♪雷撃隊の歌♪

蒼空の果てに

雷撃の理論と訓練

雷撃訓練について  雷撃訓練は先ず、単機ごとに行う「発射運動」から始めます。次に、編隊による 攻撃に移ります。これを「襲撃運動」と呼んでいました。  「発射運動」は、高度2,000〜2,500メートルで標的に向かい、距離10,000メート ルから降下旋回しながら突撃を開始します。高度100メートル距離1,000メートルで 魚雷発射、標的前方まで直進して次に上昇旋回で退避します。訓練の目標は、発射 高度50メートル、距離800メートルです。海面の見え具合で発射高度を、標的の見え 具合で距離と発射角を会得する訳です。  次は「襲撃運動」の訓練です。1箇中隊9機か、2箇中隊18機で進撃し、指揮 官の「トツレ(突撃準備隊形作れ)」の命令で、予め決められた攻撃隊形を作ります。 次に「トトト(突撃せよ)」の命令で、全機一斉に敵艦に向かって突撃を開始し魚雷 を発射します。  「突撃準備隊形」には「馬蹄形包囲陣」と「扇形挟撃」がありました。「馬蹄形 包囲陣」は指揮官機を先頭に単縦陣になりながら、馬蹄の形に敵艦を包囲する陣形 です。「扇形挟撃」は指揮官機を中心に各機5度間隔に開き、敵艦に向かって散開 します。両翼が増速して先行し敵艦を包囲します。「扇形挟撃」は「鶴翼の陣」と も呼んでいました。             魚雷発射! 雷撃の照準について  雷撃の要領については、本文6−1で説明しております。但しこれは表向きの話 です。ここでは、雷撃の照準理論や照準器の使用、それに実際の照準要領などにつ いて、そのうら話を紹介致します。  雷撃は爆撃に比較して照準が難しい。その原因は平均42ノットの魚雷の速度に あります。敵艦との距離1000メートルで発射した魚雷は、敵艦が直進した場合、 その予測位置に達するのに46秒を要します。その間に敵艦は回避が可能なのです。  だから、極力接近して発射する必要があります。しかし、あまり接近しすぎると、 魚雷が調定深度で安定走行する前に艦底を通過する結果となります。これらの点を 考慮して、当時は800〜1000メートルでの発射を基準にして訓練が実施され ていました。  また、「馬蹄形包囲陣」や「扇形挟撃」など、同時多方面から発射することで、 回避行動を困難にする戦術が考案されていました。それでは、個々の雷撃機はどの ような照準をしていたのでしょうか。その点を解説致したいと思います。  泊地攻撃は別として、航行中の敵艦を雷撃する場合、敵艦の速度を測定して魚雷 の到着時の敵艦の位置を想定して照準することになります。雷撃照準器はこれらの 諸元の組み合わせで発射角度を設定するようになっています。  ところが、敵艦の速力が速く、発射距離が短いほど照準角度は大きくなります。 その結果、操縦員が照準器を覗くために、目の位置を大きく右か左に寄せて操縦す ることになります。これでは安定した操縦はできません。横滑りしながら発射した 魚雷は直進しません。だから照準器は角度の設定はできても、直接照準の役には立 ちません。  敵艦の速度の判定は雷撃の重要な要素です。これはウエーキの形状などで判断し ます。艦攻搭乗員は地上教育で、徹底的に訓練を受けます。また、実艦を標的にし た雷撃訓練も実施します。ウエーキの形状で速度を推測するのは写真などで説明を 受けます。しかし、実物を体験する以上の訓練はありません。  次に照準です。前にも述べたとおり、雷撃照準器は発射角度によっては使い勝手 がよくありません。
 魚雷が1000メートル走るのに約46秒を要することは既にのべました。敵艦 が30ノットの場合は、46秒で約690メートル進みます。20ノット場合だと 約460メートルです。だから、30ノットの場合約690メートル前方を狙って 魚雷を発射しなければなりません。(関係図参照) また800メートルまで接近して発射した場合、約37秒で到達します。すると、 30ノットの場合約550メートル、20ノットだと約370メートル前進します。 しかし、1000メートルだ、800メートルだと云っても、天山の場合は1秒間 に120メートルも飛行します。発射は一瞬の判断です。
 図を見れば分るように、照準器を使用できるのは敵艦との角度の関係がDやEの
位置にあるものに限られます。では、AやB・Cの位置にいる雷撃機はどのように
照準すればよいのでしょうか。

 問題は照準器を使わず何処を狙うかです。30ノットの場合690メートル前方
を狙えばよいのですが、問題はその目測です。我々が教えられたのは、敵艦の速度
が30ノットの場合は、戦艦や航空母艦の全長を200メートルと見て、その3倍
前方を狙えと教えられました。25ノットの場合は約2倍半前方、20ノットだと
約2倍前方です。

 これはあくまで基準です。戦闘航海中の敵艦の速力は25ノットから35ノット
と巾があります。それに戦艦や航空母艦にしても、全てが200メートルとは限り
ません。また射点からの距離が1000メートルと800メートルでは敵艦の前進
距離も変わります。これらの諸元を瞬時に勘案して修正し、敵艦の移動する位置を
予測して、その仮定の目標に向けて魚雷を発射するのです。

