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[262] 戦争論3 | 投稿者:長崎―武蔵 | 投稿日:2003/10/02(Thu) 21:10:47 |
小林よしのり氏の漫画本ですが、特攻隊の話では
読む内に涙が出ます。
当時の若者の純粋さがよく理解できますし、彼の書く
飛行機の絵は--零戦、99艦爆、97艦攻など正確です。
資料に基づく良く検証された漫画本と思います。
戦争論1,2,3と読破しましたが、漫画といえど
ここまで正論述べた本は少ないのでは?まだの方は是非御一読を。
蒼空 > お知らせありがとうございます。早速手配致します。 (2003/10/03(Fri) 15:01:38) |
[263] 特攻隊 | 投稿者:宇都宮 | 投稿日:2003/10/11(Sat) 22:05:39 |
蒼空様
しばらく、ご無沙汰致しました。元「赤坂正史」です。
今年の夏も戦記映画がたくさんやっていまして、その中で、大東亜戦争に
関する物では「あゝ同期の桜」「人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊」の二本
を観ることが出来ました。どちらとも英霊の遺書や遺稿をもとにして作ら
れているようです。
「あゝ予科練」という映画もあるそうなので、機会があったら観てみたい
と思います。NHKは終戦特集スペシャルで、十四期飛行予備学生の遺書
を何故か縮めていました。國神社に関する部分を省いたのです。縮める
ならば、ご遺族の許可を取ったのか不思議でなりません。
[262]で長崎―武蔵様がおっしゃる通り、小林よしのり氏の『戦争論』
シリーズは力作です。「過激」「戦争賛美」「特攻隊美化」などと中傷され、
物議を醸した本です。
「英語版」ですが、協力すると言っておいて、中々出来ずにいました。
時間があれば極力協力したいと思いますので、宜しくお願い致します。
私のHPは、興味本位の「軍装」HPに過ぎなかったので、削除致しました。
他にも、より優秀な軍装に関するHPはありますので。
今では読書三昧です。『雲ながるる果てに』と國神社の『英霊の言乃葉』
を熟読しております。蒼空様の『白菊特攻隊』も拝読しました。
結構前でしたが、大変感動しました。
最後に質問です。あるHPに次のようなことが書いてありました。
“(前略)これら特攻出撃部隊の少なからぬ人が、敵艦船に突入寸前、
「帝国海軍の馬鹿野郎」とか「帝国海軍を永久に呪う」などの電文を
打って死んでいったといいます。これが華々しかったはずの、
あの特攻隊の真の姿でもあると言われます。”
こんなことは本で見たこともありませんし、聞いたことも無いので嘘だ
と思っています。蒼空様はこの様な話を聞いたことがありますでしょうか。
今年の夏も國神社に行きました。同世代の者からは、「どうして國神社
なんかに行くんだ?」と疑問と冷笑の的です。どうやら、國神社は侵略者
を祀る軍国日本の象徴で危ない物だと、巷でマスコミが流す國論を鵜呑み
にしているようです。何だか怒るより虚しくなってしまいました。
この前は栃木県の護國神社にも行きました。郷土の英霊を奉悼致しました。
長々と失礼致しました。
蒼空
> ご来訪ありがとうございます。回答が長くなりますので、「陣中談義・うら話」 の「Ans,Q」に解説致しました。よろしく。 (2003/10/12(Sun) 10:29:35) |
宇都宮
> 早速拝読致しました。私も創作だと思います。 問題のHPの作者は略歴によると戦後生まれです。出鱈目な資料を信じてしまったか、 自分で創作してしまったのでしょう。有難うございました。 (2003/10/12(Sun) 12:53:00) |
[264] 満州の生活 | 投稿者:昭和53年生まれ | 投稿日:2003/10/15(Wed) 15:06:45 |
昨日、知合いの女性から話を聞きました。19歳まで満州で生活していたそうです。
親が満鉄の偉い方だったので生活は裕福だったそうですが、それでも私にとって
は驚くような話ばかりでした。家をロシアの司令部にすると奪われ、長屋に移って
の暮らし。女性は強姦されるので外も歩けず、常に男の格好をしていたり。
(髪も短く坊主の子もいたそうです)その方の友人は強姦されそうになり、
母親の目の前で母親に渡された青酸カリで自殺したそうです。
街では中央軍と八・・(忘れました)がまだ闘いをし… もちろん日本人も参戦して
いたそうです。化学兵器を使用しなければ日本人が一番強い!そう思う。
やはり大和魂よ!と言っていました。まだまだ沢山の話をしてくれました。
どんどん体験者が減っていくから語りついで行かなくちゃいけないことが沢山ある
と思う。今、渋谷とかにいる子達に経験してもらいたいと言っていました。
長くなりますが、同時に他の人からも戦時中、整備兵をしていた、現在は和尚さん
のお話をほんの少し聞きました。多くの人を見送ってきたけど、誰も”天皇ばんざい”
と言っている人はいなかった…と。
そして、中にはヒロポン(こちらも名前忘れてしまいました)が薬を打って飛び立って
いた人もいたとのことですが…(これは本当なのでしょうか?
