自衛隊こぼれ話

  これは北九州市教育委員会が募集した、平成12年度「自分史文学賞」に応募して
落選した原稿に、写真などを挿入して手直ししたものである。


     老兵の繰り言

        はじめに

 世紀末2000年の記念すべき年が明けた。今年こそは明るい年でありますようにとの 願いも空しく、5千萬円恐喝事件、豊川市の主婦刺殺事件、さらにバス乗っ取り事件と続 き、ついに母親撲殺事件と17歳の暴走は止まるところを知らない。なぜ17歳が荒れる のだろうか。 それには、われわれの17歳時代を検証するのも無意味ではないと思う。  私は昭和18年8月1日、第12期海軍甲種飛行予科練習生として、満16歳で鹿児島 海軍航空隊に入隊した。予科練を卒業した後、茨城県の谷田部航空隊で中間練習機、引き 続き百里原航空隊では艦上攻撃機の操縦訓練を受けた。  昭和19年12月、飛行術練習生を卒業し一人前のパイロットとして、903航空隊に 配属され実戦配置についた。その後大井航空隊に転属し、沖縄作戦開始とともに「神風特 別攻撃隊」に編入され、生死の瀬戸際を体験した。これが私の17歳である。  あの戦争では、われわれのクラス700余名のうち、約3割にあたる223名が、わず か1年足らずの戦いで大空に散華した。このうち61名は、「神風特別攻撃隊」に編入さ れ「体当たり攻撃」を命ぜられて散華された者たちである。  彼ら戦没者の遺書や遺稿、それにご遺族のお話しから、彼らの17歳を検証してみた。 今の17歳に、「特攻隊員」の精神基盤と、親子のあるべき姿を感じ取って欲しいとの思 いを込めて記述した。  戦後私は航空自衛隊に入隊して停年まで勤務した。ここで図らずも若い隊員の教育訓練 を担当する機会に巡り合わせた。力量不足の反省を込めて当時の状況を紹介する。そして、 17歳の暴走を止めさせるには、回り道のようだが愛情に裏打ちされた親子の信頼関係を 回復する以外に道はないとの結論に達した。青少年を育成するうえで、いささかでも参考 になれば幸いである。
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[AOZORANOHATENI]