着陸(艦)指導灯
着陸指導灯について
海軍の飛行術練習生では「定所着陸」という訓練項目があります。これは白い布板で、
航空母艦の飛行甲板を想定した巾40メートル長さ200メートルの区画を造り、ここへ
着陸する訓練です。この際、操縦員が着陸の目安とする、青赤の着陸指導板が設置されま
す。(谷田部空・定所着陸訓練参照)
着陸指導板の巾は約30センチで長さは約2メートルの板で、青と赤に塗られています。
(芝生の飛行場では青でなく白) 青板は地面に置かれ、赤板には約1メートルの台が付け
られています。そして、青板と赤板を見通した角度が4・5〜5・5度になるよぅにセット
します。飛行機が降下する角度です。風速によって角度を調節します。これらを「定着マ
ーク」呼んでいました。
定着マークの関係位置。
操縦員は青を自分に見たてます。青が赤の下に見えれば低すぎで、青が赤の上に見えれ
ば高すぎです。一番手前の布板(艦尾マーク)を通過した所で、エンジンを絞って引き起こ
せば、指導板の横ぐらいに接地します。
夜間飛行の場合は、布板に代えてカンテラで位置を示します。、指導板は青と赤の電球
を並べた着陸指導灯に替えてバッテリーに繋ぎます。これを「夜設」と呼びます。この赤
と青が逆になったら大変です。この青と赤の関係位置は陸上基地も母艦も一貫して同じで
す。海軍では、将来航空母艦に発着することを目的に、基礎訓練の段階から「定所着陸」
を実行しているのです。
夜設関係位置図。
百里原空の実用機教程では、常時定着マークがセットされていました。編隊飛行であろ
うと、発射運動であろうと、着陸はすべて定所着陸です。飛行場に帰ると、「定着マーク」
の位置と方向を確認し、高度を下げながらその右側上空を通過して「誘導コース」へ入り
ます。真上を通過しないのは、「定着マーク」が見辛いからです。夜間飛行の場合も同様
です。「夜設」の右上空に進入して「誘導コース」を回ります。
「誘導コース」は原則として左回りです。これは、母艦の「着艦指導灯」が左舷に設置
されているため、見易いからだそうです。但し、陸上飛行場の場合はその地形等に応じて
設定されていました。格納庫や高い煙突を避けて、反対側に廻るのが定石です。だから、
風向によって右回りか左回りかが決まります。但し、館山基地は例外でした。北側の湾内
を水上機隊が使用するため、陸上機隊は東西滑走路を使う場合、風向にかかわらず南側の
山の上を飛んでいました。しかし、夜間飛行の際には事前に水上機隊と調整して湾内上空
を飛ぶこともありました。
夜間飛行の裏方
海軍の搭乗員で夜間飛行が出来なければ一人前とは云えません。大井空時代は、昼夜入
れ替えで、毎日のように夜間飛行訓練が実施されました。この場合、裏方の任務が重要で
す。先ず「飛行指揮所」と「夜設」の設営からはじめます。
「飛行指揮所」の設営は、偵察員の役目です。指揮官の椅子を置き、その後にバンコを
並べ搭乗員の待機所を作ります。指揮所の位置を示すため、吹流しの竿の先に白灯を付け
ます。通信連絡用のオルジスをバッテリーに接続します。見張用の眼鏡の準備も必要です。
操縦員は「夜設」の準備を行います。日頃手入れしているカンテラを並べ「着陸指導灯」
を風力に合わせて設定します。これらの作業は暗くなる前に行う方がやり易い。だから、
夕食が終わると直ぐに準備に掛っていました。
飛行作業が開始されると、カンテラに点火し、「着陸指導灯」をバッテリーに繋ぎます。
これで「夜設」準備は完了です。谷田部空や百里原空の練習航空隊では、夜間飛行訓練が
終了するまで「夜設」は点けっ放しでした。ところが大井空では、夜設係はその場に待機
します。そして、指揮所からの指示で点けたり消したりするのです。これは敵の夜間空襲
に対処するためです。
出発準備のできた飛行機は、オルジスを指揮所に向けて予め指定された自己符号を発信
します。「‐― ‐― 」これを見て、発着係は「イワテ出発よろしきや」と指揮官に伺
います。指揮官は離陸地帯に障害のないことを確認して「イワテ出発」と令します。発着
係は「イワテ出発」と復唱しながら、「‐― ‐―」とオルジスで送信します。これを受
けた飛行機は「‐― ‐―‐」と返送して列線を離れ、離陸地帯へ向かいます。発着係は
「イワテ出発りょーかい」と指揮官に報告します。
帰投した飛行機は「夜設」を確認して「誘導コース」に入ります。第3コース指揮所の
正面附近から「―‐‐‐ ―‐‐‐」と送信してきます。発着係は「ハルナ降着よろしき
や」と指揮官に伺います。指揮官は着陸地帯に異状のないことを確認して「ハルナ降着」
