蒼空の果てに 目次へ

保存掲示板〔14〕16-10-1 ⇒ 16-11-30

[384] 素朴な疑問 投稿者:20代前半男性 投稿日:2004/10/03(Sun) 13:33:06
はじめに書かせていただきますが、亡くなった方を冒涜するわけではありません。
素朴な疑問ですので教えてください。

第二次世界大戦の小説や映画を見ていて思ったのですが、戦闘機、爆撃機に限らず
アメリカ機の攻撃を受けて撃墜された日本のパイロットはパラシュートを持っているのに
なぜ、脱出しなかったのでしょうか?
毎回、脱出していれば貴重なパイロットを失うことは無かったと思うのですが・・
アメリカのパイロットは毎回、脱出していますよね・・・

ご存知の方、ご回答の程、よろしくお願いいたします。


蒼空 > 回答が長くなりますので、Ans,Q 別室で解説しました。ご一読ください。
(2004/10/03(Sun) 17:25:47)


[387] とりあえず 投稿者:嫁の父 投稿日:2004/10/10(Sun) 01:21:23
はじめて、お便りします。あまりメ−ル等しないので、文字がまちがってましたら、御許し
下さい。嫁の父は八年前に亡くなりましたが、 12期の三重空出身で、福山空、天草空
の教官後、最後は明治海軍航空隊で終戦お迎えたそうです。先日、お盆に帰った折、
義母よりアルバムぉ見せてもらいました。教官だった為か、私なりには、写眞が多くある
のに驚きました。また、中には、前田、小林、山口、特攻死亡と記されてありました。
頭に残ってるのは、極一部のこのれだけですが、又ゆっくりと改めてお便りいたします。
父の名前は小島義夫です。


蒼空 > 我々甲飛12期は、土浦・三重・鹿児島に分かれて入隊しました。三重空の名簿に、
滋賀県出身に「小島好夫」君がいます。水上機操縦の飛練を卒業しています。詳しくは下記
へ問合せください。秋田県平鹿郡大森町菅生田245-34  石川知里 (2004/10/10(Sun) 08:35:27)


[388] 串良の慰霊祭へ 投稿者:ならざき 投稿日:2004/10/10(Sun) 17:31:55
近況報告を拝見しました。全国同期生大会は大勢のご出席でよかったですね。
ご盛会だったでしょう。

私は今月15日に行われる旧海軍航空隊串良基地出撃戦没者追悼式に行くことに
しています。鹿屋の内山氏にもお会いしてくるつもりです。


蒼空 > 中西さんに、宜しくお伝えください。 (2004/10/10(Sun) 21:09:48)


[389] re:[384] 素朴な疑問 投稿者:20代前半男性 投稿日:2004/10/11(Mon) 01:08:41
蒼空様

ご多忙のところ明確なご回答ありがとうございます。
Ans,Q 別室のご回答を拝見させていただきました。
現実は小説等で読んでいるものとはまったく違いますね。
今回質問するに当たって私自身理由を下記のように考えていました。
理由:被弾→防御力が弱いため貫通しパイロットに命中(即死及び重症)→動けずに
そのまま墜落。
上記のパターンが一番多いのではないかと考えていましたが実際は脱出されて生還
された方も多くいらっしゃったとの事。また、質問を記載させていただくこともあるかも
知れませんがよろしくお願いいたします。


蒼空 > 作家の話は必ずしも真実を伝えていません。「宇垣特攻の謎」をご一読ください。
(2004/10/11(Mon) 07:37:16)


[390] 出水市を訪ねて 投稿者:里 慎一郎(1962年生まれ) 投稿日:2004/10/18(Mon) 13:35:54
9月に初めて出水市を訪ねましたが、勉強不足のため、海軍航空隊があったなんて知りま
せんでした。いつも平和を望んではいますが、悪ふざけでなくて国防の考えくらいは持って
おいてもよさそうです。
僕の、昭和一桁生まれの伯父は、当時の考えでは優秀で、自分から訓練兵?に志願し、
最後は木更津で終戦を迎えたようです。
幸い、健在ですが、ただ、当時、お国のため散っていった皆様については、ご冥福をお祈り
するしかありません。
ホテルから借りた自転車で特攻碑の場所を確認してきました。
海、山の美しい出水市ですが、今後もたいへんだった時代のことは忘れずにいたいと思い
ます。また観光しに行きたいと思います。


