蒼空の果てに

            偵察席から操縦できるのか? (15−12−10)

 「海軍くろしお物語」福地周夫著から抜粋。
 このとき、萩原大尉機から、つぎのような電報がきた。
「操縦員戦死。われ、これに代って機を操縦し帰艦しつつあり」

 九七艦攻で偵察員席からの操縦は不可能です。また、偵察席から操縦席へ移ることも、
構造上できません。但し、飛行機はタブ(修正舵)を調節することにより、一定の時間水平
飛行を続けることは可能です。

  負傷した萩原大尉機の操縦員は、せめて偵察員と電信員だけは助けたいと思い、飛行機
を母艦の方位に定針し、タブを調節したあとに息が絶えたと推察します。こうすることで、
着艦はできなくても附近に着水して駆逐艦に救出されるからです。

 このような状態でも通信は可能です。「操縦員機上戦死セルモ、ワレ帰艦シツツアリ」
と発信したとします。これを受信した母艦の電信員は、受信紙を艦橋の通信長に渡します。
通信長がこの電文を読み上げた場合、操縦員が戦死したのに帰還しつつあると云うことは、
萩原大尉が操縦しているのだと誤解した者がいたとしても不思議ではありません。

 我々操縦員は飛行中は常に、操縦桿を放しても飛べるようにタブを調節していました。
水平飛行の場合には、タブの調節はやや下げ舵にします。間違っても上げ舵にはしません。
上げ舵だと、だんだん機首が上がって失速するからです。但し、雷撃の際にはやや上げ舵
にセットします。要するに、操縦員は状況に応じて常にタブの調節を実施していたのです。

 萩原機の場合は、タブの調節によって少しずつ高度を下げながら帰投していたが、遂に
高度が不足し、操縦員の願いもむなしく、母艦に到着することができずに着水して水没し
たものと思はれます。
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