宇都宮さんの投稿にも似たようなことがあったのでH.P拝見してきました)ですが、
俺はお国の為に闘う!という気持は強くもっていたと言っていました。
また、厳しい訓練・制裁に耐えきれずトイレなどで自殺している方もいたそうです。
体験された方の話を直接聞けた事は私にとって大切な時間でした。
蒼空
> 私の姉も終戦の時満州にいました。帰ったときは男装していました。 飛行機が列線を離れるとき、「天皇陛下ばんざい」はなじみません。 当時「暗視ホルモン」と呼んでいたのが、覚醒剤だったと後で聞きました。 戦記は選別して読まないと、いいかげんなものがあります。 (2003/10/15(Wed) 15:41:52) |
昭和53年生まれ
> 蒼空様のお姉さんも満州にいらしたんですね。。。 えっと、確かに戦記や体験談というのは話手(書き手)と聞き手で多少の相違が 生じることもあると思います。戦争を知らない私は、話を聞きながら自分なりの 解釈で背景や心情を想像してしまう部分が正直多々あったと思います (2003/10/16(Thu) 10:20:29) |
昭和53年生まれ > 途中で送信してしまいました・・・間違った解釈や全てをうのみにせず、 蒼空様がおっしゃるように選別して読んだり聞いていきたいと思います。 ありがとうございました(^^ゞ (2003/10/16(Thu) 10:24:56) |
蒼空 > 私のHP特に「陣中談義・うら話」を読んでください。 (2003/10/16(Thu) 17:55:06) |
昭和53年生まれ
> 蒼空様のH.Pを開くのが私の日課になっております。 会社で時間のある時には必ず拝見しています。 陣中談義も読んではいたのですが。。。今一度読みなおしてみたいと思います。 この掲示板でのみなさんの意見や気持、蒼空様の1件1件のコメントが自分の活力に もなっています。 (2003/10/17(Fri) 14:06:32) |
[265] 初めてお便りいたします | 投稿者:朝凪 | 投稿日:2003/10/17(Fri) 00:46:25 |
貴ホームページ拝見いたしました。
私は30歳になる者です。予科練を志願した父がいます。
私の父は予科練を志願したものの、その年の夏、終戦を迎え、出征出来なかった
そうです。終戦後、大学に入学しなおし、さまざまな紆余曲折が有り・・・
私はそのような父が晩年になってからもうけた子供です。
戦時中、父は、家族を守りたい一身に大事に備え、防空壕に入る際も就寝時も、
日本刀を傍らにしていたと聞きます。先日、父が俄に癌に侵されました。
父の為に、自分には何が出来るか右往左往していまして、「最後の親孝行」と
言うキーワードでWEB上を検索しましたところ、ふとこのHPを発見しました。
昔から父は、私の生活や勉強に乱れがあると、途端に鬼のように厳しく、
握り拳を何回も振り上げ叱り飛ばされ、近所でも評判でした。
そんな父の事が何かの折にふと冷たい人間だと思った時もありました。
ですが、このHPを拝見しまして、父が私に対して「自分の人生を真剣に生きて
欲しい」、「もっと覚悟をもって人生を歩んで欲しいのだ」と言うメッセージ
が抱いていたのかもしれないと思い、父へ思いが急に胸に込み上げてきました。
自分の青春時代を黙して語らぬ父・・・その心底には、
同年代の大空に散った特攻隊の方々の心に相通じる何かがあるのだと・・・
きっと己に厳しくも、他者に優しい心があるのだと感じました。
昔から父が何かの折に、「同期の桜」等の軍歌っていた時があり、
それ故、私もそれらのフレーズを良く知っている為、周囲の古老には変わった
奴だと言われます。
今は唯、特攻隊の皆様、そして老い行く父に、人間としての懐の深さと暖かさに
脱帽する私です。未だホームページの全文を読みきれて居りませんし、
御著も拝見しておりませんが、是非機会を作り、読破いたしたく思いました。
出来れば、このホームページも病床の父にも見せてあげたいと思います。
蒼天様のご健勝、お祈りいたしております。