蒼空 > 1−4 「若鷲の歌」をご一読ください。 (2004/10/19(Tue) 11:13:33)


[391] 叔父を知りませんか? 投稿者:柴田 投稿日:2004/10/18(Mon) 14:41:16
初めての投稿失礼致します。
私の叔父は708飛行隊で昭和20年5月11日神雷部隊攻撃隊の一人として出撃しました。
名前は三浦一男です。
私の母は、先日鎌倉にて神雷部隊の追悼式があり上京しましたが、既に60年も前のこと、
当時を知る方も少なくなり寂しいようでした。 
私の母は、当時兄を慕って北海道から鹿屋基地まで行ったそうです。しかし、結局会えず
じまいに終わってしまい、悲しい思いをしたそうです。 
どなたか出撃前の叔父様子等ご存知の方はいらっしゃいませんでしょうか?


蒼空 > 今度の鎌倉大会に出席されていた、菊池威夫氏の兄菊池邦寿一飛曹と同じ、
5月11日の「第八桜花隊」で出撃されています。同期の河田君その他の出席者から、
お話は聞けませんでしたか? (2004/10/19(Tue) 11:29:19)
蒼空 > メール頂ければ、9-9「神雷部隊奮戦記」の長浜君を紹介します。
(2004/10/23(Sat) 17:06:18)
蒼空 > 柴田様 メールで住所をお知らせください。708飛行隊の5月11日の戦闘行動調書
を送ります。搭乗割など記載されています。 (2004/10/28(Thu) 18:57:58)


[392] 芦屋 投稿者:長崎-武蔵 投稿日:2004/10/20(Wed) 20:50:14
ご無沙汰してます。
10/24は期待してましたが都合つきません。誠に申し訳有りません。
11/28、12/3はぜひと思いますが、蒼空様はいかがでしょうか?


蒼空 > 11/28 の築城や、12/5 の新田原は勤務歴がないので、招待状がきません。
防府は遠いので、今は芦屋基地オンリーです。 (2004/10/21(Thu) 06:33:41)


[394] 台湾沖航空戦 投稿者:海鳥 投稿日:2004/10/21(Thu) 13:09:14
「近況紹介」にありました「台湾沖航空戦」、早速読みました。蒼空さんが言われる
ように読み応えがある本でした。
当事者以外の書かれた「戦記」としては珍しく、日時や関係者の階級氏名などが
克明に記述されています。資料収集に努力されたあとが伺われます。
  またこの種「戦記」には、「これは間違いでは?」と思われる記述が何箇所かあ
るものですが、それも見当たりませんでした。
  また何か、参考になる本がありましたらお知らせください。


蒼空 > 「これは間違いでは?」実は体験者が精読すれば疑問に思う記述があります。
また、「海軍用語」を注釈なしで記述している箇所がありますが、一般の読者が理解でき
るか気がかりです。 (2004/10/22(Fri) 06:23:27)


[395] Untitled 投稿者:さちこ 投稿日:2004/10/21(Thu) 21:02:20
このホームページを見て、胸が苦しくなりました。私は今年20才(女)です。当時私と同じ
くらいの男の子たちがお国のために命をささげていたのですね。涙があふれました。
どんな気持ちで飛び立っていったのでしょう・・。うまく言葉にできません。
こんな失礼なメッセージを書いてしまって本当にごめんなさい。
でも、管理人様、ぜひ後世に伝えていってください。戦争を体験したことのない私たちは、
話を聞くことしかできませんが、決して忘れてはならない歴史だと思いました。


蒼空 > 年寄りがパソコン習って一所懸命書いたHPです。ごゆっくりお読みください。
(2004/10/22(Fri) 06:28:09)


[396] 予科練魂を見た日。 投稿者:zero 投稿日:2004/10/25(Mon) 22:37:24
昭和52年頃から平成二年中頃まで某航空会社で私は航空写真を撮っていました。好天気
であれば早朝から陽が暮れる瞬間まで文字通り空の上でした。ペアのパイロットはこの時、
60代の元甲飛12期、私は40代。後席で撮影場所を記したチャートを見、地上を確認しな
がら一日中撮影していると、帰路は心も体もくたくたでした。それでもパイロットは弱音一つ
吐く事なくいつも平然とされてました。お酒を飲む時に聞かされる予科練時代の負けじ魂を
身を持って示された様な気がします。氏は戦闘304飛行隊の零戦パイロットとして館山航空
基地に配属され、早朝より邀撃待機中、海側より低空で侵入した敵艦載機より襲撃され愛機
もろとも火だるまとなり九死に一生を得たと言う事でした。地上では普通の親父でしたが空の
上では正に真剣勝負そのもの、後席に乗って写真を撮っている私にも、その気魄が伝わって
来ます。18歳の時、九三式練習機の操縦桿を握り、67歳で操縦桿を手放す迄パイロット一筋、
中野 尚 元海軍二等飛行兵曹は平成七年二度と帰らぬ黄泉へ飛行しました。
私にとって忘れ得ぬ人生の師でもありました。


