CS と SOC
昭和40年7月、幹部学校「普通課程」に入校を命じられた。自衛隊には各種の学校及び課
程がある。特に幹部に対しては専門職の術科教育以外に、幹部学校に「普通課程(SOC)」
と「指揮幕僚課程(CS)」があった。前者は中堅幹部としての資質の錬磨を目的とし、後者
は部隊指揮官および幕僚業務を研鑚する課程である。
いずれの課程も学生は術科教育のように単一職種で構成するのでなく、各職種の混成である。
そして、全員が学生隊舎で起居を共にする。これが、他の職種の特質を理解して職種相互間の
関連を理解するのに役立つと共に、人格的な交流を促進することにもなる。
教育内容は主に課題作業と研究論文であった。課題作業にしても研究論文にしても、 各職域
に跨がる問題が多いため、お互いの専門知識で助言し合いながら作業を進めていく。15週間
の学生生活で学生相互間の交流が行われ、他の基地や他の職域にも知人ができ以後の業務遂行
に非常に有効であった。
SOC卒業記念。
*
その頃東京には、海軍時代に谷田部空や百里原空で一緒に操縦訓練を受けた予科練同期の、
江藤光総1尉と吉田実君がいた。江藤1尉は幹部学校と同じ市ヶ谷駐屯地内の「補給統制所」
に勤務していた。また吉田君は「国鉄病院」の副薬剤長として新大久保にいた。彼は復員後、
富山薬専に学び薬剤師になっていたのである。
吉田君とは百里原空の実用機課程では同じ吉池教員のペアであった。 卒業後も、903空や
大井空など同じ実施部隊で勤務し終戦まで行動を共にした仲である。久しぶりに再会して昔話
に熱中した。百里原空時代に大洗崎で実施した雷撃訓練や、卒業飛行の襲撃運動で編隊集合時
の空中衝突事故などなど。
903空では松島派遣隊の思い出。また館山基地で吉田君がキャブレーターにカモメを吸い
込んでエンジンが止まり、不時着事故を起こした事。またグラマンによる空襲の話。大井空で
は「神風特別攻撃隊・八洲隊」の苦労話などなど……。共通の体験を語り合いながら20年振
りの旧交を温めた。
ある日、江藤1尉と二人で飲みながら、
「近ごろの上級幹部の中には、飛行機にも乗らずに当然のように航空手当をもらったり、単身
赴任しながら家族の移転料を請求する者などがいるので困る……」
と、愚痴をこぼした。すると、
「お前、そう言うなよ……、この前ある1佐の官舎を訪問したら、息子が大学生でお金がかか
るらしく、まだテレビも置いていなかったぞ……」
と、弁護する。海軍時代は真面目一方の性格で「銀蝿」もできなかった彼のことだから、一緒
になって憤慨するのかと思ったら意外な返事である。 当時1等空佐の初号俸は6万4千3百円
であった。
またある日のこと、一緒に飲みながら話し込んでいた。すると、
「永末! 俺は今度CSを受けるぞ……」
と、言い出した。CSとは旧軍の陸軍大学校や海軍大学校に相当する課程である。部内から成
り上がりの幹部候補生出身者が進める道ではない。
「お前なあ……、いくら自分では実力があると思っても、大学出か旧軍学校の出身者でなけれ
ば、上には進めないぐらい分かっているだろうが……」
と、諭した。
「いや、受験資格に制限がないんだから、俺は絶対に受ける!」
そう言い張って聞かない。
部内幹部候補生出身では過去にCSに合格した例もないので、一時の思い付きだと思って、
気にも留めないでいた。ところが、本当に受験して見事に合格した。そして、これが部内幹部
候補生出身者に対して、将来に希望を与える結果となったのである。彼の面目躍如たるものが
あった。
彼が「CS学生」となって奈良方面に研修旅行に来た際に、一夜盛大な祝宴を催した。だが、
私が懸念したとおり、彼のCS卒業が、それ以後の職務配置や昇任などの人事管理に反映され
たとは思われなかったのである。いくら実戦の経験があり、優秀の技能を持つていても予科練
出身者はその程度にしか評価されなかったのである。
甲飛出身者では私の知っている範囲でも、 1期の末吉三郎氏をはじめ2期の指宿成信氏3期
の田中利夫氏以下多数の方々が自衛隊に入隊していた。 ところが、復員して大学に学んだ同期
生の山田公平君など一部の例外を除いて、あまり出世をした話を聞かない。
一天、二系図、三敬礼、四馬鹿、五理屈、六号令、(いってん、にけいず、さんけいれい、
しばか、ごりくつ、ろくごうれい)。これは旧軍の出世街道を風刺したものである。
天とは、陸軍大学校出身者のことである。陸大出身者が着ける記章の外観が、昔の天保銭に
似ていたので「天保銭」と呼んでいた。要するに出世するには、陸大を卒業することが必須の
条件であった。
系図とは毛並みの良さである。皇族や華族それに高位高官の親族であれば、少々本人の出来
が悪くてもそれ相応の役職が用意された。
敬礼とは上司に対してハイハイと頭を下げることである。常に上司のご機嫌とりに専念し、
上司のお気に入りになるのが、出世の近道である。
馬鹿とは、自己を滅して馬鹿になって上司に尽くすことである。自己の才覚は表にださず、
自分の功績は上司に譲り、上司の失策は自分の失策として上司を庇う、何時の日か上司に認め
られることを願っての、涙ぐましい努力である。
理屈とは文字通り理屈をこねることである。小才が利いて仕事はできるのだが、それを鼻に
かけて小理屈を並べるので上司に嫌われる。そのため、つい一言多くなる人物のことである。
仕事はできても出世とは縁遠くなる。
号令とは、上司には背を向けて部下に対して号令ばかりかけている人物である。兵隊の訓練
には熱心だが上司のご機嫌伺いなどはしない。だから出世には縁がない。彼等は戦陣で手柄を
たてて勲章を貰うか、戦死して叙位叙勲に預かる以外に道はない。
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