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[369] 蒼空様
投稿者:ユタ
投稿日:2004/09/01(Wed) 01:07:21 皆様はじめまして。
他のHPで同じ質問をしたところ、蒼空様よりHPの紹介を頂きました。
私の祖父方の本宅の息子は、九州南東方機動部隊攻撃で特攻し散華した為、今では
貴重な体験を聞くことはかないません・・・
本宅は自宅から近く、その親も高齢で入院中ながら健在ですが、過去の悲しい出来事
を思い出させたくは無いので、私には詳しい話しを聞くことは出来ません。
残念ながら私は知識があまり無いので、もし皆様でこの当日の事が詳しく書いてある
書籍や資料をご存知でしたら宜しくお願い致します。
当日の直援隊でご存命の方や偵察員の事、当日をご存知の方なども分かればと思って
います。
昭和20年3月19日
701航空隊
神風特別攻撃隊 菊水部隊 彗星隊
第一国分基地発 九州東方機動部隊攻撃
偵察 一飛曹 ○○○○○○ (○○・乙飛17期)
http://www.warbirds.jp/senri/22tokuko/131/70/701.html
聯合艦隊告示(布告)第九六号
「昭和二〇年三月一八日一九日及二〇日の三日間に亘り、本土に来冠せる有力なる
敵機動部隊群に対し、相続いで出撃之を九州南東海面に捕捉熾烈なる防禦砲火並に
跳梁せる敵戦闘機群の執撤なる濫撃妨害を排しつつ果敢なる体当り攻撃を決行他隊の
攻撃と相俟ちて来襲敵航空母艦の大部を撃沈するの戦果を収め、克く其の精華を発揚
して悠久の大義に殉ず忠烈萬世に燦たり、価て裁に其の殊勲を認め全軍に布告す」
昭和二〇年五月二三日 聯合艦隊司令長官 豊 田 副 武
※名前は伏せさせて下さい(必要であればメールでご連絡いたします)。
それと著書を購入したいのですが、
かえらざる翼 【海鳥社】
蒼空の果てに(CD版)
は購入可能なのでしょうか?
書店で購入出来る物で上記2点と内容の異なる本はどれなのでしょうか?
宜しくお願いいたします。
蒼空
> ユタ様 当掲示板、7月26日〔350〕に吉田紗知様からの書き込みがあります。
同じ乙飛17期のご遺族です。17期会の会長に連絡をとれば詳しい情報が得られると思います。
次に著書の件ですが、住所をメールで連絡頂ければ、ご遺族には無償で送付致します。
また「白菊特攻隊」はまだ市販されている筈です。
(2004/09/01(Wed) 06:48:31)
吉田紗知
> ユタさま、蒼空さまこんにちは。掲示板で掲載したとおり、私の遺族は乙17期卒で、
最後は701空105飛行隊でした。乙17期の方数名と連絡を取っておりますので、何かお力になれる
はずです。701航空隊で飛行隊の所属が分かれば教えてください。ご連絡お待ちしておりますね。
(2004/09/02(Thu) 12:02:50)
蒼空 > 701空攻撃103飛行隊所属です。
(2004/09/02(Thu) 16:41:11)
ユタ
> 蒼空様、吉田紗知様、返信ありがとうございます。 PCが謎の不調で返信できず、すみま
せんでした。(電源が勝手に落ちてしまう不具合です・・・原因はメモリーでした)
蒼空様、遺族といっても祖父方の本宅と言う、私とは関係が遠いのですが大丈夫なのでしょうか?