蒼空 > 20年2月16日、私は中野2飛曹と同じ館山基地(903空)にいました。
同じ戦闘304飛行隊の同期生、林2飛曹は当日戦死しました。本文9-9をご一読ください。
(2004/10/26(Tue) 06:41:43)


[397] 歴史について 投稿者:田中 投稿日:2004/10/27(Wed) 00:21:23
初めまして、私は小学校の頃より歴史が好きで(とくに大東亜戦争に関して)本を
読み漁って現在に至っているものです
本はいっぱい読んだのですが、是非戦争体験者の方々のお話を聞かしてください!
どうすればいいのでしょうか?


蒼空 > 直接話しを聞きたいのであれば、個人を訪問するか戦友会に参加するのが
最良でしょう。メール頂ければ、個人や会合を紹介致します。 (2004/10/27(Wed) 06:53:48)


[398] 話は前後するかと思いますが・・・ 投稿者:zero 投稿日:2004/10/27(Wed) 22:24:14
90年頃 中野さんは奥さんを伴って戦時中に居た館山、茂原に行ったそうです。
特に茂原では負傷した体を寺の本堂で起居し養生したそうですが、枕元には戦死
した隊員の骨つぼが山のように積まれていた、茂原上空での空戦は凄かったと話し
ておられました。熱心な仏教徒でもあった中野さんは戦死した隊員の皆さんの菩提
を弔っておられました。
ある日の事中野さんが真顔になって「俺がいつもの様にお題目を唱えていたら後ろ
に人の気配がする・・ ふと見たら体格のよい者が座っていたが、それが誰なのか
よ〜く考えたら、なんと俺が兵隊の時の隊長だった柳沢少佐だった。少佐は沖縄の
制空戦で戦死されたが・・お経が欲しくて出てこられたんだろう・・」と話されてました。
火傷の後は手の平、口元にかすかに遺っていました。今でも徳島なまり?がまざった
シャキシャした元気いい口調が耳に遺っています。よい親父でした。


蒼空 > 死に遅れたわれわれも、当時の想いを引きずりながら生きてきました。あの世で
彼らと再会したとき「何のため、便々と長生きしたんだ!」と、叱られそうです。
(2004/10/28(Thu) 10:26:00)


[399] 悲惨な戦争を後世に語り継ぐ為にいつまでもお元気で・・・ 投稿者:zero 投稿日:2004/10/28(Thu) 12:09:15
私の亡父は元特幹一期生で、甲飛12期の皆様と同じ年代でした。昭和19年?
全国規模で募集された陸軍特別幹部候補生を受験するまでは、海軍軍属として
千歳の海軍水路部で、無線通信の仕事に従事していたそうです。その時にアッツ島
の玉砕電報を傍受したと話していました。父と飲んだ時に「なぜそのまま海軍に応募
せず、陸軍の特幹に応募したのか?」と聞きましたら、海軍の仕事に従事していた時
に毎夜くり返される下級兵士に対する罰直が凄かったので、徴兵される前に特幹に
応募したと笑いながら話をしてました。合格後厳しい航空適性検査を通過し水戸航空
通信学校入校、卒業後栃木県那須野にあった陸軍航空基地において特操パイロット
と共に二式復戦「屠龍」や「九九式軽爆」に乗り特攻訓練に終始していたそうです。
残念ながら生前中野さんには海軍伝統?の罰直の話は聞かずしまいでした、予科練
を体験した人が書かれた回想本を読んで想像する位ですが、戦後生まれの私はどれ
ほどのものだったか想像もつかないのが本音です。
それはさておき、悲惨な戦争を語り継ぐ語り部として次代を受け継ぐ若者に、こうした
悲惨な体験を教えて頂きたいと願っております。いつまでも皆様お元気でいて下さい。


