余 談
人物〔633〕 はじめまして。 坂井三郎氏は一般の評価とは裏腹に、海軍関係者には評判が悪いと聞きましたが、 ほんとうでしょうか? ☆特撮オタク 「眉唾ものだ」と著作の内容を評したのを聞いたこどかあります。特に鍛錬によって、 昼間に星が見えるようになった話です。話を聞いた大多和達也、氏は、予科練出身の 雷撃機のパイロットです。真珠湾攻撃にも参加しました。ちなみに氏は『予科練一代』 光文社NF文庫刊の著者です。 著書『大空のさむらい』には、終戦当時のことが書かれていません。その前に終わ っているのです。その理由は、終戦後にアメリカ軍機を撃墜していて、書きたくても かけなかったからだそうです。 また、坂井氏はよく、士官と下士官兵の待遇の差を批判していました。特に食事に 関して。これは、個人的に旧制中学を中退して、海軍パイロットとしては、最下層の、 操練から出発した影響が大きいと、私は想像しています。 世が世であれば、旧制中学校を卒業して、海軍兵学校へ入学、正規の海軍将校とし て、パイロットになっていた、との思いが大きかったのでしょう。 大多和氏は「士官と下士官兵の差は仕方の無いものだった」と語っていました。 ★霞ヶ浦の住人 便乗質問ですみませんが、自衛隊関係者は坂井氏をどう評価しているのですか? ☆なっとう この場所で個人の評価は馴染みません。個人の評価は個人によって異なります。 メール頂ければ私の意見を申しあげます。 ☆蒼空 これはあくまで私の個人的な考えですが、もしも他の海軍関係者が坂井さんに対して 心情的に同調できない何かを抱かれたとすれば、それは戦後、他の海軍航空関係者の多 くが、戦争の影を引きずり、心に深い傷を負いながら、それぞれ別の第二の人生を歩ま れたのに対し、坂井さんは前半生の体験を最大限に活用し、名声を得、地位を築かれた ことでしょう。 しかし、それは坂井さんの持つ「生存者中の最高位の撃墜王」という価値によるもの であり、また、国民の多くがそれを望んだからであって、坂井さんが悪いわけではあり ません。強いていえば、多少しゃべりすぎたとか、高齢になられるにしたがって、以前 に話されていたことと矛盾する話が出てきた、といった程度の話であり、この程度のこ とは他の人にもあることです。 ある特定の人がいわれた言葉の上面だけを取り上げて、すべての関係者が悪く思って いるような印象を与えることは慎むべきであり、故人のみならず引き合いに出された人 をも冒涜することになると思います。 多少説教じみた話になりますが、お許しください。 ☆土屋二飛曹 このような話は坂井氏に限らずいろいろあります。生き抜いて戦後、手記を残し評判 になったような人物(例えば撃墜王とか名将とか呼ばれたような)に対しては賞賛同時 にそれと同じくらい多くの批判がなされています。 このあたりは土屋二飛曹さんの言われるとおりと思います。あの源田中佐に対する評 価などはその象徴的な例ではないでしょうか。 ここで個人的な考えを言わして頂くとすれば、下士官、兵と将校の対立は永遠に続い ているようです。下士官の手記を読むと「下士官、兵は常に第一線で戦ってきた。支え ていたのは我々である。それを将校のまずい指導であのようなことになってしまった。」 というような意識があるのが読み取れます。 また、兵学校出身者の手記を読むと「特務士官や予備学生に対して育ちの悪い成り上 がり(失礼ですが)が何を言うか。本当の軍人は我々である。」というような意識があ るように感じます。 少々、言い過ぎかもしれませんがこのあたりは蒼空さんのコメントがいただければ幸 いです。いずれにせよ「良い評判しかない人物ほど信用できない」などという話もあり ますし、人の評価とは難しいものです。 ☆二式水戦 坂井さんの不幸は、そもそも自分が書いたものではない本が自分の著書として出版さ れ、図らずもそれがベストセラーになってしまったことにあります。