蒼空の果てに 目次へ
保存掲示板〔21〕17-12-1⇔ 17-12-31
[625] 549のつづき |
| 投稿者:紗知 |
投稿日:2005/12/06(Tue) 22:31:31 |
ユタ様:乙17期会長さんはとても気さくな方で、板橋区にお住まいです。
ご血縁様と同じく偵察員もしていらした方で、今でもモールス信号が打てますよ。
また、701空のことでしたら分かる限りご協力したいと思っております。
どうぞ、メールにてご連絡ください。ご連絡先を返信致します。
蒼空 > ユタ様 紗知様に便乗。 「特別攻撃隊の記録 海軍編 押尾一彦/著」は県立図書館を探し
ましたが見当たりませんでした。紀伊国屋書店でも、現在販売されていません。一つ質問があります。
私の資料では、福岡県出身となっています。間違いでしょうか。17期の方で福岡県と長崎県在住の方とは、
今も交際しています。今後とも何かありましたらお知らせください。 (2005/12/07(Wed) 17:42:33) |
ユタ > 紗知様、ありがとうございます。 電話番号は、掛けようと思い携帯にメモリーしてあります。
搭乗員の方のお話をじかに伺ったことの無い私にとって、偵察員と言う・・・と同じ任務についていた方の
お話はぜひ伺いたい気持ちになりました。 でもいつも電話を握り締めつつ「午前中は迷惑かな?午後も?
夕方も?夜も?」と機会を失ってしまいます… (2005/12/08(Thu) 00:47:48) |
蒼空 > ユタ様 了解致しました。 (2005/12/08(Thu) 06:57:11) |
紗知 > ユタ様:17期会長さんはお話し易い方で、たぶんお話になったら気後れした分拍子抜けして
しまうかもしれませんよ! 私は葛飾区ですし、都合が合えばご一緒に会長さんを伺っても・・とも思って
おりますが。 (2005/12/11(Sun) 15:18:26) |
ユタ > 紗知様、そうして頂けるのであればお会いしやすいですが、ご迷惑ではございませんでしょうか?
(2005/12/14(Wed) 02:26:33) |
[627] 忘れないようにしましょう。 |
| 投稿者:日出島哲雄 |
投稿日:2005/12/07(Wed) 13:00:04 | |
お久しぶりです。ブログを訪問したことがあります。
私の父は、佐世保鎮守府にいて、巡洋艦足柄に乗っていました。
昭和一桁の時の軍艦の写真のアルバムを、父は残しました。
高校生の大半が真珠湾攻撃の日を知らないと聞きます。
思想以前に事実を知ることが大切だと思います。
戦前の歴史については、軍隊だけでなく、議会、文化人についても読んでいます。
ねず・まさしの「日本現代史」は、私の愛読書の一つで、それを教えてくれます。
蒼空 > 特攻隊の事績を、次の世代に語り継ぎたいと思います。
(2005/12/07(Wed) 16:08:58)
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[647] 父親の足跡 |
| 投稿者:宮本 |
投稿日:2005/12/12(Mon) 22:17:16 |
以前、こちらにて「父親(宮本義之)の足跡を調べています」と発言した者です。
先日、田舎で父親の遺品を片付けていたところ、古い写真やら名簿が出てきました。
まず、名簿ですが、「海軍乙種飛行予科練習生特二期」とあります。
父の兵籍番号は「サ8651」でした。
新し目の写真として「昭和62年6月新潟大会」というのがあり、その中で・臼井四郎
・白井秀信・松永重夫・松浦正男・山崎幸吉・小林増慈という方と、懇意にしていたようです。
古い写真では「第三十五期(艦爆専修)卒業記念」というのがありました。
その他、・昭和20年 高知空港・高知海軍航空隊第二十一分隊操縦員 宮本飛長
・特別攻撃隊 綾部隊・神風特別攻撃隊水雷第三中隊二小隊一番機
20.4.2・神風特別攻撃隊菊水隊三中隊(尾翼番号601-62)というのもありました。
残念なことに、「最初にどこへ入隊したか」は不明なままです。
蒼空 > 海軍乙種飛行予科練習生特二期生は岩国航空隊に入隊しています。 (2005/12/13(Tue) 06:26:05) |
[655] 戦争の理由 |
| 投稿者:ダイ |
投稿日:2005/12/15(Thu) 18:29:18 | |
