自衛隊こぼれ話

    航空自衛隊入隊 

      昭和29年、自衛隊法が成立して陸・海・空の自衛隊が誕生した。従来の保安隊が陸上 自衛隊に、海上警備隊が海上自衛隊に改編された。ところが、航空自衛隊にはその母体と なる組織がない。そのため最小限の基幹要員を、保安隊と海上警備隊から配置転換した。 次に必要隊員の募集を開始した。まず幹部要員が募集され、次に空曹・空士と続いた。  昭和30年2月14日、私は第1期空曹学生として、山口県防府市に開設されたばかり の「航空自衛隊第1航空教育隊」に入隊した。ここで集まってきた連中を見てびっくりし た。予科練の残党が顔を揃えていたからである。  予科練同期の甲飛12期生では、三上を筆頭に岩本・西部・浅井・東村がいた。 さらに 後藤・富永・光峰・渡辺・片岡・難波など、甲飛13期生以下の後輩も多数顔を揃えてい る。戦後すでに10年を経過したが、結局《特攻くずれ》は一般社会には馴染めなかった のであろうか。
前列左から3人目田中先任。右から2人目浜田班長。前から2列目左から5人目筆者。
「3等空曹に任命する。第1航空教育隊第4中隊所属を命ずる。第1期空曹基本課程学生 として受講を命ずる」  これが航空自衛隊で最初に受けた命令である。旧帝国海軍の上等飛行兵曹も3等空曹に 格下げされたのである。当時の制度では旧軍の下士官はすべて3等空曹に格付けされてい た。(公募空曹4期生から旧軍の階級に格付けされた)  俸給は日額計算で3曹1号俸は日額315円、月1万円にも満たない金額であった。た だし、旧軍隊と同様に衣・食・住付きだから、止むを得ないと諦めるしかない。  第4中隊の先任空曹は田中1曹(1等空曹)であった。     「俺が第4中隊の先任空曹である……」 と、型どおりの挨拶が始まった。続いて、 「第1期生5個中隊の中でも、俺が最も先任である。だから、他の中隊の班長などから注 意を受けて、俺に頭を下げさせるようなことは決してしないでもらいたい……」 おやおやっ……、この挨拶の形式は帝国海軍における独特の「言い回し」である。案の定、 彼は終戦後直ちに復員船の乗員となり、海上警備隊を経て、今度新設された航空自衛隊に 基幹要員として転換してきたのである。 「しまった!」あの時、佐世保から引き返さないで復員船に乗り組んでおれば、上等飛行 兵曹に格付けされ、 そのまま進級しなかったとしても1等空曹に転換できたのだ。10年 の差は大きい、「後悔先にたたず」とはこのことである。  各班長は保安隊からの転換者で、高校を卒業してすぐに警察予備隊に入隊した者が大半 である。したがって、学生であるわれわれの方に年長者が多かった。だから、班長の方が 学生に気を使うという状況であった。とは言うものの、そこは旧軍の経験者である、自主 的に行動して、やるべきことはきちんと実行した。だから、班長や先任空曹に迷惑をかけ ることはなかった。    ところが、中隊長その他の幹部は、旧軍時代の階級を資格として、つい2〜3月前に入 隊してきたばかりの公募幹部が大部分である。そのため不用意に「将校」とか「下士官」 などと旧軍隊時代の用語をそのまま使うので、言葉尻を取ってみたり、慣れないアメリカ 軍の訓練方式について、不必要に質問をしては立往生させて喜んでいた。    また、旧軍隊とは違って課業時間以外は、班長に気を使う必要もなく全く自由であった。 隊内での飲酒だけは禁止されていたが、すべてアメリカ軍方式で行われ、ゆとりある内務 生活ができた。もちろん制裁などあるはずがない。    基本教練でも、号令や動作などはアメリカ軍の方式を一部手直ししたもので、旧軍隊と は異なるところが多く、慣れるまでが大変であった。特に傑作なのは敬礼である。旧軍時 代には「上級者」に対し敬礼を行うと、教えられていた。ところが、自衛隊の礼式によれ ば「階級」とか「職務」に対して敬礼を行うと定められている。たとえ下級者であっても、 教官の配置にあれば教室では上級者から敬礼を受けることになる。 要するに、敬礼する対 象は人物ではなく、「階級」や「職務」なのである。  4週間にわたる空曹基本課程を終わり、航空自衛隊の組織や任務その他内部の様子がほ ぼ理解できたところで、各自の職種と所属部隊が決められた。希望のパイロットの配置は アメリカ空軍と同様に、幹部自衛官でなければ駄目だと分かりがっかりした。幹部候補生 の選抜試験に合格して、早く幹部になる以外にパイロットへの道は開けないのである。  聞けば、復員後大学に進学した者は、大学卒業の資格で最初から幹部として入隊するこ とができ、Rコース(経験者パイロットコース)で操縦訓練を受けているという。やはり 大学には行くべきであった。と、またまた後悔を始める始末であった。    空曹の職種はアメリカ空軍に倣って、多種多様に細分化されていた。旧海軍では一つの 職種が、自衛隊では三つ四つに分かれている。例えば、帝国海軍での主計科の職種は、航 空自衛隊では会計・厚生・給養・補給・総務などの職域に分割されていた。  腰掛けのつもりで会計職種を選んだ。将来パイロットを目指すことを考えれば、航空機 整備などの職種が妥当であろう。しかし、屋外で油に塗れる仕事よりも、事務室での勤務 の方が勉強できると踏んでの選択であった。 
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