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[467] こんばんは | 投稿者:みーちゃん | 投稿日:2005/05/01(Sun) 23:46:32 |
素晴らしいホームぺージですね!!感動しました。
お体気をつけてこれからも頑張って下さい。本当に綺麗で手の込んだ気持ちのこもった
ホームページですね。私たち戦争を知らない若い世代にはとてもわかりやすい丁寧な
お話で一杯です。ありがとうございます。
蒼空 > ありがとうございます。 ゆっくりお読みください。 (2005/05/02(Mon) 06:46:54) |
[468] ご存知ですか? | 投稿者:かおる | 投稿日:2005/05/02(Mon) 15:12:26 |
はじめまして。かおると申します。
「インドシナパクニ」という場所がどこか探しています。
インターネットで検索してみましたが見当たらず、いろいろあたってみるうちに、
こちらのホームページにたどり着きました。
たくさんの情報をお持ちのように受け取りましたので、お尋ねさせていただきました。
また、「インドシナパクニ」で戦った軍隊はどのようになったのか等、何でもよいので
「インドシナパクニ」で戦った隊の情報を教えていただければと
思います。
蒼空 > 調べてみます。しばらくお待ちください。 (2005/05/03(Tue) 06:22:01) |
かおる > お返事ありがとうございました。このホームページの意図とはちがうことを質問 してしまったかもしれません。場違いだったら本当にすみません。よろしくお願いします。 (2005/05/03(Tue) 08:54:49) |
hush > Ans.Q拝見 パクニと言う地名を検索した結果ではインド中央部に1ヶ所見つかり ましたが、インドシナ半島では御座いませんし日本軍が関係するような場所ではありません。 そこで、近似する地名を考えた所、パタニではないかなと考えております。 タイ南部、マレーシア国境に近いこの町は、1941年12月8日、太平洋戦争開始時に 日本第25軍の安藤支隊が上陸した場所として記憶に残っております。 推測で申し訳ありませんが、現在の所、思いつくのはここ位です。 (2005/05/05(Thu) 10:33:05) |
蒼空 > 情報有難うございました。かおるさん、これ以上は無理なようです。 (2005/05/05(Thu) 13:18:14) |
かおる > ありがとうございます。たくさんのホームページの掲示板に投稿してみましたが、 お返事もいただけない状況でした。その中でこのような情報をいただけて、大変うれしく 思っています。「パタニ」ということも視野において、また探してみようと思います。 本当にありがとうございました。 (2005/05/05(Thu) 15:02:55) |
蒼空 > 出沼ひさし様から情報頂きました。 マレー半島に「スンゲイパタニ」という地名があります。字面、語感からすると、こちらかも しれません。場所は下記を参照してください。 http://ww31.tiki.ne.jp/~isao-o/battleplane-10katou.htm (2005/05/06(Fri) 06:07:45) |
蒼空 > chuukichi様から新しい情報を頂きました。ハノイの北東約20kmにあるバクニンの ことではないでしょうか昭和20年の「明」作戦時であれば第37師団が展開しています。 (2005/05/06(Fri) 16:19:19) |
カンタニャック > かおる様 もうすこし情報をいただけないでしょうか。 まずかおる様は「インドシナパクニ」という言葉を耳で聞かれたのでしょうか? あるいは文字に書かれたものをお読みになったのでしょうか。 耳で聞かれたのでしたらおそらく「タ」を「ク」と聞き違えた可能性は低いでしょう。 文字でしたら活字か手書きかによってもミスの可能性が違ってきますが、手書きなら 「パ」と「バ」、「ク」と「タ」、「ニ」と「ン」などのミスがある可能性が出てきます。 また紙に書かれたものならそのほかにどんな事が書かれているのかなどお教えいただけると 助かります。またお調べの対象が陸軍関係者か海軍関係者かあるいはそれ以外の方か、 また時期がいつ頃かなどについても、情報をもいただければと思います。 もちろん個人のプライバシーに関わる問題もあるかとも思いますので、ご無理なさる必要は ありませんが、いろいろ細かい情報をいただければ、もう少し可能性を絞れるかも知れません。 (2005/05/06(Fri) 22:58:05) |
かおる > 皆様からお返事をいただいておりましたのに、旅行に行っておりましたので、 (2005/05/08(Sun) 10:52:46) |
