被服・装備品等
飛行服とライフジャケット。
飛行服には夏用と襟に毛皮の付いた冬用がありましたが、当時は何れか一着が貸与されて
いました。これらは上下繋ぎでしたが、新しくズボンと上着が別々な物もありました。寒暖
の差は下着で調節します。通常は事業服の上に着用し、その上にライフジャケットをつけま
す。そして、飛行機に搭乗する場合には落下傘バンドを装着します。
夏用飛行服・冬用飛行服とライフジャケット。
背後から見たライフジャケット。
マフラーについて。
高度千メートル上昇する毎に気温は六度下がると言われています。要するに上空は寒い
のです。そこで飛行服と飛行帽の間、即ち首筋から顔面にかけての防寒用に首巻が貸与さ
れていました。防寒以外にも火災の際に防炎の役目も果たします。しかし、写真のように
野暮ったいもので、私物のマフラーが使用されていました。
大巾一丈の白羽二重が主流でした。中には派手な色に染める者もいました。絹は防炎効
果にも優れていると聞いていました。また、防寒や防炎以外にも役目がありました。海上
に不時着した場合、末端を体の一部に結んで流すことで、鱶の攻撃から身を護るのです。
鱶は自分より長いものは襲わない習性があるそうです。また負傷した場合の、止血や包帯
としても使用できます。
戦後作成した映画など見ますと、マフラー本来の用途を知らず単に伊達に巻いていると
思っているらしく、非実用的な巻き方をしているのを見受けます。マフラーは実用品です。
単なる飾りではありません。
防寒用襟巻き(部隊貸与品)と私物のマフラーを比較してください。
落下傘バンド及び落下傘。
飛行服と飛行帽や飛行靴それにライフジャケットは個人に貸与されますが、落下傘バンド
は部隊装備品で原則として落下傘の数だけしかありません。だから搭乗の際には、そのつど
交替で着用することになります。
この落下傘バンドは操縦席用と偵察・電信席用があり、形状が異なっています。それは、
落下傘の形状が違うからです。その区別はあまり知られていなくて、間違った記述や描写が
見受けられます。戦中に撮影された有名な「ハワイ・マレー沖海戦」の映画でも混同したと
ころがありました。そこで、その形式や使用方法を簡単に説明します。
搭乗員用の落下傘が開くと左図のようになります。
偵察員・電信員用は鋼索一本が背中から伸びてその先が落下傘
に接続しています。 落下傘の操作は不可能で風まかせです。
操縦員用には2本の布ベルトの先に落下傘が装着されています。
落下傘の白い索の中に4本の赤い索があり、それを操作するこ
とで多少は方向を変えることができます。しかし、当時の搭乗
員の訓練には落下傘操作の実習はありませんでした。だから、
緊急事態には風まかせの落下が普通でした。
偵察員・電信員用落下傘バンド。
右肩に落下傘とバンドを繋ぐ鋼索が見えるのが、偵察員・電信員用の落下傘バンドです。
それを後ろから左肩に回して前に落とし、バンドの左下にある袋に先端の接続金具を入れ
ます。この鋼索の有無で、映像や写真から操縦員と偵察員・電信員何れの配置か見分ける
ことができます。
偵察員や電信員は、偏流測定・爆撃照準・航法・電信・旋回機銃その他、いろいろ位置
を代えながら作業を行ないます。立ったり座ったり狭い機内を動き回る訳です。そのため、
操縦員のように腰に落下傘を装着したままでは作業の邪魔になります。だから、機上作業
に便利なように落下傘は常時装着せずに、非常の場合に接続するのです。
普段は落下傘バンドの袋に接続金具を入れておき、脱出の際に座席に置いた落下傘に接
続します。そして、落下傘を抱えて飛び出します。そのとき落下傘の開傘索(自動曳索)は
あらかじめ座席に繋いでいるので、抱えて飛び出せば開くようになっています。自動曳索
が切れていたりして、開かないときは落下傘についているレバーを引くことで手動でも開
くことができます。これを手動索と呼んでいました。 写真は正面からみた落下傘バンド。
落下傘の正式名称は、八九式三型分離式手提型落下傘。
操縦員用落下傘バンド。
操縦員用を前からみた写真。
これをみると落下傘バンドの形状がよく分かります。腰の少し上に輪
になった金具がみえます。これが左右両側にあり、操縦員用の落下傘
との接続金具です。偵察員・電信員用の落下傘バンドには、この輪が
ついていません。だからここを見ればすぐに区別がつきます。操縦席
に座ると先ず、フットバーの調節を行います。次に座席に置いてある
落下傘の、両側から出ているベルトとバンドの接続金具を繋ぎます。
次に、座席バンドを締めて腰を安定させます。落下傘は座席に連結し
