あ と が き
航空自衛隊を停年退職してすでにニ十数年が経過した。その間、年一回行われる“つばさ会”
の支部総会など、限られた交流以外には自衛隊とも疎遠になった。だから、現在の編制や装備
などほとんど知らないのが実情である。恐らく編制も機能化され、装備の近代化も一段と進ん
でいると推察する。だが、隊員の思考や生活などは、あまり変化していないのではなかろうか。
戦時中の回顧録をもとに「蒼空の果てに」と題してHPを開設した。これに続く戦後の自分史
を纏め、姉妹編として開設したのがこのHPである。元々の原稿は、航空自衛隊創設50周年
を記念して、朝雲新聞社の月刊誌「MONTHLY ASAGUMO」に『空はわが友』の題で1994年10月
号から10回にわたって連載していただいたものである。
戦争中、神風特別攻撃隊員として修羅場を経験した身には、戦後50余年の平和な生活は夢
のようである。しかし、この平和が永久に続く保障はない。現に世界各地で紛争は続いている。
戦争を知らない世代に、 いささかなりと啓発ができれば幸いである。
最後に、「大東亜戦争」の呼称について説明したい。この名称は、昭和16年12月12日
閣議により決定され、次のように発表された。
閣議決定 昭和16年12月12日
今次戦争ノ呼称並ニ平戦時ノ分界時間等ニ付テ
一、今次ノ対英米戦争及ビ今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルベキ戦争ハ、支那事変ヲ
モ含メ大東亜戦争ト呼称ス
二、給与、刑法ノ適用等に関スル、平時戦時ノ分界時期ハ、昭和十六年十二月八日午前一時
三十分トス (以下省略)
関係法律としては、昭和17年2月17日、法律第9号で、
「勅令ヲ以テ別段ノ定ヲ為シタル場合ヲ除クノ外、各法律中支那事変ヲ『大東亜戦争』ニ改ム」
と定められて、一般にも定着した。
昭和20年9月20日、「ポッダム宣言」受諾により連合国軍の管理下に置かれた日本政府
は占領下の特別処置として、 次の勅令を公布した。
ポッダム宣言の受諾に伴い発する命令の件(昭和20年勅令第542号)。
「ポッダム宣言」の受諾に伴い、連合国最高司令官の為す要求に係わる事項を実施するため、
特に必要ある場合においては、命令をもって所要の定めを為し、及び必要な罰則を設けること
を得。
これを基に、同年12月15日、連合国軍総司令部参謀副官発第3号。終戦連絡中央事務局
経由日本政府に対する覚書の中で、
「公文書ニ於テ『大東亜戦争』『八紘一宇』ナル用語乃至ソノ他ノ用語ニシテ、日本語トシテ
ソノ意味ノ連想ガ国家神道、軍国主義、過激ナル国家主義ト切リ離シ得ザルモノハ之ヲ禁止ス
ル、而シテカカル用語ノ即刻停止ヲ命令スル」。
との命令がだされ、「大東亜戦争」の呼称は公文書などからは姿を消すことになった。
昭和27年4月11日、講和条約成立に伴い、政府は法律第81号によって、前記の勅令
第542号を廃止した。これによって、占領軍の命令指示はその効力を失い、占領時代の制限
は消滅した。
国内法としては、昭和16年12月12日に閣議決定された「大東亜戦争」の呼称は、それ
以降これを改廃する決定はなされていない。だから、法律上は正式名称として復活したとみる
のが妥当である。かりに、名称の改廃が行われたとしても、わが国が過去に「大東亜戦争」を
戦かったことは、歴史的事実であり、この事実まで抹殺することは不可能である。
「大東亜戦争」の戦域は中国大陸からビルマに及び、さらに遠くインド洋に達した。しかし、
当時の説明では「『大東亜戦争』トハ大東亜新秩序建設ノ為ノ軍事行動ノ総称ナリ」として、
これを「目的」としてとらえ、必ずしも地域を示す用語ではなかった。
第2次世界大戦は、アメリカの「太平洋戦争」やソ連の「大祖国戦争」のように、それぞれ
の国で呼称が異なり、世界的に共通した呼び名はない。現在わが国で一般的に使われている、
「太平洋戦争」も国際的な呼称ではない。アメリカ合衆国の公刊戦史などに「The War in the
Pacific」と、使われているが、これは、アメリカ合衆国からみてヨーロッパ戦域に対する、
太平洋戦域との意味である。
結末は敗戦に終わったとは言っても、自ら命名した「大東亜戦争」を使用せず、「太平洋戦
争」などと、借り物で呼称するのは改めるべきではないだろうか。
昭和に生まれ、昭和に育ち、激動の昭和を生き抜いた記録を、21世紀の節目にあたって、
HPとして公開できたことは望外の喜びである。いささかなりと、閲覧者諸兄の脳裏に止めて
いただければ幸いである。
(2002年2月吉日 永末千里)
蒼空遠く
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