久しぶりに書き込みさせて頂きます。
蒼空様がご覧になった戦争映画でどの作品が一番真実に近いのか教えて頂けないでしょうか。
映画の場合、特攻、満州、フリピン、サイパン、色々な方面で描いている為、どれかは決めずらいとは
思いますけど。
私が見させて頂いた中で、昭和49年に放映された、鶴田浩二さん主演の「あヽ決戦航空隊」と言う
映画が印象に残っています。この映画もどこまでフィクションが入ってるか分かりませんけど。
大西中将から見た、特攻を描いてます。
私は何故、戦争になったか。
歴史を振り返ると戦争とはどうやってもどこの国も避けられない事なのでしょうけど。
当時と今では環境と教育が違う為、考え方がどうしても異なるのですが、当時の若者は鉄砲玉
みたいになるくらい追い込まれるまで、戦争を続けたのか。
石油のが戦争の一番の要因なのでしょうけど。
私は戦争を始めたことよりも終わらせなかった当時の指導者に遺憾です。
最後は死ぬ事が美化されて、英雄化される。
赤紙くれば「おめでとう御座います。」と言われる。
時代と教育がそうなので仕方ないのでしょうけど。
特攻と言う真実は日本にとって財産だと思います。
日本の戦後処理も特攻がなければ、何かしら不利になってたかもしれません。
私は特攻で現在の日本を作ってくれた当時の方々に心から感謝しています。
特攻だけではなく、戦争やってる皆さん全員が命をかけて、頑張ってくれてのでしょうけど。
いま、どうやっても当時には戻れません。
ただ、フィクションではなく、出来るだけ真実に近い作品を見て、勉強したいのです。
何卒宜しくお願いします。
蒼空 > 映画は所詮映画にすぎません。あまり期待しないほうが宜しいと思います。
(2005/12/15(Thu) 21:52:20) |
蒼空 > 映画ではありませんが、陣中談議・うら話 10-16「真実を語り継ぐために」をご一読ください。
(2005/12/16(Fri) 17:29:18) |
ダイ > 蒼空様、情報感謝いたします。拝見させていただきました。私には戦争体験者が身近に
いないので、戦争の真実等を本や映画でしか情報が得られません。身近にいる人がうらやましい
限りです。このようなホームページは末永く続けてほしいと思います。 (2005/12/22(Thu) 17:33:21) |
[663] 無断転載 |
| 投稿者:蒼空 |
投稿日:2005/12/17(Sat) 11:51:25 | |
「日本を救った若者たちの記録」と言うサイトがあります。
写真や遺書など、ご遺族の了解も得ずに私のHPから転用しています。
抗議しようにも「掲示板」やメールアドレスなども公開していません。
PCに詳しい方、管理者に連絡する方法をご指導ください。
「日本を救った若者たちの記録」のURLは次の通りです。
http://www.yshouse.com/~takata/2005-01-20.htm
蒼空 > Aに掲示板はあるのですが、書き込み不能です。 (2005/12/17(Sat) 15:58:41) |
ユタ > そこまでたどり着いてましたのに、余計な書き込みまですみません。 今確認しましたが、Aの応接室内に
掲示板(荒れていますが)とアンケートがあります。 そちらをご利用しては如何でしょうか? (2005/12/17(Sat) 16:04:00) |
蒼空 > 自己紹介で、高田俊定と名乗っているのですから、も少し責任を持って頂きたいと思います。
すでに今年始めに開設したサイトです。たまたま逆探知で発見してビックリしています。 (2005/12/17(Sat) 16:22:32) |
蒼空 > 逆探知と云って、私のHPにアクセスされた方の、URLは分ります。彼は内容を転用するぐらいですから、
以前からこのHPを覗いていたはずです。私が気づくのが遅過ぎたと云うか、まさか転用されるとは思わず
うっかりしていました。少し騒ぎ立てれば、何らかの反応があると思います。ご迷惑をおかけしますが宜しく
お願い致します。 (2005/12/17(Sat) 16:48:01) |
蒼空 > 騒ぎ立てれば、サーバーの名誉にかかわります。恐らくサーバーから何らかのアクセスがあると思います。 (2005/12/17(Sat) 17:25:07) |
蒼空 > 高田俊定をGoogleの検索にかけてみました。登山家としては有名な方です。同姓同名ですかね?
