自衛隊こぼれ話

    消 防 訓 練

 隊長の武者2佐は帝国陸軍の歩兵科出身であり、訓練の厳しさには定評があった。 「何と言っても、最後に頼れるのは自分の足しかない!」 と、言うのが口癖で、毎朝隊員の先頭にたって駆け足を実施していた。オペレーションに往復 するのにも、ジープを使用せず徒歩であった。

 サイト移管業務が完了し、 アメリカ軍の兵舎地区に移転してからは、今までの駆け足に加え て消防訓練が開始された。最初は基礎訓練である。朝礼が終わると、4名1組のチームを作ら せる。そして、各チーム毎にホース2本を延ばして筒先を結合させ、放水までの秒時を競わせ るのである。幹部・曹・士の区別なく全員である。ところが、なかなか上達しない。その原因 はホースの結合方法が「嵌合式」ではなく「ネジ込み式」だからである。  合理主義のアメリカ軍にしてはお粗末な消火栓であった。その上これだけでは水は出ない。 ポンプ小屋に担当者を走らせ、ガソリンエンジンを起動して水圧を上げる必要がある。何とも 手間のかかる訓練であった。  モータープール横の小高い所に大きな貯油タンクが設置されていた。ここから各建物にパイ プが引かれている。この設備は暖房用の灯油を送るためのものである。脊振山のアメリカ軍の 兵舎では真夏でもストーブを焚いていた。多分乾燥用であろう。これだけの設備を作るくらい だから、その気になれば防火用の水槽を作り、ハンドルを回すだけで放水できる消火栓を作る ぐらいは簡単なはずである。  ところが、これは人間よりも設備の方を大切にする日本人的な考え方である。アメリカ軍で は日常の生活環境をより大切にする。一旦火災が発生しても、人員の救出は重視するが、人命 に直接被害を及ぼさない建物等の消火には関心が薄いように思われた。  カマボコ兵舎は小さくて、両側に出入口があり〈EXIT〉の大きな表示がある。だから、 人員が逃げ遅れることは先ずないとの判断から、消火栓の設備はあまり重要視されなかったの であろう。  基礎訓練が終了すると、次は防火演習である。早朝といわず、夕暮れといわず、予告なしに 防火演習が実施された。私がその「火付け役」を命じられていた。基本的な実施要領以外は場 所や時間などの細部は、隊長に事前に報告する必要もなくすべて任されていた。  暇を見ては場所を選定して、疑似火災の準備をしておく。発煙筒などの資材は配分されてい ないから、燃え易い木切れを集めたり、廃油をぼろ布に浸して準備していた。場所の選定も難 しい。施設からあまり離れ過ぎると、単なる焚火となって実感が湧かない。だからと言って、 あまり近過ぎては本物の火災になる恐れがある。風向きや強さには特に注意を払っていた。  皆より早く起きだして、オペレーション近くのドラムヤードまで行って廃油に火をつける。 近くの警衛所に勤務中の隊員が発見して、当直幹部に連絡する。当直は、サイレンを鳴らして 全員を起床させ、消火用具を担いで2キロの道を火災現場に走る。  普通の指揮官なら、これ1回で「状況終わり」「解散」となり、防火演習は終了する。とこ ろが、武者隊長の本領はこれからである。皆が火災現場に向かって走っている時、「火付け役」 の私は、隊舎地区に向かって走っている。連続して次の火災を起こす指示を受けているからだ。 訓練は容赦なく徹底的に実施された。  ある朝、例によって皆より早く起きて、前日準備した木切れに火を付けようとした。ところ が、なぜか火が付かないのである。よく調べると、木切れは雨も降らないのに、ビショ濡れで ある。誰かがタップリと水をかけて、燃えないようにしたに違いない。  別の場所に回ってみたが、ここも同じである。私の行動は完全に読まれていたのだ。無理も ない、皆疲れているし眠いのだ。それならばと、自分が起き忘れたことにして、またベッドに 潜り込んだ。  またある日、夕食をすませ幹部宿舎でくつろいでいた。すると、突然サイレンが鳴り始めた。 「あーぁ、またか! いいかげんにしてくれ!」 「会計班長、今度の火事はどこですか?」 と、声がした。だが、もう誰も立ち上がろうとしない。  私はシマッタ! と思って飛び出した。 「火付け役」の私に覚えがないのだから、本物の火災だ。てっきり演習用の残り火が再燃した と思ったのだ。食堂の横まで駆け上がると補給事務室から煙が出ている。飛び込んで見ると、 事務室と奥の倉庫との仕切りのカーテンがくすぶっている。補給係の隊員が消火器を使って消 し止めた直後であった。原因は漏電らしい。  訓練のおかげで、機敏な消火活動ができたことを喜ぶべきか、「狼少年」の故事を危ぶむべ きか、難しい問題を残した事件であった。      *  武者隊長の言行は単に部下に厳しいというより、若手幹部を教育することに重点が置かれて いるように見受けられた。訓練の厳しさの割りに、空曹や空士に対して、個人的に叱責するよ うなことはなかった。ただし、若手幹部に対しては非常に厳格な指導を行っていた。  ある時、コントローラーの川口3尉に基地防衛計画の作成を命じた。幹部教育の一環である。 彼はでき上がった計画書を持参して隊長の机の上に置いた。しばらくこれを黙って眺めていた 隊長は、 その計画書を取るとポーンと突き返して、 「俺はポストじゃないぞ!」 と、怒鳴りつけた。  常に隊長の意図を事前に察知して行動していた私は、日ごろから隊長の心理はある程度読め ると自負していた。ところが、この時ばかりはその言葉の意味を理解しかねた。川口3尉も困 惑した顔でポカーンとしている。 「なぜ、内容を説明せんのか!」 と、怒鳴り声が続いた。なるほど、手紙ならポストに投げ込めば、後は黙っていても郵便局員 が処理してくれる。しかし、俺はポストではないから、ただ書類を置いただけでは駄目だとい う意味らしい。それにしても、これは言いがかりに近い。

 ところで、隊長の言わんとすることを推察すれば、計画書の良否もさることながら、書類は ただ黙って置くのでなく、 一言簡単な要点の説明をすれば、俺が計画書を読まなくても概要を 承知することができる、との教えであろう。当時の脊振山サイトの若手幹部は大変であった。
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