自衛隊こぼれ話

  ストリップショー

 脊振山サイトは、福岡県と佐賀県の県境に沿って施設が点在している。サイトの専用道路は 福岡県側に通じているので物資の搬入や人員の輸送などはすべて福岡方面から実施していた。 ところが、行政区画は複雑である。福岡県筑紫郡那珂川町から佐賀県神埼郡東脊振村の小川内 を通り、再び福岡県の早良郡早良町板屋(現・福岡市早良区)にはいる。ここからアメリカ軍 管理当時に作った専用道路を登り、頂上付近で今度は佐賀県神埼郡脊振村にはいるのである。  私は担当業務の関係で、しばしば脊振村の役場を訪問した。その場合、ジープで専用道路を 下り、福岡・春日を経て国道3号線に出る。佐賀県鳥栖市で国道34号線にはいる。神埼町か ら右折して脊振村に向かう。大変な遠回りである。理由はこれ以外に車両の通行できる道路が なかったからである。  獣道を歩けば約6キロで脊振村の田中という集落に着く。ここ迄が大変だが、後は道路も整 備されている。それでも村役場まではさらに8キロ近くもある。一度歩いて往復したことがあ る。ところが、田舎育ちで足には少々自信のある私も、二度と歩く気はしなかった。  以前下甑島サイトに勤務していた時、長浜集落から山越えで村役場のある手打まで歩いたこ とがある。全行程道らしき道はなくいわゆる獣道である。この時は長浜集落を朝早く出発し、 青瀬集落を経て手打の村役場に着いたのは昼近くになっていた。用事もそこそこにして帰りは 正午に出帆する連絡船に乗った。とても歩いて帰る気がしなかったからである。  陸上自衛隊、施設隊の支援を受けて、林道名目の道路が脊振村から山上まで開通して、サイ トの専用道路と連結したのは、私が赴任してから2年後のことである。       *   脊振村は当時村民税を徴収しない珍しい村であった。祖先伝来の村有林があり、これを計画 的に伐採することで、村の財政が賄えるとのことである。ところが本来課税できるのに免税に すると、国からの交付金が受けられないとのことで、自治省の指導を受けて最低額の均等割り だけの村民税を徴収していた。  ある時、収入役から相談を受けた。自衛隊の行事などには積極的に協力するので、税収面で 協力してほしいとのことである。これは村議会等に、自衛隊が駐屯しているためにこれだけの 収入があると、具体的な数値で説明をしたいと言うのである。ご尤もなご要望である。  村民税の完全納入以外に、煙草を脊振村内の店から買って貰うようにすれば、売上の一割程 度の還付税が村の収入になると言う。帰隊してさっそく検討した。今までは共済組合の春日支 部に厚生係が取りに行って事務室で販売していた。  全隊員が山篭もりして他に買う場所がないのだから、相当な売上があった。だからこの件を 共済組合の担当者に話しても了解は得られないことは分かり切っている。それでは独断専行す る以外にない。  とは言っても、新たに煙草屋を開業するには無理がある。収入役と話し合って脊振村で現在 営業している煙草屋さんが仕入れたものを山上まで運んでもらい、厚生係に販売させることに した。代金は次に納品に来た際に精算することで話がついた。共済組合の方は在庫が売り切れ た時点で次の仕入れ中止した。  共済組合では、隊員の数は春日基地より少なくても、全員が隊内に宿泊し他に買う所がない ので春日基地に比べて倍以上の売上がある脊振山サイトの離反は大問題である。案の定いろい ろと非難もされ、風当たりも強くなった。しかし、大義名分はこちらにある。最後まで妥協し なかった。  これ以外にも、山上までの林道開設に協力したり、村の運動会に勤務以外の隊員を参加させ たりして、部隊と脊振村との関係は良好に推移していた。       *   ある日、村役場を訪問して自衛隊記念日の行事について、助役に協力をお願いした。 「今年は自衛隊の記念日を、村の農休日にして皆んなで山に登りますから、一緒に盛大にやり ましょう……」 と、いう事になった。お祭りを盛り上げるため、役場の方で劇団を手配するから舞台の準備を そちらに頼むという話である。 「若い隊員さんが多いから、色物がよいでしょう」 との話である。色物というから「女剣劇」でも連れてくるのだろうと想像していた。  帰隊してさっそく「厚生委員会」を開き、計画を具体化した。通信電子隊の平野1曹が中心 になり、山上で唯一の広場であるテニスコートに、施設係の協力で舞台を作りマイク放送の準 備までした。また春日基地からは、発足後間もない音楽隊を派遣していただくことにした。    当日は天気も上々であった。弁当や一升瓶などを下げた村の人達が続々と登ってくる。隊員 は寝台用のマットレスをテニスコートに敷いて座席を作る。厚生係の隊員には即席の屋台を設 けて酒やビールなどを売らせた。あちこちで村の方々と隊員の交流が始まった。  いよいよ演劇の開始である。まず音楽隊の演奏である、ソロの演歌などもはいる。カーテン を繋ぎ合わせて作った幕が閉まり、次はいよいよ「女剣劇」の出番となった。見物席は酒の勢 いも加わって非常に盛り上がっている。  レコード音楽が高らかに響き渡り待望の幕が開いた。途端に大喚声が湧き上がった。見れば 「女剣劇」と思っていたのに、舞台で繰り広げられているのは「ストリップショー」であった。 これには全見物人が大喝采したのは言うまでもない。

   舞台が跳ねて仮設の楽屋に挨拶に行った。ついでに踊り子に感想を求めた。 「薄暗い舞台でスポットライトを浴びるのには慣れていますが、真っ昼間お天道様に見ていた だくのは初めてで、 ちょっと恥ずかしかったですネ……」              そう言ってニッコリ笑った。    事あるごとに司令部に対して例外を認めさせてきた脊振山サイトが、また新たに「ストリッ プショー」という例外を作った楽しい一日であった。  脊振山サイトは一般基地と違い、勤務時間以外は基地内での飲酒は黙認されていた。司令部 でも例外として認めざるを得なかったのである。外出して、ちょっと一杯というわけにはいか ないからである。ちなみに、アメリカ軍から引き継いだNCOクラブを改造した食堂兼娯楽室 も、新設された共済組合の娯楽センターでも、売上高のトップは酒類であった。
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