(2005/12/17(Sat) 17:54:29) |
蒼空 > 高田俊定氏、Google の検索でも検知されました。なぜ私に協力を求めないのでしょう。
(2005/12/17(Sat) 18:07:05) |
蒼空 > この問題は、彼から連絡をとるべきと思います。 (2005/12/17(Sat) 19:12:13) |
ユタ > その通りだと思います。 迅速な返答(謝罪)を来る事をお祈りしています。 (2005/12/18(Sun) 11:22:04) |
Krunthepmahanakhon > www.yshouse.comの連絡先ならドメインサーチでわかりますよ。http://www.mse.co.jp/ip_domain/のサイトでwww.yshouse.comを入力すれば管理者yamagata minoru氏の
情報が出てきます。 (2005/12/19(Mon) 08:32:57) |
蒼空 > 東北山の会から次の返信がありました。高田さんの連絡先の件ですが 個人情報という事も有ります
ので、MLからは お教えすることが出来ないのです (2005/12/19(Mon) 10:39:33) |
蒼空 > サーバー yamagata minoru氏に連絡致しましたが、未だ回答がありません。 (2005/12/21(Wed) 09:59:07) |
MORI > 高田氏の住所。岡山県真庭市落合垂水18 (2005/12/21(Wed) 13:06:57) |
蒼空 > 高田氏に手紙出しましたが、まだ返事がありません。 (2005/12/26(Mon) 13:20:28) |
[668] 高田俊定氏へ |
| 投稿者:永末千里 |
投稿日:2005/12/19(Mon) 16:00:54 | |
高田俊定氏へ申しあげます。
貴殿のサイトで紹介している「日本を救った若者たちの記録」についてです。
記載の内容に種々問題がありますので、至急相談致したいと思っております。
こちらから連絡しようと思い、連絡方法を模索致しましたが、未だ実現致し
ません。このうえは、貴殿からの連絡をお待ちする以外に方法はありません。
そこで、私の真意をお伝え致しておきます。
私は、無断転載を詮索して譴責するのが目的ではありません。正しい史実を
後世に伝えて頂きたいと云うのが、私の願いなのです。
「日本を救った若者たちの記録」の内容をみますと、遺書遺稿などが改竄さ
れています。戦没時の年齢にも間違いが見受けられます。また記述と写真の
不一致もあります。この様な杜撰な内容では、ご遺族のご了解を得ることは
できません。
もし貴方にその気がお有りなら、早急に内容を改訂してください。そうして
頂ければ、私からご遺族の承認を得るように努力致します。そうすることで、
誰に憚ることもなく公開できるようになります。
ご熟慮のうえご回答をお待ち致しております。
末筆ですが、この問題でご助言くださいました方々にお礼を申しあげます。
[677] 紹介します |
| 投稿者:蒼空 |
投稿日:2005/12/22(Thu) 16:55:15 | |
紗知様 ユタ様
神雷部隊で散った乙飛17期出身、石渡正義氏のご遺族を紹介致します。
次のサイトをご訪問ください。
http://piron326.seesaa.net/article/5518305.html
[679] ご紹介ありがとうございます |
| 投稿者:ぴろん |
投稿日:2005/12/22(Thu) 23:22:57 | |
蒼空様
わざわざのご紹介、本当にありがとうございます。
つい最近、文藝春秋社から出版された「人間爆弾と呼ばれて 証言・桜花特攻隊」という本を入手