蒼空
> 朝凪様ご来訪ありがとうございます。「陣中談義・うら話」の「Ans,Q」へお立寄り ください。お父上に宜しくお伝えください。 (2003/10/17(Fri) 14:59:47) |
朝凪
> ご返事有難うございます。数年前、私が親の面倒を見る為、職を辞し帰郷した 事を、周囲は「甘えん坊、ボンボン」と揶揄しました。 都会より収入は減り、都会とは正反対の静寂な毎日です。 しかし、自分の親の死期を知り、今はやはり親の面倒を見てきて良かったと思っています。 父の目には、30歳になった私も、5、6歳の子供同様に見えるのだそうです。 (戦時体験を良く聞いておきたいのですが・・・)父が自分の青春時代の詳細を 語らないのは、戦争の現実を知っているから・・・だと思います。 最後の親孝行の答えを、蒼天様のお話や、隊の皆様の遺書の中に見出せたように思い ます。戦争の歴史だけでなく、その背景の人間性をここで教わりたいです。 重ねて蒼天様のご健勝、お祈り申しております。 (2003/10/17(Fri) 21:59:47) |
朝凪
> 本分中に置きまして、蒼空様のお名前を、蒼天と間違っておりました。 大変申し訳ございません。お許し下さい。 (2003/10/17(Fri) 23:31:35) |
k.mieko
> 朝凪様、いいお話ですね。涙が溢れてたまりません。こんないい息子さんを 持たれたお父様、素晴らしいお父様を持たれた朝凪様、羨ましいです。 (2003/10/28(Tue) 00:31:18) |
[266] Untitled | 投稿者:やよみ | 投稿日:2003/10/31(Fri) 10:24:44 |
お返事ありがとうございました。
今まで、「予科練」とは何か訓練のメニューの名前だと
思っていました。予科練生を略して予科練だったんですね!
蒼空
> 正式には、飛行予科練習生の略です。甲種・乙種・丙種と分れていました。 (2003/10/31(Fri) 17:10:25) |
[267] あえばとて・・・この詩をご存じありませんか? | 投稿者:Isseki | 投稿日:2003/11/05(Wed) 02:01:54 |
Issekiです。ごぶさたしております。(長文になります。ごめんなさい)
実は下のような詩の作者を捜しています。ご存じの方がいらっしゃったらお教えく
ださい。大東亜ー太平洋戦争中の1942年か43年頃、台湾の台南市に住んでいた、
今78歳になる母はある飛行士とつきあっていました。田中というのだそうですが
下の名前はどうしても思い出せないそうです。
その方から出撃の直前母にはがきか封書が届いたそうですが、その方はその後、
南方に出撃して戦死されたそうです。特攻隊員だったかどうかはわかりません。
お別れの言葉がありましたので覚悟の出撃だったのでしょう。その手紙の最後に
次のような詩があったそうです。母は元気なうちにこの詩の作者が知りたいと
いうのです。
私はインターネットで検索してみました。すると2、3のHPにその詩を掲載している
ことがわかりました。その方にメールして尋ねましたところ、今から40年ほど前に
ラジオ大阪の深夜放送でやっていた番組の最後に、担当のアナウンサーが必ず
朗読した詩だったそうです。
そこでラジオ大阪にメールで照会してみました。ラジオ大阪の担当の方は大変
親切で、そのときのアナウンサーに聞いてくれることまでしてくれましたが、やはり
作者はわかりませんでした。その代わり、そのアナウンサーが朗読した詩の正確な
表現というか字句を教えてくれました。
====ここから========
あえばとて 語るべき言葉なけれど
あわざれば 懐かしき人よ
あわずとて 忘るるいとまなけれど
あわざれば 離れ行くここちして
あうべき日のみ そぞろまたる
あ、あ、この心 何と名づけん
====ここまで========
私はこの詩を読むたびに万感の想いを胸に南の空に出撃していった若き前途有望
な青年たちの祈りを感じ、涙を禁じ得ません。