と令します。「―‐‐‐ ―‐‐‐」発着係の送信に対して「―‐‐‐ ‐―‐」と返送
してきます。「ハルナ降着りょーかい」発着係は指揮官に報告します。
このように裏方の活躍で夜間飛行訓練は順調に進行するのです。これらの作業は担当者
が逐次交替しながら実施されます。そして、これらの作業を「指揮所要務」と呼んでいま
した。
着艦指導灯について
ある著名出版社の「軍用機シリーズ」の本を読んでいて、アッと驚きました。それは、
航空母艦の着艦指導灯の青と赤の色が逆になっていたからです。飛行時間数千時間を数え
る艦攻操縦員が、指導灯の色を忘れたわけではないと思います。彼の著書も誤って書かれ
ています。恐らく彼は、自分で原稿を書かず、口述して書かせたのでしょう。その時彼が
勘違いして説明したのか、それとも筆記者が聞き違えたのか何れかだと思います。
予科練時代の班長田島二整曹は、戦闘機整備員として「赤城」に乗り組み、真珠湾攻撃
に参加された方です。事あるごとに当時の話を聞かせてくれました。将来我々が母艦に乗
り組んだ際の参考になればとの配慮からです。母艦の構造や艦内生活それに発着艦の要領
など、整備員の立場からの所見です。
百里原空の艦攻実用機教程での飛行隊長、後藤大尉も「赤城」雷撃隊第二小隊長として
真珠湾攻撃に参加された方です。天候の都合なので飛行作業が中止になると、当時の状況
や母艦の運用それに発着艦の要領などを講義されました。
九〇三空の艦攻隊にも母艦経験者が数人いて、パートの雑談で貴重な体験談を聞かせて
頂きました。我々が飛練を卒業した十九年末には、空母艦隊の組織的運用は絶望となり、
母艦勤務はなくなりましたが、知識だけは先輩から受け継いでいました。
先ず着艦収容から説明します。攻撃隊が帰投すると、母艦のマストに「吹流し」が半揚
されます。「母艦風ニ立ツ」即ち「着艦準備中」の意味です。発着艦は全て風に正対して
行われます。陸上基地ではある程度の横風にも対応できますが、狭い飛行甲板に着艦する
には横風は禁物です。飛行甲板の先端にある蒸気噴出し口から流れる蒸気の流れで、風に
正対するように操艦します。
次に飛行甲板上の風速です。本来の風速と艦の速力による「合成風速」が15メートル
になるように、母艦の速力を調整します。風に正対し「合成風速」15メートルに整合で
きた時点で「吹流し」を全揚、1−5の信号旗が揚がります。「着艦準備完了・合成風速
15メートル」の合図です。
この合図を確認して、飛行機は着艦操作に入ります。高度を250メートルまで落とし
て母艦の右舷上空を通過しながら編隊を解散します。編隊解散は一番機が小さなバンクで
列機に合図を送り増速先行し、左旋回で誘導コースに入ります。二番機は速度をやや落と
し直進しながら一番機と間合いをとり、約1,000メートルの間隔を開けて追従します。
三番機は左に方向を変え、二番機との間隔を約1,000メートルに開いて続行します。
誘導コースに入ると先ず脚を出します。
母艦の後方1,000メートルに駆逐艦(別名・トンボ吊り)が随航しています。この
上空が第四旋回点です。これを目安にして第三旋回の位置を決めます。第三旋回が終わる
と昇降舵タブを調節しながらフラッブを降ろします。 この時点では既に5.5度にセット
された着艦指導灯が視認できます。次にフックを降ろします。
陸上基地での離着陸訓練と着艦訓練での違いはこのフックにあります。陸上基地での訓
練ではフックを降ろしません。だから着艦の際に迂闊にもフックを降ろすのを忘れること
かあるそうです。発着艦指揮官はフックを確認して、降ろしてない機には、信号灯で短符
を連送して注意を喚起します。早く気が着けばフックを降ろしますが、間に合わなければ
着艦の遣り直しです。
第四旋回を終わり、機首角アップ2度、気速65ノットでパスに乗ります(九七艦攻の
場合)。 母艦に軸線を合わせ、着艦指導灯の赤灯と青灯が横一線になるようにして降下し
ます。艦攻の偵察員は、高度計と速度計を交互に読みながら操縦員に協力します。偵察員
は最後に艦尾通過を確認して「艦尾代った」と叫びます。
正常なパスに乗って降下すれば、艦尾の位置で眼高7メートルです。操縦員はエンジン
をカットして引き起こします。母艦の艦尾には「艦尾張出し」といって翼のように張出し
た部分があります。着艦の際に操縦席から艦尾の位置が分るようにする為のものです。
着艦すると、フックを巻き上げフラップを揚げます。プロペラを高ピッチに切り替えて
直ちにエンジンを停止します。寸秒を争う忙しさです。この間に整備員は翼を折りたたみ