蒼空 > ありがとうございます。せいぜい長生きしたいと思います。 (2004/10/29(Fri) 15:18:55)
蒼空 > 拙著「かえらざる翼」本日送りました。 (2004/10/30(Sat) 10:42:19)


[401] 蒼空さんありがとうございます 投稿者:柴田 投稿日:2004/11/02(Tue) 09:31:42
蒼空さん いろいろお手数お掛けし申し訳ありませんでした。
また、お返事が遅れましたことお詫び致します。
このHPにある攻撃708飛行隊の搭乗員名簿を母に見せましたところ、
叔父「三浦一男」の名前をいつまでもいとおしく指でなぞっておりました。
「あんちゃん、あんちゃん」と言いながら涙ぐんでいる76歳の母を見ると
胸が締付けられる思いでした。
戦争を否定するのは簡単ですが、しかし国を愛し、家族を愛し旅立って
いった諸先輩方々の気持ちは、残された者の義務として私の子供達にも
伝えて行きたいと思っております。


蒼空 > 同じ隊で戦死した、菊池邦寿君のご母堂の詠歌を、
1-18に収録しています。ご一読ください。 (2004/11/02(Tue) 16:06:46)


[402] ありがとうございました。 投稿者:zero 投稿日:2004/11/02(Tue) 09:54:26
夕刻帰宅したら配達されていました。早速電話にてお礼を申したいと思い、
ご住所を頼りに電話局に調べてもらいましたが不明でした。掲示板上で失礼
だとは思いますが改めて御礼を申し上げます。
私の師である中野二飛曹の負傷の模様は、元252空戦闘304飛行隊 
高橋稔・林二飛曹が平成元年9月1日発行の雑誌「丸」最後の予科練で寄稿
しておりました。本を見せたら、悪い事が見つかったいたずら小僧のような
表情で、にやりと笑った中野さんの顔が忘れられません。
それが発端となって当時の事をぽつぽつと話して聞かされました。
もしお手持ちでなかったらコピーして送付致します。


蒼空 > 林二飛曹の戦死の状況は人伝に聞いていました。資料がありましたら、
是非ご送付ください。 (2004/11/02(Tue) 16:09:47)


[403] 了解しました。 投稿者:zero 投稿日:2004/11/02(Tue) 22:04:32
了解しました。コピーですが他に甲飛12期の皆さんの手記を一緒にお送り
致します。もしこちらへ来られる機会がありましたら御連絡下さい、
中野二飛曹宅に御案内致します。


[404] Untitled 投稿者:けんいち 投稿日:2004/11/03(Wed) 21:33:36
初めまして。たまたま通りすがりに、ここのHPを見つけ掲示板に書き込み
させてもらいました。私は子供の頃に祖父や祖母から戦争の話を聞いた
ことはありましたが・・・
HPを拝見させて頂いて涙が溢れ胸が苦しくなりました。あの時代に命を
かけて守ってくれ亡くなられた方そして、すべての方々に感謝します。
私は戦争も知らない30代ですが、ご先祖様や諸先輩方々がいて自分が
いるってのを実感しました。自分の子供達にも戦争とは何かと言う話を
したいと思います。どうか皆様お元気でいてください。


蒼空 > ありがとうございます。ごゆっくりお読みください。
(2004/11/03(Wed) 22:02:07)


[405] 読み直しました 投稿者:海鳥 投稿日:2004/11/04(Thu) 14:04:44
「台湾沖航空戦」読み直してみました。
階級の呼び方など、用語に疑問がありますね。
資料だけからの編集の限界ですね。
体験者の監修を考慮すべきでした。


蒼空 > 「画龍点晴オ欠ク」ですね。 (2004/11/05(Fri) 06:23:25)


[406] Untitled 投稿者:朝美 投稿日:2004/11/05(Fri) 02:03:35
私は、よく戦争ビデオを見ます。ビデオだけじゃ昔の人の痛み苦しみそして
家族とか友人を亡くなっていく逝く哀しさ、惨さ今の時代に生きてる人たちには
分からないだろうけど だからこそもっと戦争についてのドラマやら映画をより
多くの人たち見ていただきたいと思います


蒼空 > 「戦記」や「映画」の中には、興味本位に創作されたものもあります。
選択が必要です。 (2004/11/05(Fri) 06:27:15)


[408] 伊賀上野海軍航空基地について教えてください 投稿者:樹林 投稿日:2004/11/06(Sat) 01:17:09
ただいま、緊急に標記の件につき、詳しい情報を知りたく、お願いいたします。
旧上野市緑ケ丘(2004年11月1日をもって伊賀市)にあり、飛行場跡地は緑ヶ丘
中学校と東小学校の校地になっておりますが、建設のいきさつやどんな航空隊が
いたのか、海軍の作戦上どんなポジションにあったのか?など、思い出話でも結構
ですから、ご教示願えませんか?