直接特攻隊のことではないかもしれませんが、もしやご存じの方がいらっしゃったら・・・
と思って投稿しました。
長文、失礼いたしました。どうぞよろしくお願い申し上げます。
200311050200
蒼空 > どなたか心当たりのある方、ご連絡をお待ち致します。 (2003/11/05(Wed) 08:44:50) |
hokamo
> この詩については何も知りませんが、なんと言う美しい詩なんでしょう。 思い当たることがあり、感動しました。 (2003/11/05(Wed) 21:45:29) |
紺碧の海
> はじめまして、みなさん。私も胸に秘めた思いがあり、それをいつか伝え なければと思いながら事情があり書き込みをためらっておりましたがこの詩に触れ、 心が揺れ動きました。 (2003/11/09(Sun) 13:12:02) |
[268] ある大佐の詩。 | 投稿者:忠納言 | 投稿日:2003/11/08(Sat) 13:34:25 |
初めまして。ある大佐の詩を読み、感動しました。この詩です。我が、友よ、
思えば、語り会った夜忘れず、今、我涙、止まらず、省略。という詩です。
この詩は、大佐の友人にあてたものです。
[269] war birdsから来ました | 投稿者:ユングマン | 投稿日:2003/11/10(Mon) 10:30:13 |
war birdsの質問コーナーで投書したところ、早速のお返事をいただき誠にあり
がとうございます。HP拝読させていただきました。ところで質問のつづきですが、
機種の振り分けの基準に技量を挙げておられましたが、戦闘機がもっとも技量
が要求されるのでしょうか。また、性格や学課の成績も考慮されるのでしょうか。
蒼空
> この回答はメールで個人的に行いたいと思います。メールをどうぞ。 (2003/11/10(Mon) 16:22:59) |
[270] 話してよかった | 投稿者:昭和53年生まれ | 投稿日:2003/11/20(Thu) 15:20:35 |
今日、会社の朝礼で3分間スピーチがあり、私がその当番でした。自分の番の
時に絶対に話そうと思っていたこと、それは鹿児島・知覧の特攻会館に行って
ものすごい衝撃をうけたことでした。若くして散った特攻隊のこと、その日から
知りたいと思って戦争のことをいろいろ調べたこと、そして現在の自衛隊派遣
の話をまとめて話してみました。たったの3分間なので、言いたいこと全ては
言えなかったけど、自分の思ってることや戦争のことを少しでも伝えられたら・・・
と思ってスピーチしました。今日の朝礼には30名くらいの人が出ていて、
(ちなみに私が一番若いです・・・)もちろん戦争経験者の方は誰もいません。
話し終わった後、5人くらいに、ものすごくいい話だったよ や 若いのに戦争を
考えられることがえらいと思うわ などと声をかけてもらいました。
うまく話せなかったけど、ほんの少しでも共感?!してくれた人がいたことがすごく
嬉しかったし、話ができてとてもよかったと思います。
自己満足に過ぎないかもしれないけど、つい書き込みしてしまいました。
蒼空
> 自分なりに物事を理解し、他人に発表できることは、素晴らしいことです。 今後とも勉強を続けてください。 (2003/11/20(Thu) 15:25:53) |
昭和53年生まれ
> ありがとうございます。今度、靖国神社にも行ってみようと 思っています。A級戦犯者も祭られているとのことですが、やはり一度足を運んで みたいと、東京にいながら25歳になって初めて思いました。隣の武道館にはLive とかで何回も行ったことあるのですが・・・・・ (2003/11/21(Fri) 15:33:23) |
ゆ〜ク〜
> 頑張りましたね〜3分間でまとめるのは、大変ですよ。武道館・・・ そうそう私も中、高が千代田区で割と近いところだったのです。 (創立記念体育祭を武道館でしました)靖国神社は・・・ 知覧の会館行って みたいですが、鹿屋の方はどんな感じですか?父の飛行帽が手元にあるのですが・・・ (2003/11/24(Mon) 04:06:00) |