しました。この中に亡き大叔父、石渡正義の出撃の模様が書かれており、私が知りたかった大叔父の
戦況について少し知る事が出来ましたのでご紹介します。
この本の中には神風桜花特別攻撃隊の搭乗員リストと戦況が書かれており、それによりますと大叔父
石渡正義の搭乗した一式陸攻は昭和20年5月4日午前6時3分に鹿屋を離陸、午前9時に桜花発進
となっております。突撃した敵艦は掃海艇「ゲーエティ」
しかし大叔父の桜花は敵艦に命中せず、
真近の海面に突入。爆発の衝撃により乗組員3名負傷と言う記録がアメリカ側に残っている事が
判明しました。
桜花による特攻はわずか56機、56名の戦死者です。
その内の一名が私の大叔父・石渡正義その人であります。
この本に書かれた事実は、遺族にとっては重く切ない。
しかし大叔父の短い人生の真実を少しでも知りたい遺族にとってはまたとない書籍でもあったかと
思います。
大叔父について知りたい事はたくさんあります。
鹿屋の基地ではどのような生活をしていたのか?とか。
あるいは予科練での生活はどうだったのか?とか。
戦後60年経って当時の事情を追いかけるのは中々難しいのでしょう。
けれど大叔父の壮烈な死によって護られた側の遺族である私は、彼の短い人生や残したかった思いを
少しでも汲み取り、受け継いでいきたいのです。
それが護られた側のせめてもの供養であり、いまだ沖縄の海の底に眠る彼への肉親の思いでもあるの
です。今後もどうかよろしくお願いを申し上げます。
蒼空 > 私の同期生、長浜君が鹿屋基地の生活について記述しています。9-9神雷部隊奮戦記を
ご一読ください。 (2005/12/23(Fri) 16:51:05) |
[686] クリスマスと七面鳥料理 |
| 投稿者:蒼空 |
投稿日:2005/12/24(Sat) 16:32:22 |
ヤフーブログからの転載です。
脊振山サイトが自衛隊に移管された後も、数名の米軍将校がコンダクターとして残留していました。
時々彼らのメスルーム兼クラブに出入りして、バーボンを飲みながらカードゲームを楽しむことが
ありました。また、クリスマスに招待され、御馳走にあずかったことがあります。
甑島サイトでもそうでしたが、 アメリカ軍の食事は大味であまり美味しくありません。 その日も、
クリスマス定番の七面鳥料理でした。 鶏肉に比べて硬く、お世辞にも美味しいとは云えません。
彼らは何故クリスマスのお祝に、美味しくもない七面鳥料理を食べるのか、その理由を米留帰り
のコントローラから聞くことができました。
彼らの先祖は西部開拓時代、穀物の収穫もままならず、狩猟によって飢えを凌いでいたそうです。
野生の七面鳥は当時の貴重な食料でした。だから、裕福になった現在でも、開拓時代の苦労を
忘れないため、年に一度七面鳥料理を食べて当時を偲ぶのだそうです。
日本人が終戦記念日に、スイトンを食べて戦争中の耐乏生活を思い起こすのと同じ理屈だそうで
す。
これで納得できました。戦後60年、日本ではもうスイトンなんか食べませんね。
[694] 掲示板閉鎖について |
| 投稿者:蒼空 |
投稿日:2005/12/26(Mon) 17:37:22 |
お気づきになられた方もおられると思います。
変な書き込みが執拗に続いています。
これを排除するため、新しいタイプの「掲示板」を新設致します。
この板は本年をもって閉鎖致します。
今まで皆様から寄せられた投稿は「保存掲示板」で保管致します。
今後とも宜しくお願い致します。
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