 魚雷発射後の雷撃機は敵艦の前方を突き切ることになります。映画などで敵艦の
上を通過するシーンがありますが、停泊艦攻撃以外に艦上を飛ぶことはありません。
敵艦の約500〜600メートル前方を、海面スレスレに突き切ることになります。
魚雷を発射したあと、そのままの方向へ1000メートルを飛行するのに、九七艦
攻では12秒、天山では8秒しかかりません。

 図で見れば分るように、魚雷発射後、全機が一点に集中するのです。雷撃訓練中
に空中衝突事故が多発し、多数の殉職者を出した理由が理解できると思います。

  当時1ノットを秒速に換算する便法として、1ノット≒0.5メートルで計算して
いました。30ノット≒15メートル。20ノット≒10メートル。多少の誤差は
ありますが、即時に答がでるので重宝していました。(1浬1,852メートル)


               九一式航空魚雷

☆九一式航空魚雷の諸元。

形 式  全長(m) 重量(s) 頭部長(m) 頭部重(s) 炸薬量(s) 射程(m) 雷速(kt)  
九一式  5.270  784.   0.958    213.5    149.5     2,000.    42.       
同改一  5.270  784.   0.958    213.5    149.5     2,000.    42.       
同改二  5.470  834.   1.158   278.5    204.     2,000.    42.       
同改三  5.250  848.   1.460   323.6    235.     2,000.    42.     
同改五  5.710  848.   1.460   323.6    235.     1,500.    41.       
同改七  6.270 1,060.   1.900   526.     420.     1,500.    41.     

※ 九一式航空魚雷の直径は 45.p で不変。これは投下器との関係だと思います。
 

☆九一式航空魚雷の発射について解説。

1、魚雷発射。
 天山は爆管式、97艦攻は投下索を引く。 抱締解除落下。
2、魚雷が機体を離れると同時に、魚雷発動桿が抜ける。
 縦舵機・安定機のジャイロが発動する。横舵はまだ固定。
3、海面突入時。
 框板・空中舵は海面突入の際に離脱。
 推進機 (二重反転スクリュー) 制止解除。
 機関冷走開始 (圧搾空気の圧力で走る)。
 横舵制止解除・深度計発動。
 機関熱走開始 (射入による圧力で発動板が倒れ燃焼機が発動)
 頭部爆薬の安全装置解除。
九七艦攻に搭載された、九一式航空魚雷 (框板は装着されていません)。
艦底起爆装置  魚雷は水中を走り、艦の水面下の舷側を破壊する兵器です。各国はこの魚雷対策 として、舷側の防御力を強化しました。そこで、防御の脆弱な艦底で爆発させる装 置の開発が行われました。これが艦底起爆装置です。  これは、昭和8年頃から呉魚雷実験部でその開発が進められました。昭和9年夏、 九三式酸素魚雷での実験が行われるまでになりました。これが「三式爆発尖」です。  昭和17年「一式起爆装置」として制式に採用され、九二式電池魚雷の実用頭部 四型に用いられました。また、昭和18年には、九一式改七魚雷の三式実用頭部に 採用され、実戦に用いられました。 実戦のうら話  「調定深度」の設定を始め魚雷の調整や搭載はマーク持ちの整備員が担当します。 搭乗員は投下試験を行う程度です。マレー沖海戦のうら話を紹介します。マレー沖 海戦で、プリンスオブウエールスを雷撃した元山空の飛行隊長中西二一少佐(海兵 57期)は、われわれが飛行術練習生当時、谷田部空の飛行長の職にありました。 卒業を控えたある日の訓話を要約します。  マレー沖海戦で猛烈な対空砲火を浴びながら、一発必中を期すため沈着にも雷撃 をやり直して命中させた逸話は当時有名でした。帰投後の調査で、大小数十カ所の 弾痕があったそうです。ところが、実情は照準が決まらずにやり直したのではなく、 魚雷が落ちなかったのが原因だったそうです。飛行長が自分の恥を晒してまでわれ われに伝えたかったのは、「魚雷にしろ爆弾にしろ投下試験は、操縦員が必ず自分 自身でやれ、整備員任せにしてはいけない」と云うことでした。  百里原空時代の第二飛行隊長は、後藤仁一大尉(海兵66期)でした。真珠湾攻撃に は「赤城」雷撃隊の第二小隊長として参加された歴戦の勇士です。われわれは飛行 作業や座学などを通じて薫陶を受けました。  母艦の発着艦の要領を始め、攻撃隊の編成や空母の運用など、実戦談を交えての 訓話は楽しみの一つでした。真珠湾攻撃のうら話を紹介します。  後藤機は二小隊長であったが、真珠湾へは左旋回で突入したため、指揮官機より 前に出て、真っ先に魚雷を発射したそうです。そして、敵戦艦群のマストを舐める ように掠めて退避したそうです。ところが、奇襲のはずだったのに、敵の対空砲火 は既に火を噴いていたそうです。日曜日の早朝なのに待ち構えていたと言う訳です。
陣中談義へ 信号・通信・時鐘
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