蒼空 > ゆ〜ク〜様 お久しぶり お元気ですか? お陰でアクセス80000を突破致しました。 (2003/11/24(Mon) 07:16:43) |
昭和53年生まれ
> ゆ〜ク〜様。 千代田区の学校だったんですか? 私の妹も千代田区だった気がします 3分間じゃたりなくてもっと言いたいことあった んですが、でも3分でも伝わるものは何かあったと思っています。 ゆ〜ク〜様のお父様も特攻隊として飛び立っているのですね。生還されたそうですが、 お父様はどんな気持ちだったんでしょうか??私の祖父は陸軍として捕虜になり・・・ その当時のことを聞いても話したがりません。辛い体験を思い出したくないのかと 思います。でも、勝手ですが私は聞きたいのですが、それ以上何も聞けませんでした。 ゆ〜ク〜様のお父様の飛行帽、大切なものですね。いろいろな思いが詰まっているの ですしょうね なんだかものすごく身近になぜか感じてしまいました すみません・・・ (2003/11/25(Tue) 17:24:47) |
ゆ〜ク〜
> 蒼空様 元気ですよ。すごいアクセス数ですね。 これからも益々頑張って下さいね。 (2003/11/26(Wed) 01:26:43) |
[271] Re.昭和53年生まれ様 | 投稿者:ゆ〜ク〜 | 投稿日:2003/11/26(Wed) 01:42:43 |
小さい時から学校卒業した22歳まで東京でした。
25歳・・・・お若いですね。私もその頃は、卒業して名古屋に戻り、
音楽を教える事に必死になってた頃です。(遠い目・・・)
父は、昨年他界してしまいましたが
お爺様にお話を聞きたい、と思うあなたと違って
私は、父から逃げていた所があって、体をこわしてから
もう少し話しておけば良かったと後悔しました。 (T_T)
昭和53年生まれ
> 22歳まで東京にいらしたんですね。現在は名古屋に住んで らっしゃるんですか? 25歳になるって私の中でものすごく考えるものがありました。 その直前に知覧で特攻隊に出会ったんです。ほんとに、今まで後先も考えず、今が 楽しければいいじゃん!と思っていた自分がものすごくはずかしくなり、これからの 人生を新たに見つめて考えられるようになりました新たな人生観?! みたいなものが 見えました。 ゆ〜ク〜様のお父様はお亡くなりになられのですね。生意気なようで すが、いなくなってその存在の大きさに気づくことってあると思うのです。 今、ゆ〜ク〜様がもっと話しておけばよかった・・・ と後悔している気持ちはきっと 伝わっているかと思います。ご冥福をお祈りいたします。 私の祖父も今年心臓を患い少し元気がありません。話を聞きたくてもやはり聞けな いですが、この年になって戦争を考えられるようになったことだけでも、よかったと 思っています。戦争の話ではなくて楽しい話をいっぱいしたいと思っています。 また (2003/11/26(Wed) 14:31:58) |
[272] 演劇「同期の桜」 | 投稿者:k.mieko | 投稿日:2003/12/08(Mon) 19:52:32 |
皆さまの素晴らしいメッセージいつも拝見しております。
10月に、靖国神社で上演されました夜想会「同期の桜」を拝見しました。
終演後のレポート写真をUPしております。
よろしかったらご覧下さいませ。
蒼空
> 写真のご紹介ありがとうございます。 犬童君のご遺族にも見せてあげたいですね。 (2003/12/09(Tue) 06:53:57) |
[273] 真珠湾 | 投稿者:昭和53年生まれ | 投稿日:2003/12/09(Tue) 09:22:34 |
昨日は、真珠湾攻撃を行った日ですね。ちなみに妹の誕生日でした。
亡くなった祖父は、妹の誕生日は必ず覚えていました。
幼心に、なんで?!私の誕生日は覚えてくれないんだろう… と悲しく
思っておりましたが、今となっては、忘れられない日だったのかな?!