かおる > 蒼空様をはじめ、出沼様、ctuukichi様、カンタニャク様、情報をありがとうございました。 皆様のご協力に本当に感謝しております。何とお礼を言ったらよいのか分からないくらいです。 出沼様、早速教えていただいたアドレスのページを見てみました。こちら可能性がありますね。 ありがとうございました。さて、「インドシナパクニ2」という場所は、叔父の亡くなった場所と されているところです。叔父は沖縄出身ですので、沖縄の平和記念館のある資料によると、 そこが叔父の死亡場所となっていました。叔父は21歳で戦死しておりますので、妻子もなく、 兄弟も高齢のため亡くなっており、叔父のことを知ることがほとんどできない状態です。 平和記念館内の資料によりますと、叔父の死亡した日は昭和20年5月20日となっていますので、 chuukichi様が教えてくださったことも十分考えられます。それから、カンタニャク様、平和資料館内 に平和の礎に刻名されている方の刻銘板の位置を検索できるパソコンがあります。 そこに刻銘版の位置と、その人の生年月日、死亡日、死亡場所が表示されます。 「インドシナパクニ2」という場所はそのデータで知りました。現在、沖縄県の担当係に死亡場所は 何を基としたものかお尋ねしていますが、まだ回答はいただいておりません。 また、叔父は陸軍であったようです。なにしろ、現在生きている者で叔父を知っているものは当時 4,5歳だったので確実とは言えませんが。 参考になるかはわかりませんが、叔父の父は近衛師団にいたと聞いています。たくさんの方が そうだとは思いますが、叔父も遺骨は戻ってきておりませんし、妻子もなかった叔父が忘れられて しまうのが、とても心に痛く、今、懸命に調べている次第です。 (2005/05/08(Sun) 11:38:30) |
カンタニャック > かおる様 「叔父様は昭和20年5月21日に「インドシナパクニ」で戦死(21歳) おそらく陸軍所属。叔父様の父上は近衛師団にいたと聞いている。」ということでよろしいでしょうか。 追加質問をお許し下さい。 1)「インドシナパクニ」「インドシナパクニ2」いずれが正しいのでしょうか? 2)叔父様の戸籍は沖縄にあったのでしょうか?(お祖父様の戸籍が戦争中どこにあったかが わかれば、養子にいかれたなどの例外的な場合を除き同じ戸籍の筈です。) (戦前の日本の徴兵制度では、二十歳(1944年からは一九歳)になった若者は、各人の戸籍の ある地域で徴兵検査を受け、徴兵される場合はその地域の部隊に配属されるのが原則です。 沖縄の場合は複雑ですが、九州(熊本など)の部隊に配属された可能性が高いでしょう。 ) いままでの情報から考えますと、叔父様は、一九四四年に二十歳(ないし十九歳)で徴兵検査に 合格。徴兵により現役兵としておそらく九州のいずれかの部隊に配属。南方に派遣され 「インドシナパクニ」で戦死。という可能性が高そうです。ただし、叔父様が志願兵だった場合、 本籍が沖縄にない場合、海軍だった場合などは違ってきます。あくまでも、比較的可能性が 高そうな憶測 と考えて下さい。 また、叔父様の戸籍のあった市町村がわかれば、その町役場に問い合わせる、あるいはその町 の町史を調べるなどの方法によってもなんらかの資料が得られるかもしれません。 (沖縄の場合、戦火で多くの資料が失われていますので、空振りに終わる可能性もありますが。) 叔父様とは直接関係があるわけではありませんが、読谷村史 http://www.yomitan.jp/sonsi/index.htm で、 五巻 資料編4「戦時記録」上巻 に進み 第二章 第三節 4戦争と軍人・軍属概説 体験記 に進むと、沖縄県読谷村出身で南方戦線で戦われた 方々の体験がつづられています。 文末で失礼いたしますが、叔父様のご冥福をお祈りさせて頂きます。 (2005/05/08(Sun) 21:58:36)
お元気な様子、何よりです。
福岡市在住の燕と申します。宜しくお願い申し上げます!
燕さんのFLASHみました。
私は知覧に一度行った位で、無知蒙昧の輩ですので、各項目を熟読させていただきたく
本日、5月11日は931航空隊251飛行攻撃隊、菊水雷桜隊の出撃から60年目です。
蒼空様こんにちは。お久しぶりです。
何か思いつくままに書いて恐縮ですが、「東京五輪史観」というのもいいかな、と思い |
[480] 【日経】救われた島へ慰霊の旅 不時着の元特攻隊員、式典に | 投稿者:燕 | 投稿日:2005/05/14(Sat) 15:15:15 |
鹿児島・黒島「散った戦友が平和くれた」
本日の日経九州版の社会面に、元海軍少佐の江名武彦さん(81)が鹿児島の黒島を
訪問された記事が載っていました。
江名さんは、自ら出資して島に平和観音像を建立されているそうですね。
蒼空 > 江名氏は戦没隊員のご遺族と相談して、出撃した串良基地跡にも祈念碑を計画 しています。正気隊の写真は百里原航空隊6-5に掲載しています。 (2005/05/14(Sat) 17:02:01) |
燕 > 柴田信也陸軍少尉のご長男の「島の皆さんにお礼が言えた」というコメントを感慨深く 読みました。>蒼空様 (2005/05/14(Sat) 18:14:40) |
[482] 例の件 | 投稿者:土屋二飛曹 | 投稿日:2005/05/16(Mon) 22:21:03 |
一応お伝えはしましたが、よろしければ、疑問の箇所をお教えいただけませんでしょうか。
先方は私が疑問の詳細を知っていると思っていらっしゃるもので。
