まわった心理状態に似ているような気もする。 ところが、調べてみると事件を起こしている学生は特に凶悪な人物とも思えない、ごく 普通の学生である。区隊長や区隊付が関係者を呼んで事情を聞いてもはっきりした答えが 得られない。 そこでふと思いついて、上級課程に入校中の空曹学生に、事件に直接関係のない学生に それとなく事情を聞くように指示した。すると意外なことが分かってきた。区隊長や区隊 付から質問されても後難を恐れて喋らないが、学生の間では事件の因果関係は周知のこと らしい。断片的ではあるが事件の一端を解明することができた。 加害者はある人物から唆されて騒動を起こしている様子である。 「あいつは生意気だから、忠告したらどうだ」 「あいつは横着だ、ヤキを入れたらどうだ」 などと囁かれると、何もしないでいると今度は自分が逆にやられるという脅迫観念から、 名指しされた隊員に嫌がらせをしたり、暴力を振るったりしていたのである。 ただ不思議に思うのは、だれかがいじめられていても止めに入ったり、 区隊長や区隊付 に通報して止めさせようとする者がいないことである。日ごろ仲良くしている者も知らぬ 顔らしい。下手に口出しすれば今度は自分がやられると思っているのだろう。 昔からいじめはあった。しかし、われわれの中学生時代には、度を超した悪ふざけには 必ずだれかが止めに入っていた。そして、理不尽ないじめに対しては周囲の者が黙ってい なかった。 昔の友達はお互いに理屈抜きで助け合うのが普通であった。また、私の育った筑豊地方 では、正義感というのか義侠心といのうか、他人の難儀には進んで手を貸す気風があった。 一般に「川筋気質」と呼ばれていた気性である。ところが、当時の学生は自分さえよけれ ばとの考えが強く、他人の事には決して口を出さなかった。 陰に隠れていた問題の中心人物も判明した。彼は高等学校卒業者で、特に腕力が強いわ けではないが知能指数は人並み以上に優れていた。そのうえ、彼の父親は教育者であった。 父親は息子の性格を見抜いてその将来を憂慮し、大学に進学させて自由奔放な生活を送ら せるより、 自衛隊に入隊させて厳格な団体生活を体験させようとしたのであろう。 ところが、息子にすれば「親から見捨てられた」と思い込み、それが原因で荒れていた のである。他人を意のままに従わせる彼の手腕をみると、育て方さえ間違えなければ、立 派な指導者になれる素質を持った学生であった。 二人の取巻きがいることも判明した。彼らは口で唆すだけで、自分では決して手を出さ ない。だから、最初は事件に無関係と思われていたのである。区隊長や区隊付の並々なら ぬ努力で、全体の構図をほぼ解明することができた。 区隊長池田2尉が所持品を検査したところ、革ケースに入れた大きな登山ナイフが発見 された。これが他の学生に無言の圧力となっていたのである。 学生指導の困難さは想像以上である。初級課程の学生を受持つ区隊長や区隊付は、朝は 早くから出勤して夕方も遅くまで居残って、付き切りで面倒をみている。いくら任務とは いっても並の人間にできることではない。昔の軍隊なら殴って従わせるような場合でも、 説得したり煽ててみたり、手間暇かけての指導である。 昔の軍隊では規律を維持するため、想像を絶する制裁が行われていた。しかし、兵役は 国民の義務であり脱走して逃げ帰ることもできず、ただ耐える以外に方法はなかったので ある。 ところが、当時の学生は親や先生から殴られたこともなく、過保護で育てられた戦後の 若者である。それが自衛隊の募集担当者から上手に勧められて入隊してきたのである。だ から、体罰によって規律を維持しようとすれば、「話が違う」と言って皆逃げ出してしま い、自衛隊は成り立たなくなるであろう。 学生指導の困難さを身をもって体験した。 ここで体罰の効果について考えてみたい。私は小学校から中学校そして軍隊と数多くの 体罰を経験した。