と思いっています。12月8日というのは、日本にとって、やはり大きな
意味のある日なのでしょうか?? ニュースなどでは、私が見た限りでは
一切取り上げられていなかったように思うのですが・・・・・
蒼空
> 大東亜戦争は風化しました。歴史に学ぶべきなのに、眼前のことに 一喜一憂しています。 (2003/12/09(Tue) 16:54:04) |
昭和53年生まれ
> 風化ですか・・・ 過去は過去でしかないのですかね。 歴史から学ぶべきたくさんの事があるのに、また同じ過ちを繰返す。。。。 (2003/12/12(Fri) 10:59:10) |
昭和53年生まれ
> 送信してしまいました(*_*; 過去にとらわれず先を 見つめることも必要だとは思いますが、忘れてはならない過去は沢山あると いうことをすごく実感いたしました (2003/12/12(Fri) 11:01:23) |
[274] 嬉しい出会い | 投稿者:k.mieko | 投稿日:2003/12/14(Sun) 15:47:14 |
蒼空 様、嬉しいお知らせです。
昨日、ネットを介して知り合った人達のある忘年会に出ました。
その会場で、下の蒼空様が書いて下さっています、編成表の中の
上保 茂さんの身内の方と出会いました。
大石は1番機、上保さんは2番機で同じ日に同じ場所から出撃した
もの同士の家族が、昨日前触れもなく出会った事になります。
当人達も基地で会話を交わしているはずですね・・・と言い、
思わず胸が熱くなりました。
上保さんの身内の方もこちらのHPをご覧になっているそうです。
蒼空様のご尽力が実を結びました。厚くお礼申し上げます。
☆八幡神忠隊編成表(宇佐航空隊)
http://www.warbirds.jp/senri/08tubasa/12inudoo/index.html
蒼空
> 宇佐空特攻隊員の濡れ衣を晴らしたくて、陣中談義の「終戦異聞」 に所見を述べています。ご一読ください。 (2003/12/15(Mon) 08:57:06) |
[275] 感謝お礼 | 投稿者:神尾 照臣 | 投稿日:2003/12/14(Sun) 21:12:49 |
初めまして。 私は甲12期(8月)鹿児島空、飛練37期生〈天草〉〜〈詫間〉の
三座水偵出身です。河童の陸上がりで、出水海軍航空隊に飛長で八重桜を
ひっさげて、ジョンベラ姿凛々しく教員配置。以来十三期後期生〈五人担当〉
の単独教程を終わると同時に赤トンボの特攻隊編成で、十三期前期生18年
10月入隊主体の特攻分隊に編入され、8月15日の終戦を迎えるまで、敵機
とは一度も交戦をしたことのないパイロットです。
しかし、予科練、飛練、特攻訓練と懐かしい、苦しい、情けない、やりがいの
ある、燃え上がる闘魂の思い出も一通りは味わっています。毎年の恒例で、
今年は福岡の原鶴温泉の泰泉閣に於いて、34回目の出水ひかりの会が、
盛大に開催されました。その折り、広島県の甲十三期生で 三阪 哲さんより、
白菊特攻隊を贈呈されました。
1ページ1ページを言葉には言い表せない程の感動で、読みました。
予科練の22分隊、江藤君、二村君、飛練で古田君、山下君、津田君の諸兄
の名前が出てくる度に、当時が走馬燈の様に脳裏をかすめていきます。
遅まきながら、貴兄の戦記に感謝しながら、50年ぶりに回顧録をひもとくこと
ができました。私も、予科練魂宜しく、あの普賢岳噴火の最中、4期16年間
島原市議を経験し、現在は悠々自適で、思い出の九三中練の水上機、陸上
機の模型などを製作しながら、地域の便利屋を自負して生きています。
益々のご活躍をご祈念いたします。
島原の 神尾 照臣
蒼空
> 10−11 鈴岡君の頁に飛練時代の貴兄の写真があります。陸上機の 連中は、谷田部空でも同じ4分隊で飛行訓練を受けたので記憶に残っています。 先年亡くなられた、島原市在住の中川昭則君は903空で一緒に勤務した仲です。 (2003/12/15(Mon) 08:49:22) |
[276] 感謝、お礼 | 投稿者:神尾 照臣 | 投稿日:2003/12/17(Wed) 11:34:39 |
蒼空さん 早速のコメント拝見しました。有り難うございました。
鈴岡君とも四.五年前にお会いしました。
