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蒼空の果てに

         特攻隊員の名誉のために

 終戦に際しては、命令を無視して徹底抗戦を叫ぶ「厚木事件」を筆頭にしていろいろな 混乱がありました。大井空でもガンルーム士官の一部が、軍刀で野良犬を切ったり、附近 の立ち木に切りつけたりして暴れていました。  われわれ搭乗員は、あり合わせの酒や缶詰などを持ち寄っての酒盛りでした。しかし、 酔っ払って暴れるような雰囲気ではありませんでした。今まで胸に痞えていた物が取れて ホッとした気分でした。死に直面した重苦しい生活から解放されたのです。先に逝かれた 方々には申し訳ないと思いながらも、「助かった!」「もう死なずにすむんだ!」これが 本音でした。  生還は認められず、如何にして有効な「体当たり攻撃」をするかのみを考えていた特攻 隊員と違って、生還が前提であり自分の判断で戦闘に参加したり離脱することができる、 邀撃戦闘機の連中には、別の意識があったと思います。徹底抗戦を叫ぶ檄文が、302空 の銀河によって各基地に撒かれました(本文参照)。しかし、特攻待機から解放されて安堵 していた、われわれ特攻隊員は、「何を今更!」との思いが強く、賛同する者は居ません でした。  戦後の混乱は宇佐基地でも同様だったと思います。終戦の報に悲憤慷慨した一部の士官 がその夜、行きつけの中津市の料亭に押しかけて酒を飲み、興奮の余り軍刀を抜いて床柱 や鴨居に切りつけたとしても当然の成り行きです。その痕跡は今も残っているそうです。  先年その料亭の刀痕がテレビで放映されました。ところがその刀痕の由来を「特攻隊の 下士官が、出撃の前夜につけたもの」と解説していました。私は特攻隊員の名誉にかけて、 この話を否定します。  理由1.軍刀の所持について。  映画などで、軍刀を片手に飛行機に乗りこむシーンを見かけます。地文航法を行う陸軍 は別として、推測航法で洋上を飛行する海軍の搭乗員は、軍刀を機内に持ちこむことはあ りません。理由は羅針儀が狂っては正確な航法ができないからです。また、海軍の士官は 正装の場合は軍刀ではなく、短剣を釣リました。陸戦隊要員である兵科の士官は、編成に 際してのみ軍刀を装着します。しかし、下士官兵は軍刀を持ちません。例え下士官で軍刀 を持った者が居たとしても、「外出員整列」の所持品検査で、持ち出しは禁止されます。  理由2.料亭の立入りについて。  海軍では士官と下士官兵の遊興の場は画然と区別されていました。料亭は士官の専用で 下士官兵は立入ることはできません。下士官兵は海仁会の集会所か軍指定の食堂で飲食し ますが、士官と違って酒の提供はありませんでした。但し、隊内で配給された酒類を隠し て持出すことはありました。  理由3.軍の規律について。  宇佐空で編成した特攻隊が出撃したのは、4月6日から5月4日の間です。その当時、 まだ軍の規律は厳重に保たれていました。外出して民間の器物を損壊すれば、巡邏に検束 されます。また憲兵隊の職務も機能していました。体罰によって軍規を叩き込まれていた 下士官兵が、酒の上とは云っても軍刀で床柱や鴨居に切り付けるなどとは論外です。また、 軍刀は刃こぼれして使えなくなります。  終戦の混乱時には軍規は乱れ、憲兵隊の威厳は失墜し、その上警察もまだ軍には遠慮が ありました。だから、この時期にはいろいろと理不尽な暴挙が行われたのです。また軍刀 にしても、どうせ占領軍に接収されるのだから、刃こぼれなど問題ではなかったのです。  以上述べたように、料亭の床柱や鴨居の刀痕は、決して特攻隊員の付けたものではあり ません。恐らく終戦の混乱時に興奮した一部の士官から付けられた刀痕を、宣伝のために 特攻隊員の名を利用したものと思います。
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