だが、子供のころは別として、体罰によって非を悟り反省した記憶はな い。 特に軍隊での制裁は表面では恭順しながらも内心では反発していた。なぜなら、ほとん どの体罰が理性による説得の延長ではなく、場当たりで感情的な制裁だったからである。 だから、一時的に服従させるのには役立っても、反省させる効果は少なかったように思う。 * 「自ラ直キノ箭ヲ恃マバ、百世矢無カラン。自ラ圓キノ木ヲ恃マバ、千歳輪無カラン」 これは、韓非子(中国・戦国時代)の言葉である。自然に真っすぐ生えた矢を求めていれ ば、 百年たっても矢は得られない。手を加えず自然に丸く曲がっている木を求めていれば、 千年経っても車の輪は得られない。同様に自然のままに放置していたのでは役立つ人間は 得られない。役立つ人間を育だてるには法で規制することが必要であるという意味である。 木を曲げたり曲がった木を真っすぐにするため、強い力を急激に加えると折れてしまう。 盆栽を育てるように、小さな力を辛抱強く加えることが必要である。若木を真っすぐに育 てるには、添え木をしながら愛情を込めて気長に成長を見守る以外に方法はないのである。 子供はいろいろな体験をしながら成長する。幼児期には親に抱かれながらその愛情を受 け信頼感を抱く。親のしつけによって自制心を学ぶ。学校の集団生活では競争心や協調性 を習得する。そして、成功と失敗を繰り返しながら成長し、社会に出るのである。だから、 幼児期のしつけが、子供の将来に重大な影響を及ぼすことを親は認識すべきである。 われわれの子供の頃は「恥」や「世間体」がしつけの基本だったように思う。子供が悪 い事をすれば親の恥であった。「世間に顔向けができない」が親が子供を諭す言葉であり、 「そんなことをして、恥ずかしくないのか!」などが先生が生徒を叱る常套語であった。 また軍隊では、いくら厳しい制裁を受けても我慢する以外になかった。逃亡すれば本人 はもとより、 親や親族までが嘲笑の的にされる時代であった。ところが、昨今では「恥」 という言葉は死語になったも同然である。 そのうえ現在の親は、家庭教育が十分にできない。物事の基本である善悪の判断もでき ない子供がいる。そのうえ、集団生活に耐えうる自制心が育たないまま学校に入る。する と、我が子のしつけもできない親が、学校の規則が厳しすぎると、文句を付けて裁判まで 起こす時代である。これでは社会生活に対応できる子供が育つわけがない。 最も重要な幼児期のしつけをなおざりにして、学齢期に達してから慌てて型に嵌めよう とするから反抗が起きる。子供は物心がついてある年齢になると、反抗期を迎え親や先生 に対して自我を主張するようになる。この時期の締め付けは逆効果である。 われわれが子供の時代は、何事をするにも我慢と背中合わせであった。小学校では体罰 を受けながら集団生活に馴染んでいった。旧制中学に入ると、さらに厳格な規律が要求さ れた。そのうえ軍事教練まで実施され、 集団として一定の型にはめられていったのである。 そして旧軍隊では、今の自衛隊とは比較にならないほど、厳格な規律が要求されていた。 私が大隊長当時の学生は、いわゆる戦後育ちである。親のしつけも十分でなく過保護で 育てられた者が大部分であった。学校も自由放任の時代で、厳しいしつけ教育など受けず に社会に出ていた。そんな若者が自衛隊に入隊し、厳格な集団生活を強いられるのだから、 いろいろと問題を起こすのも当然のような気がする。 十人十色で、それぞれ異なった環境で育てられ、異なった教育を受けてきた者が、一つ の集団として生活すれば、性格の違いや意見の相違、それに腕力の強弱などで軋轢が起き てくる。そのうえ課業時間以外は区隊長や区隊付の目は届かない。自制心のとぼしい学生 ばかりの集団である。何が起こっても不思議ではない。目次へ 次頁へ [AOZORANOHATENI]