蒼空 > メールを送付しました。 (2005/05/17(Tue) 11:23:31) |
[484] 初めまして | 投稿者:義烈 | 投稿日:2005/05/24(Tue) 21:54:18 |
とても工夫されたホームページで、興味深く拝見させて頂きました。
今の私たちに出来る事は、あの戦争を忘れることなく後世に伝えて行く事だと思います。
これからも、このホームページの発展を楽しみに拝見させて頂きます。
蒼空 > ご来訪ありがとうございます。今後とも宜しくお願い致します。 (2005/05/25(Wed) 06:04:38) |
[485] お返事ありがとう御座います | 投稿者:義烈 | 投稿日:2005/05/25(Wed) 21:20:24 |
当然ですが、「義烈空挺隊」の事について、ご存じでしたら教えて頂けないでしょうか。
蒼空 > yahooの検索をお勧めします。 http://www.yahoo.co.jp/ (2005/05/25(Wed) 22:03:24) |
[486] 蒼空さんへ | 投稿者:義烈 | 投稿日:2005/05/25(Wed) 23:12:01 |
ありがとう御座います。私なりに調べていきます。
私は、戦後生まれで活字や画面でしか戦争の事を知りません。
そんな私が「特攻隊」の事について調べたいと思ったのは、私自身の弱い心を「特攻作戦」
で散華された方々の「鉄の意志」のように「私も強い心に変わりたい」と言う気持ちで始め
ました。
しかし私なりに今「特攻隊」に対する思いは変わってきました。
「戦争」「特攻作戦」に参加された方々も今の私達と変わらない気持ちだったと私は感じ、
ある意味安心しました。「鉄の意志」と思っていた方達も、人間らしい優しい気持ち、弱い
気持ち、を持ち合わせた方々なんだと。その時の時代により、そう成らざるを得なかったと
思いました。
特に、昭和19年10月25日第1神風特別攻撃隊隊長 関行男大尉が報道記者に語った
言葉が印象に残っています。蒼空さんはどうお考えでしょうか。
蒼空 > ご免なさい。私の資料では、関大尉が報道記者と会見した記録が見付かりません。 (2005/05/26(Thu) 10:18:15) |
[488] はじめまして | 投稿者:旭光 | 投稿日:2005/05/28(Sat) 11:30:10 |
たいへん興味深く拝見いたしました。
私は昭和40年代生まれですので、戦争当時を知る由もありませんが、蒼空様が休日に
外出されたという浜松で育ちました。
浜松は、被弾したりエンジンが不調になったりしたB29が、爆弾を投棄する場所だった
と聞きました。もちろん浜松を標的にした空襲もありましたし、艦砲射撃にもやられました
ので、子供の頃は、「不発弾発見」のニュースがしばしばありました。ご承知の通り、
今も空自基地がありますので、飛行機は身近な存在だったのですが、「大井海軍航空隊」
の存在を知りませんでした。見出しで『大井』の字を見たときに、東京の大井町にも基地が
あったのか、と思ったほどです。
東京で長く暮らしており、静岡県に帰ることもあまり無いのですが、いつか大井基地跡を
訪ねてみようと思います。長文失礼いたしました。
蒼空 > 大井・静岡・浜松、懐かしい場所です。私の青春の思い出が詰っています。 (2005/05/28(Sat) 18:48:58) |
[490] 伯父の最後を知りたい | 投稿者:本田宏淵 | 投稿日:2005/05/31(Tue) 01:02:41 |
私は昭和20年9月生まれ、終戦直後に生まれました。
伯父の最後の場面を知りたくて投稿しました。母の実弟で、海軍上等飛行兵曹、偵察(特通)
木村吉宏(滋賀県出身)は乙種第16期生で、昭和19年10月26日比島方面海戦ニテ戦死
(当時21歳)と役場よりの戦死通報のみの報告となっております。
一式陸攻機に搭乗していたときいています。
決戦を前にした、同僚の寄せ書き、遺書、荒鷲のメダル等、両親を若くして亡くし、唯一の
嫡男であったにもかかわらず、皇国のために奉じました。
姉である母は生前、元気で勇敢であった弟の話をよくしてくれました。母は亡き後、60歳前
になって、伯父の遺品を詳しく点検して多くの若き仲間が南方に散った現実を考える時、
今の日本の国家のあり方に義憤の毎日でございます。
このサイトで神風特攻隊の戦没者名簿があることを知り、伯父の名前があるのではと、
探しましたが載っておりません。仲間の皆さんで生存しておられる方はもう少ないと思い
ますが、どなたかご存知の方がおられたら、ご連絡お待ちしております。
よろしくお願いいたします。
蒼空 > 当時一式陸攻での特攻はありませんでした。16期の同期生をメールで紹介します。 (2005/05/31(Tue) 06:40:12) |
本田宏淵 > メールありがとうございました。早速ご連絡しお聞きしました。残念ながら面識は ありませんでしたが、いろいろとお話いただき参考になりました。 (2005/06/01(Wed) 01:03:31) |
蒼空 > 次のサイト投稿することをお勧めします。 http://www.warbirds.jp/ansqn/ (2005/06/01(Wed) 13:46:30) |