ながら前部リフトへ運びます。この時点で次の機は既にパスの中途にあります。
航空母艦の運用について。
「空母瑞鶴の生涯」豊田穣著からの抜粋。
午前九時、私は偵察員の山下博中尉を九九式艦上爆撃機の後席にのせて、富高基地を離
陸して高度五〇〇で東方に一〇分ほど飛んだ。瑞鶴は北北東に走っていた。空母に着艦す
るには、秒速一五メートルの向い風を必要とする。空母が三〇ノットを出せば、対気速力
は秒速一五メートルとなる。
「艦爆一代」小瀬本國雄著から抜粋。
「合成風速十五メートル」南さんの落ち着いた声が伝わる。第三旋回を終わって高度をさ
げながら(以下省略)
この時飛行甲板上は、合成風速 (吹いている風と母艦が風に立って高速航行中の為起き
る風と合わせた一秒間の風速をいう) 十五メートル、それに前方の試運転中の飛行機が全
速回転でもしようものなら、三十、四十メートルの突風となり、うっかりしていると吹き
飛ばされてしまう。(以下省略)
戦後夥しい数の戦記が出版されています。母艦勤務体験者で、合成風速15メートルで
の発着艦を否定された方がおられましたら、お目にかかりたいです。
私が発着艦の合成風速15メートルに拘る理由は、Ans,Q 本館での私の説明に対して、
母艦は全速航行するとか、14メートルだったとかの書き込みがあったからです。確かに
私は着艦経験はありません。しかし、飛行術練習生で艦上攻撃機操縦員に指定されて以来、
「母艦ではこうだ」「母艦ではあゝだ」と、常に母艦を基準にした訓練を受けてきました。
百里原空当時の飛行隊長は、真珠湾攻撃に「赤城」雷撃隊の小隊長として参加した、後藤
仁一大尉でした。
実施部隊でも、パートでの雑談の中心に座るのは、母艦経験者の体験談でした。「母艦
ではこうだった」「母艦ではあゝだった」と熱っぽく聞かされてきました。そのため、耳
学問だけでは母艦搭乗員に匹敵する知識を持っていると自負しております。私自身は前述
のとおり母艦の経験はありません。しかし、艦上攻撃機の操縦員として一応の教育は受け
ております。疑問・質問のある方には当時の状況を解説致したいと思っております。
母艦が飛行機を発艦させる場合には、風に正対して合成風速15メートルに定針します。
一番軽い戦闘機でも飛行甲板が最低18メートル必要です。雷装の艦攻は100メートル
以上ないと発艦できません。発艦直後に高度が下がるのは、フラップの収納がやや早すぎ
たためと思います。
攻撃隊が帰投すると、マストに吹流しを半揚します。これは、着艦準備中の信号です。
風に向かって変針し、実風速5メートルなら20Kt. で走航し、合成風速15メートルに
定針します。そして、吹流しを全揚し黒球・1・5の信号旗を掲げます。これは、「着艦
準備よし。合成風速15メートル」の合図です。記録映画など見る場合マストの旗旒信号
に注意してください。
ではなぜ合成風速15メートルなのか? 母艦の最高速力は各艦によって違います。し
かし、操縦員にとって母艦毎に発着艦の操縦要領が違ったのでは混乱し危険を伴います。
だから合成風速15メートルに統一し同じ条件で発着艦ができるようにしているのです。
但し、航海長の風速計を見ながらの操艦には、ある程度の誤差は生じます。しかし、基準
はあくまで15メートルです。
陸上基地での定着訓練や夜間飛行の夜設では、着陸指導灯のパス角度は、風速に応じて、
4.5度から5.5度にセットして訓練を行います。母艦の場合は合成風速15メートルを
基準にして着艦指導灯のパス角度は6.5度に設定されています。
着陸指導灯のパス角度の目安。 風速0〜4⇒4.5度 風速5〜7⇒5度
風速8〜10⇒5.5度 風速11〜13⇒6度 風速14〜16⇒6.5度
複数の空母の艦隊行動でも発着艦の際には、同じ方向へ同じ速力で走航するので艦隊の
運用にも支障はありません。
強制収容(連続着艦)について。
空母が飛行機を収容する場合、着艦した飛行機をリフトで格納庫に降ろして次の着艦準備
をします。中にはうまくパスに乗れずにやり直す機もあって大変時間がかかります。そこで、
緊急時には強制収容(連続着艦)の方法がとられます。
強制収容では一機ずつリフトで降ろすのでなく、着艦した飛行機を甲板前部に溜めて着艦
を急ぐのです。これらの飛行機に着艦を失敗した飛行機が衝突しないため、母艦の艦首から
四分の一程度のところに設置された制止索(バリケード)を活用するのです。
強制収容の場合、着艦する飛行機はやり直しはできません。制動索に掛からなかった飛行機
を、このバリケードで停止させるのです。この方法で短時間で多数の飛行機の収容が可能と
なったのです。