本人も実際に書い た人も明言されていたことで、秘密でも何でもありませんが、「坂井三郎空戦記録」 「大空のサムライ」、それぞれ別のゴーストライターが書いた本です。 当然、フィクションも多く含まれていて、事実とは異なる記述が散見されます。晩年 の三部作はご自分の手によるものでしたが、それ以前の著書と論旨が矛盾をきたしてい て、内容もやや的外れな、エキセントリックな人物批判(しかも相手の本人が死んでか ら)が多かったように思います。 そして何より、坂井さんの戦後の関係者間の立場を失わしめたのは、ネズミ講の広告 塔になってしまわれたことです。詳しく書き出すと切りがありませんので、このへんで。 某先輩搭乗員の、海軍での退職金を持ち逃げされたとか、決してクリーンな第二の人生 とは行かなかったところが惜しまれます。お会いしたら愉快で気さくで厳しい人でした けどね。 ☆木下昌彦 あゝ青春零戦隊 1793 返信reply 資料かどうかわかりませんが Jack 2005/05/14 03:19 58-70-117-238.eonet.ne.jp はじめまして。 資料になるかどうかわかりませんし、もうご存知かもしれませんが、 光人社NF文庫の「あゝ青春零戦隊」(小高登貫)において、 著者の小高氏が特攻隊の戦果確認機として出撃、特攻隊員の突入を 見届けたというエピソードが載っております(P203〜) 何かの参考になれば幸いです。 1794 返信reply Re:資料かどうかわかりませんが 蒼空 2005/05/14 06:29 p4094-ipad36fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp http://www.warbirds.jp/senri/ ANS,Q 「あゝ青春零戦隊」の真偽。 をご一読ください。あゝ青春零戦隊 1985-8 光人社
「あゝ青春零戦隊」の真偽。 11月上旬の比島方面の出撃状況を調査しました。残念ですが、11月中旬には、小高氏 の空母攻撃に該当する記録は見つかりませんでした。「あゝ青春零戦隊」で10月21日 の「大和隊」の出撃で、久納中尉以下6機の体当たりを、鈴木上飛曹が確認したと記述し ていますが、史実と相違があります。また、小高氏が直掩戦果確認に飛んだと書いている、 杉浦1飛曹・山中上飛・新井上飛も特攻戦死者名簿に該当者がおりません。 記録抜粋。 11月1日 神風 桜花隊 マバラカット基地発。 11月1日 神風 梅花隊 ニコルス基地発。 制空隊 48機 ニコルス・クラーク基地発。 11月2日 神風 第二桜花隊 アンヘレス基地 零戦・紫電延べ40機オルモック湾上空哨戒。 11月3日 零戦6機タクロバン基地攻撃。セブ基地発。 11月4日 零戦23機タクロバン基地攻撃。セブ・クラーク基地発。 11月5日 神風 左近隊 マバラカット基地発。 神風 白狐隊 マバラカット基地発。 敵艦載機述べ約430機マニラ・クラーク地区空襲。 零戦・紫電68機邀撃。 11月6日 敵艦載機述べ約100機マニラ・クラーク地区空襲。 零戦の神風2隊 マバラカット基地発。敵発見できず。 11月9日 敵艦載機述べ約100機マニラ・クラーク地区空襲。 零戦の神風2隊 マバラカット基地発。敵発見できず。 11月12日 神風 梅花隊 セブ基地発。 神風 第二白狐隊 レガスピー基地発。 神風 時宗隊 マバラカット基地発。 神風 第五聖武隊 セブ基地発。 11月13日 敵艦載機述べ約480機マニラ・クラーク地区空襲。 神風 正行隊 マバラカット基地発。 11月14日 敵艦載機マニラ・クラーク地区空襲。 神風 山本隊 アンヘレス基地発。 11月18日 神風 第八聖武隊 セブ基地発。 11月19日 敵艦載機述べ約360機マニラ・クラーク地区空襲。 神風 第九聖武隊 セブ基地発。 神風 第二朱雀隊 ニコルス基地発。 神風 高徳隊 マバラカット基地発。Ans,Q 別室へ [AOZORANOHATENI]