中川君と一緒でしたか。彼は同じ中学の同級生で、彼が逝去するまで、
戦後の生活を関わり合いながら生きてきました。奥様が健在です。
[277] 連絡 | 投稿者:大淵 龍生 | 投稿日:2003/12/17(Wed) 20:11:06 |
永末さん
私は新聞記者で、大分県佐伯市とホノルル市の友情都市締結について記事
を送った者です。 ご指摘いただいた件について、お知らせしたくメールへの
書き込みをさせていただきました。
ご指摘の通り、赤松さんは戦時中は山口という姓でした。戦後、養子入りされ
て赤松姓になっておられます。記事では本人の希望で赤松と記述しましたが、
永末さんからのご指摘を赤松さんに伝えたところ、但し書きで旧姓・山口と
しても構わないということでした。
つきましては18日付け新聞にはそのように但し書きをさせていただきます。
赤松さんはホノルルから帰国された12日、疲労のため病院に入院されており
ます。幸いお元気で「永末さんという方とも昔の話がしたいので、病院に電話
をいただければ」と話しておられました。
連絡先は大分県佐伯市鶴岡町の長門記念病院=0972(24)3000です。
病院には26日朝までいらっしゃいます。とりあえず連絡までにて。
蒼空
> 世の中広くて狭いことを実感致しました。赤松氏のご自宅は、同期生 小野昭二郎君の隣でした。 (2003/12/18(Thu) 10:11:25) |
[278] 追伸 | 投稿者:大淵 龍生 | 投稿日:2003/12/17(Wed) 20:53:15 |
永末さん
赤松さんの一件で投稿させていただいた大淵です。
18日付けの記事中で、赤松さんの旧姓も但し書きさせていただくこうと検討
しましたが、文章の構成上、赤松さんの名前に言及する場面が登場せず、
旧姓の但し書きはできなくなりました。ご本人の意向に従って赤松さんと記述
してきたことをご理解ください。
赤松さん(旧姓・山口さん)の連絡先を改めて記しておきますので、よかったら
連絡をとってみてください。ご本人も「昔の話がしたい」とおっしゃってました。
大分県佐伯市鶴岡町の長門記念病院=0972(24)3000。 26日朝まで
入院しておられます。
蒼空
> ご連絡ありがとうございました。早速電話致しましたが、病院は8時以降 は取り次げないとのことです。明日電話致します。 (2003/12/17(Wed) 21:21:14) |
蒼空
> 今日、電話でお話し致しました。ご紹介ありがとうこざいました。 (2003/12/18(Thu) 10:13:41) |
[279] 一人の13期生の冥福を祈る | 投稿者:神尾 照臣 | 投稿日:2003/12/21(Sun) 18:14:37 |
しっかり勉強させて頂いております。
昭和20年2月、九三中練分隊にも、特攻隊の編成が始まりました。
予科練、飛練、教員配置と大した苦労もなく、戦争末期の状態にありながらも、
練習航空隊は、あまり緊迫した状況ではありませんでした。
時折、夜間戦闘機の月光の発着で、かなりな騒音はあったものの、半舷上陸も、
普段と変わりなく行われていました。
当時、軍隊とはいいながらでも、特攻隊員になることを、強制はしていなかった
ようです。一枚の志願用紙が配られました。何項目かの欄があって、○、△、×
の印を付けよ。○印の所で、特に希望する所は◎をとの記載がされていました。
それぞれ各人は、真剣な面もちで、記入していました。
もちろん私は、全部が◎をつけました。
数日後、それぞれの分隊に配属、当時教官教員は、1番機に配置され、2番機、
3番機、4番機には甲飛13期生という区隊の編成でした。
早速編隊ごとの真剣な訓練が始まりました。ところが、たまたま、13期生の中
でたった一人、どうゆう事情があったのか不賛成の練習生がおりました。
ある時から、階段下の一部屋に営倉が出来、練習生が閉じこめられて、番兵が
配置されていました。優秀な練習生でした。
なぜか、私自身、教員配置ではあっても、その練習生が、同期生のような気がし
て、時折番兵に袖の下を持っていき、酒保からとか、炊事場からのもらい物を差
し入れをしておりました。
同期の教員よりも早く、出水空の教員に私(操縦)と、宮飛長(偵察)、松原飛長
(偵察)が19年9月に着任していましたので、少しは炊事場、その他等々、顔が