蒼空 > 保存掲示板2平成13年11月〜14年5月〔69〕02.2.5と、近況紹介過去1の02.2.5.に、
NRSさんからの質問に回答しています。ご一読ください。 (2004/11/06(Sat) 06:29:26)
樹林 > どうもありがとうございました。いつも拝見していて、蒼空さんの思いに
打たれております。 (2004/11/07(Sun) 18:26:07)


[409] 難しいです。 投稿者:銀河 投稿日:2004/11/06(Sat) 18:22:44
  特攻隊について、ネットで探して色々読んでいますが、甲飛10期生の方の書かれた、
「散る桜残る桜」を読みたくて探していますが、非売品のためか見つかりません。
どなたか、譲って頂ける方はいらっしゃらないでしょうか?


蒼空 > 「殉国の碑」はこのサイトからリンクしています。連絡してみてください。
(2004/11/08(Mon) 15:09:58)


[410] 「散る桜残る桜」 投稿者:震洋老兵 投稿日:2004/11/08(Mon) 11:05:52
甲飛10期生の編集の「散る桜残る桜」は非売品ではありませんが、限定品でしたから
編集元にも在庫はありません。
小生は購入し所持していましたが貴重な内容ですので「殉国の碑」の管理者の「峯」に
譲りました。入手は難しいですが、内容についてお知りになりたい箇所があれば、
「殉国の碑」サイトから「峯」氏にメールして下さい。
また同時に作製された同題のビデオも譲渡しました。此れは複製の可能性はあります。


蒼空 > 情報、ありがとうございました。 (2004/11/08(Mon) 15:07:36)


[411] 伊賀上野航空基地について 投稿者:hush@津市民 投稿日:2004/11/09(Tue) 06:40:32
  「三重の戦争遺跡」(三重県歴史教育者協議会編集1998年つむぎ出版刊)に次の
ようなことが記載されています。
本土空襲が予期された事により、鈴鹿飛行場の航空機の退避先として建設。
  当初は戦闘機もいたが、後半は中型の爆撃機ばかりであったとのこと。
  航空機の発着はほとんど夜であった。
  同飛行場を使用していた部隊としては、海軍第1001航空隊、通称雁部隊があり、
1式陸攻等の輸送任務に従事していた。
  飛行場周辺には6cm高射砲6門と機関銃約150挺が設置されていた。
  アメリカの戦闘機1機が撃墜され上野市猪田地区内に墜落。
  飛行場周辺に誘導路があり、伊賀国分寺周辺に掩体壕が3ヶ所残っている。
  飛行場建設には多くの住民が勤労動員に駆り出されており、また、
飯場が城南国民学校(久米小学校)に2階建てのものが1棟あった。
  同書は、先日、書店で確かめた所、絶版だそうです。
  図書館等にはあるかも知れません。
  また、文章をお書きになられた今出義文先生は、当時、上野市の中学校に勤務
されていたようですので、上野市教育委員会で連絡先が分かるかも知れません。

蒼空 > hush@津市民様 warbirds. から転載させて頂きました。
(2004/11/09(Tue) 07:57:41)
hush > はじめまして。実はこの本があるのを忘れていましたので、レスが遅れました。
間に合ったでしょうか? (2004/11/09(Tue) 12:51:56)
hush > なお、上記の本には飛行場周辺の概略図も載せられています。地形図に重ね
たもので、滑走路、誘導路、ならびに掩体壕の位置が記されています。
(2004/11/11(Thu) 12:32:13)
蒼空 > 樹林さんからの応答なし。見てないのかな? (2004/11/11(Thu) 15:11:55)


[412] ありがとうございました。 投稿者:銀河 投稿日:2004/11/18(Thu) 21:43:07
震洋老兵様から頂いた情報により、峯様に連絡したところビデオ複製可能の連絡
を頂きました。いろいろとありがとうございました。本のほうも気長に探してみようと
思います。


蒼空 > よかったですね。安心しました。 (2004/11/18(Thu) 22:10:16)


目次へ [AOZORANOHATENI]