戦後60年、8月15日の追想 甲飛14期生 筒井昭一 60年前、私は千歳海軍航空隊に所属しており、飛行場に集合して、天皇陛下の玉音放送 を聞きました。陛下の声は良く聞き取れなかったのですが、「耐え難きを耐え、忍び難きを 忍び」というお言葉はかすかに聞き取れました。 兵舎に帰って、遠藤上等兵曹のお話によれば、戦争をやめた所謂、終戦の玉音放送だった ということでした。 当時千歳基地では、サイパン島奪還作戦遂行を期して、8月15日に実行すると言うこと で、佐世保から3,000人の日焼けした海軍の陸戦隊が集結していましたので、半信半疑 のまま飛行作業は8月26日まで続行していました。 処が午後になって、鹿屋基地から逃げ帰って来て緊急着陸した飛行機があり、そこで初め て戦争が終わったことが理解できて、飛行作業は中止されました。 夕刻、飛行兵は直ちに帰郷せよとの準備命令が出され、27日に臨時軍用列車が千歳駅を 出発することになりました。 列車は北海道を出て、日本海側沿いに走り北陸本線から東海道本線に出ました。途中一般 人も乗せていましたが、博多駅に着くまでは軍用列車として運行されました。この間広島駅 に一時停車した際に見聞したのは、大きな枯れ木と現在の原爆ドームの焼け落ちた痛ましい 姿でした。駅から見える範囲は一面の焼け野ヶ原となっており、後刻これが原子爆弾による 災害と知り、身の毛肌が震える思いがしました。 私は20年1月、岡崎航空隊から千歳に派遣され、千歳航空隊は第十二航空戦隊に所属し、 海軍中将宇垣究明の指揮下にあり北東航空隊として、大橋恭二大佐の下に行動していたので ありました。 終戦の当日夜、ある一等下士官が軍刀を振り回して暴れる一幕もあったそうですが、皆の 制止によって一応収まったようでした。 千歳航空隊(実施部隊)での予科練実習生は、午前は課業「分隊士等の講話」(講話の中 で、小さなマッチ箱程度の小型爆弾が製造されていたらしいが、資金不足のため沙汰止みに なったらしいとの噂を聞いた記憶があります。)午後は実習(零戦や一式陸攻機体の分解整 備と試運転)が主でした。 暖かくなった4月頃からは千歳神社のある山の下に隧道を縦横に掘って基地の兵舎を構築 する作業の手伝いに、一般隊員と一緒に隧道掘りに参加して手伝うように指示され、毎日駆 り出されていました。 7月頃にはトラックに乗り、物資等の搬送を命じられ、帯広方面や隧道基地等を往復して、 食料等を隧道内の宿舎に運んだりしていました。8月になって、航空管制塔の作業に従事す ることになり、8月15日の終戦の日を迎えることになったのです。 (追録) サイパン島奪還作戦について、陸軍の落下傘部隊として有名だった、園田 直氏(熊本県 天草出身)が千歳基地に足跡があった事がわかりました。色々と調べた処つぎの様な事であ りました。園田大尉は偵察機で三沢に集結していましたが八月の初め、当時の聯合艦隊司令 長官小沢冶三郎中将は、この頼母しい園田部隊に対して「全軍総特攻の秋が来た、陸海軍が 心を一つにして、サイパンに一大痛撃を加えようではないか」と訓示され、園田隊を「天雷 特別攻撃隊」と命名したとあります。 海軍では選り抜きの搭乗員をもって、一式陸攻二十一機より成る園田飛行隊を編成する模 様で8月10日、千歳東飛行場に終結していて15日の終戦を迎えました。 参考までに、園田大尉は終戦後代議士となられ厚生大臣もなされたことがあり、国の為に 大変尽くされた方のようです。 平成17年9月21日 筒井 昭一 昭和19年11月当時。
長島君の受賞記念に同期生が集う。平成10年2月13日(壱岐郡郷ノ浦町)。
戦友からの手紙 平成18年8月。 昭和20年1月、私が千歳海軍航空隊に所属していた時の親しき戦友から頂いた手紙に、 平成15年6月現在の、航空自衛隊第2航空団(千歳基地)を戦友が視察されその想い出を、 別添の基地案内図と説明書きを、次の様な内容で送られてきました。 案内図にある「雪中廊下」の両翼に連なる、一分隊のデサキを始め、機関室(暖房用ボイ ラー室)やその他の施設を、案内の自衛隊員から詳細に説明を受けたとのこと。 「雪中廊下」のコンクリート通路だけは、現在もその機能を充分に果たしていた由。なお そのほか主な施設が沢山存在していたのには、大変な驚きと懐かしさ、同時に感銘を受け たとあります。 先ず基地に隣接していた航空廠の飛行機格納庫=古びた今にも崩れそうな板塀の工場= 二つ並列した飛行機格納庫=半地下の燃料庫=800キロ魚雷格納庫=司令部庁舎=庁舎 屋上の2連装高射機関砲台座跡=誘導路:掩体壕:等々。58年前の施設がこれほどまでに 残存し利用されていたとは、夢想だにせず驚きの連続でした。 当然のことながら、新設された格納庫やF15J・DJ邀撃戦闘機を主力とする、最新鋭 機のコックピットなども見せてもらいました。目次へ戻る[AOZORANOHATENI]