利いていたようです。兵曹になる任官試験も、他の兵科の兵長と一緒に受験しま
した。任官試験を受けたのは、同期の予科練出身では、他には聞いていません。
特攻訓練の進む中、出水航空隊が朝鮮の光州に移動することになり、第一回の
空輸が終わり、二回目の空輸移動のために、出水空に帰隊し待機していました。
朝から警戒警報が発令、早速飛行機の待避、隠蔽作業を終わり、帰隊した所に、
グラマンの大編隊が空襲を仕掛けてきました。
人間て、不思議ですね。とてつもなく強い時もあれば、あの日の空襲では、機銃
掃射と、はらわたでも飛び出そうな爆音爆風には、歯も合わないような恐怖感、
全身のフルエが止まらない姿は、大日本帝国海軍の中で、俺一人ではないかと
思われるほど、情けない状態でした。
その第一回目の空襲で、かなり兵舎がやられました。あちこちで炎が上がり、
わが兵舎もやられていました。空襲も一段落したので、少し焼けた兵舎に行って
みると、玄関の梁が落ちその下に、営倉に入っていた練習生が、下敷きになって
いました。加勢せろ!と叫んで、何人かで助け出そうとするが、びくともしない。
もたもたしている内に第二回目のグラマンの機銃掃射と空爆が始まり、後ろ髪ど
ころではない、我先に近くの防空壕に転がり込む。土砂をかぶりながら、一時を
過ぎて外に出たら、ほうすいじょうをはじめ兵舎は全滅、大急ぎで挟まっていた
現場に駆けつけてみれば、丸焼け。
特攻を拒否した彼は、特攻に大賛成した隊員よりも早く、初期の目的を達成する
ことなく逝ってしまったのです。残念至極でありました。冥福を祈る以外になすす
べもなく、その後のいきさつも不明のまま今日になってしまいました。
改めて、不慮事故で逝ったり、病に倒れたりした戦友の冥福を祈りつつ
島原の神尾
蒼空
> われわれは、希望も聞かれず特攻隊に編入されました。艦爆出身の 高橋正樹君が、出水空から光州空に移動しています。 10−1とテレビ出演記録を参照してください。 (2003/12/21(Sun) 21:04:55) |
[282] 蒼空様 失礼いたしました。 | 投稿者:紺碧の海 | 投稿日:2003/12/25(Thu) 04:29:48 |
残念ですが、削除いたしました。
大変失礼を致しました。ある意味驚かせてしまったかも知れません。
でも書き込んだことに本当に嘘いつわりは無いのです。
唐突な書き込みで理解されないことは残念でしたが
蒼空様の主旨とお気持ちはよくわかります。
どうか失礼をお許し下さい。
蒼空
> 紺碧の海様 自主的に削除くださいまして、 ありがとうございました。 戦没同期生の慰霊顕彰とご遺族のご存念を伝えるためのHPです。 この趣旨に添ったご投稿をお待ち致しております。 (2003/12/25(Thu) 17:40:15) |
早速小河原君に連絡とりました。
彼は.出水空には行っていないのであまり判りませんでした。
第二国分空一別以来の、懐かしい語らいが出来ました。
光州空時代がほんとうに懐かしく、時間も忘れてしまいました。
75年の人生の中で、たった2年有余の関わりであったのが、嘘のようです。
生きていてよかったと改めて、わが人生に感謝しています。
島原の神尾
蒼空
> 小河原君は、上海空の偵察員です。全日空の事故で殉職された、 艦爆操縦出身の高橋君が、出水空から光州空に移りました。一緒にいたはずです。 (2003/12/25(Thu) 17:47:01) |
[284] 来年も頑張って下さい | 投稿者:長崎-武蔵 | 投稿日:2003/12/29(Mon) 01:10:19 |
この年、お世話になりました。
来る年もご壮健で益々のご活躍お祈りします。
戦争体験の無い世代が増えてます。
体験者の真実の魂の叫び、今後も若い世代に伝えてください。
私自身、無論戦争体験有りませんが、今は無き親父が唄ってくれた
軍歌が身に沁みつてます。
悲惨な戦争を誰が好みましょう、しかし乍ら、懸命に戦い
己の身命を賭して、日本の為に戦った先達のことは正しく理解せねばと
思ってます。
来年もよろしくお願いします。
蒼空
> 新しい年に希望を繋ぎましょう。 来年は「芦屋」か「築城」でお会い致しましょう。 (2003/12/29(Mon) 13:25:24) |