た自動曳索で開く仕掛けです。緊急のときは風防を開けて飛び出すだ
けです。勿論操縦員用の落下傘にも手動索はあります。
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操縦員用落下傘バンドを後方から見た写真。
背中で交わったバンドの下に当て布があるのが分かる。
この当て布があるのが操縦員用落下傘バンドの特徴です。
偵察員・電信員用の落下傘バンドには当て布はついていません。
さらに、バンドが交わった個所に鋼索が取りつけられています。
後ろからでも、違いを見分けるのは容易です。
当て布に日章旗を縫い付けいるのは識別用。
操縦員用落下傘は三種類が使用されていました。
1. 八九式二型座席型落下傘
2. 九七式二型座席型落下傘
3. 零式二型座席型落下傘
左図のように落下傘バンドと落下傘が着脱できない一体型もありました。
飛行指揮所の天幕の後方に、落下傘バンドの棚が置かれています。飛行機に搭乗する前
に、この棚から搭乗配置に応じたバンドを選んで装着します。飛行が終わると、指揮官に
報告し搭乗割にX印を記入してから、バンドを外して棚に戻します。写真のように、飛行
指揮所が天幕であることや、落下傘バンドの棚が仮設なのは、風の方向により列線の位置
や飛行指揮所の設置を変更するからです。
落下傘は飛行作業が終わると、飛行機から降ろして格納庫内の収納場所に保管します。
落下傘は定期的に開いて乾燥させ、再び折りたたみます。この作業は搭乗員の担当でした。
この際、所定のカードに整備年月日と作業担当者の氏名を記入して、責任の所在を明確に
していました。
制服について
海軍の制服には一種(冬服)と二種(夏用)がありました。制帽は夏季には白の日覆を着けて
いました。普段の作業着は白の事業服です。この写真は、私が鹿児島空に入隊した際、郷里
の先輩と隊内の写真室で写ったものです。事業服が私、下士官と兵の二種軍装が先輩です。
二種軍装と事業服。
飛行予科練習生の制服。二種(夏用)と一種(冬用)。通称「七つ釦」
19年の末ごろから、事業服に代って三種軍装が支給されました。本来は陸戦用の服です。
飛行中の生理。(小便袋)
大型機は別として、我々小型機の搭乗員は飛行中の用便には苦労しました。まず海軍は、
飛行術練習生の時から身体の方を順応させます。午前飛行作業の場合には、朝食の水分を
控え、午後飛行作業の場合には昼食の水分を控えます。そして、約4時間の飛行作業中、
用便は我慢します。これで4時間程度は用便なしで行動できる体質ができあがるのです。
実施部隊でも自分の搭乗割に応じ、自分で体調を整えます。しかし、実施部隊では任務
の性格から4時間以上の飛行は避けられませんでした。この場合、小便袋を用意します。
903空時代の記憶をもとに説明します。形状は、図形Aのとおりです。直径約5Cmで
長さ約10Cmのボール紙の筒の下に、セロファン紙の袋が付いていました。携行する場合
は袋の部分を筒の中に押しこんで、図形Cの形でポケットに入れて携行します。
使用後は図形Bのように二つ折りにして、機外に捨てます。捨てると云っても簡単では
ありません。下手をすると風圧によって逆に機内に散乱します。艦攻操縦員の場合、偵察
席と電信席の風防が閉まっていることを確認し、操縦席の風防を少し(2〜3センチ)開き
ます。するとベンチュリー管と同様の原理で、その隙間から機内の空気が吸い出されます。
これを利用して、手を出さずに捨てるのです。(高速走行中の自動車で試してください)
偵察員は簡単です。偵察席の床には爆撃照準器をセットする窓があります。これを開い
て投棄します。電信員は最後尾の風防を少し開いて投てます。失敗しても他人に迷惑はか
けません。
中には横着な操縦員もいます。操縦席の風防を開き過ぎると、そこから乱気流となって
風が吹き込んできます。小便袋の投棄などできません。だからコッソリと床に流すのです。
偵察員がフト見ると、黄色い液体が流れてきます。「オイ!操縦員!燃料が洩れてるぞ!」
という笑い話も残っています。
またある報道班員が、「待機中の搭乗員が緊張のあまりしばしば用便に行った」と書い
た記事を読んだことがあります。しかし、頻繁に用便をするのは緊張のためではなくて、
常に膀胱を空にして、体調を最良の状態に保つためです。「緊張のあまり」は報道班員の
誤解だと思います。
よくサイダー瓶を使う話がありますが、これは実用的ではありません。自動車の運転席
などで、ご自分で一度お試しになれば納得いけると思います。
最近、交通渋滞対策に用便袋が開発されて販売されています。「備えあれば憂いなし」
しかし、使い勝手は悪そうですね。