教官コンクール
第3術科学校は第1教育部が第1科から第5科まで、第2教育部が第6科から第10科まで
に別れ、それぞれの術科教育を担当していた。教育部所属の教官は幹部空曹を含め200名を
越えていた。これに学生隊の区隊長や区隊付などを合わせた教官の、教育技術の向上という名
目で、毎年「教官コンクール」が実施されていた。
これは、教育部各科及び学生隊の各大隊からそれぞれ代表者を選出して「教育展示」を行い、
その優劣を競うものである。教育技術課程も卒業し天皇問題も解決した。さーあこれから遊び
に精を出そうとしていた矢先、この「教官コンクール」に第3科の代表として参加してほしい
との要請である。教官経験の長い者が大勢いるのに、なんで着任早々の新人を代表にするのか
と腹を立ててみたが先輩連中に頭を下げて頼まれればいやとも言えない。
失敗して恥をかくなら早い方がましだと覚悟を決め、入校後間もない「会計員課程」を対象
に準備を始めた。課題には旅費計算を選んだ。その頃「OHP」と呼ばれる視覚教材が導入さ
れていた。これを活用しない手はない。旅費計算の基礎となる出発地から目的地までの各種の
経路と方法を説明するため、 「OHP」を利用した一時限分のシナリオを作成した。
先輩連中はリハーサルをやれと勧めたが断った。よその科では、あらかじめ質問する学生や
質問内容までも決めて、その回答要領などを練習しているという。しかし、そんな事をすれば、
本番で学生の興味は半減するであろう。私は教育技術の評価は、教官に弁舌の優劣を競はせる
より学生がいかに反応するかに重点を置いて評価すべきだと考えていた。だから、リハーサル
など行わず出たとこ勝負を予定していたのである。
ほどなく「一般命令」で実施要領が示された。みると審査委員長には研究部長の沖津1佐が
任命されている。「ヤッター! 」もう何の心配もいらない、これで貸しを返してもらえる。
案の定、私と学生隊第2大隊の区隊長西口隆2尉(脊振山サイト時代のバーテンダー)が、
学校長石原空将補から、全校朝礼の場で「優秀教官」として褒賞状をいただいた。こんなに早
く、研究部長からのお返しがあるとは思わなかった。世の中は相身互いである。
優秀教官賞
第3術科学校幹部一同。
*
術科学校の教官は楽な商売である。毎日授業があるわけではない。受持科目の教程(教科書)
と試験問題を準備すれば、後は毎期同じことの繰り返しですむ。しかし、私は幹部学生に対す
る学習要領を改革した。
従来の学習要領は教官が一所懸命勉強して教壇に立って喋る。学生は分からなければ質問す
る。教官は学生が理解するまでさらに説明を繰り返す。このように、教官が学生のため一所懸
命勉強しているのに、学生は机に座って居眠りをしていても期間が過ぎれば卒業できる。これ
は矛盾している。本来勉強するのは学生であって教官ではない。ところが、いつの間にかこれ
が逆になっていたのである。
さっそく「給与法」の授業から新しい方法を採用した。防衛庁職員給与法を条文ごとに区分
して、学生にそれぞれ受持ちの項目を割り当てた。学生に法律の条文や政令及び施行規則など、
関係法令の解釈を事前に自学研鑚させて、交替で教壇に立たせて講義させるのである。
「相互学習」と称して学生相互に勉強させる方法である。教壇に立って講義するのが学生な
ら、質問するのも学生である。質問をさらに研究して回答するのも学生である。学生も教壇に
立って皆に講義するには準備が必要である。教官室に受持ち部分の法解釈などについて質問に
来る。
「ここは、どう解釈したらよろしいですか?」
などと質問しても回答しない。自分で一応の解釈をくだし、結果の正否を確認する場合とか、
解釈が二つに別れるがどちらが正しいかなど、自分自身で研究を行い一応の結論を出した上で
の質問だけに回答した。初めから正しい解釈を教えたのでは勉強にならないからである。これ
で教官商売はさらに楽になった。
空曹や空士は幹部の命令や指示にしたがって作業を実施すればよい。しかし、幹部は自分の
責任で法律の解釈を行い、部下に指示して実行させる立場にある。法律や政令が改正された場
合、的確な解釈ができなければ幹部として失格である。
そのためには、しっかりした基礎を作っておかなければ後で苦労する。一度自分で研究して
結論を出しておけば、その基本的な法解釈の要領は決して忘れるものではない。勝手な理屈を
つけて、それ以降この学習要領で押し通した。
教官時代の筆者。
給与旅費業務講習
第四級賞詞受賞
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