購入でも良いですが、どういたしましょう? 吉田紗知様、すみません。本宅まで行って直接、話を
聞いたりしたわけではないので(本当はそうした方が良いのでしょうが・・・)分かりません。
蒼空様のお書き頂いたので良いのだと思います。 宜しくお願い致します。
(2004/09/03(Fri) 01:43:02)
蒼空
> ユタ様、 「かえらざる翼」はもう市販されていないはずです。私が贈呈いたします。
(2004/09/03(Fri) 06:34:23)
[370] 人を探しています
投稿者:
大塚
投稿日:2004/09/02(Thu) 22:09:57
91になる伯母がかつて世話になったという方を探しています。ここがふさわしいかどうか、
戦後生まれの私にはわかりませんので、場違いでしたら申し訳ありません。
行本達雄さん、岡山、船着の出身、大正10年生まれ。法政大学を卒業。13期、海軍の
予備学生だったそうです。
どなたか消息、思い出話などをお持ちのかたはいらっしゃらないでしょうか。先がもう長く
ない伯母が、東京時代に大変お世話になりましたが、ぜひ消息だけでも知りたいとのこと
で、甥や姪たちがみんなで探している昨今です。よろしくお願いいたします。
蒼空
> 私が親しくしていた、予備学生13期の方がいましたが先年逝去されました。
同期生会があるはずですから世話人を捜してみます。ただし、高齢で現在活動されているか
疑問です。 (2004/09/03(Fri) 18:18:03)
ゼロ
>大塚様、はじめまして。行本氏は、終戦時、第203航空隊戦闘第313飛行隊の分隊士
をされていたようです。山口県岩国で終戦を迎えておられます。
(2004/09/05(Sun) 02:30:02)
ゼロ
> (上記の付けたしです。)残念なことですが、行本氏はすでに他界されております。
ただし、同じ部隊におられた方はご健在です。
(2004/09/05(Sun) 02:34:44)
大塚
> ありがとうございます。別のHPの掲示板から、行本さんの昭和20年ごろのお写真を
いただきました。他界されたことは残念ですが、戦後も白鴎遺族会の地方役員として活躍され
ていたことも知りました。同じ部隊にいらした方とぜひ連絡をとってみたいのですが、教えて
いただけませんでしょうか。 (2004/09/05(Sun) 03:33:55)
[371] 航空際
投稿者:ユタ
投稿日:2004/09/03(Fri) 02:18:12 HPの趣旨とは違う書き込みですみません。
問題があったら削除してください。
蒼空様と関係の深い百里(アパートの近く)で航空際があります。
〔実家は筑波空(霞ヶ浦航空隊友部分遣隊)の近くです。〕
空自創立50周年
百里基地(旧百里原)
○ ブルーインパルスによる飛行展示
○ 米空軍サンダーバーズによる飛行展示
http://www.jda.go.jp/jasdf/hyakuri/hya08.htm
日米で百里の空を飛びます。感慨深い物がありますね。
当日仕事を調整して行ければと思っています。
蒼空
> ユタ様、茨城県は私にとって思い出多い場所です。谷田部空で中練を終わり、
百里原空で艦攻の訓練をうけました。筑波空では同期の戦闘機の連中が訓練をうけました。
私も、903空筑波派遣隊に一時勤務しました。「筑波山ヨーソロー」懐かしい言葉です。
(2004/09/03(Fri) 06:52:04)
[372] 神保宗次軍曹のこと
投稿者:おしん
投稿日:2004/09/04(Sat) 22:35:32
9月1日にスカイパーフェクTVから開局した
「チャンネル櫻」http://www.ch-sakura.jp/
での終戦記念特集「国破れても国は滅びず」の中で、四田ヤチさんという今年91歳に
なられる方、(この方は万世基地の近くの農家の主婦だった方ですが)
万世基地から20年5月17日に出撃された特攻隊員、神保宗次軍曹を見送った時の
模様を印象深く語っておられました。特攻で散華された人たちを、今まで顧みることの
少なかった自分が悔やまれます。加世田市というと、可成りの遠出、出費になりそう
ですが、近いうちに必ず平和記念館を訪れてみようと思いす。
なお、この特集番組は、加入されていない方でもブロードバンド放送でハイライトという
形で、ご覧になれますので皆さんも是非どうぞ。
http://www.ch-sakura.jp/asx/tokko.asx
---------------------------以下引用--------------------------------
あのねぇ、朝、夜が明けたらすぐ来たのよ。
こっからねぇ、半道(半里)以上有るんですよ。・・その三角兵舎が。
5時前来たでしょ。で、来てね・・昔はかまどでご飯炊いていましたからね、終戦前は。
『あら、あんた何事?』っていったの。
『俺、今日行くんだ』って。
まぁ〜これはもう・・しまったと思ってね・・・。もう・・そのときの寂しいその兵隊さん
の顔。私もそうだったんですけどね・・。
まぁ〜〜これは来る日が来たねぇと思ってね・・・。
あら〜〜残念だと思って・・・、そして、あの・・10時頃でしたかね、また来ましたよ。
『試験飛行をして、向こうの松林路で止まったけど、また来たかった。』って来たの。
だからね、あり合わせ・・そのころここは田舎ですから、ご馳走も無ぁんですよ。
あたしの家はね、鶏を飼うていましたのでね、まぁ、玉子類でも作って・・・・。
その兵隊さんはね・・・(そのころお豆が有ったのよね。)
『えんどう豆のご飯は僕はイヤ』って言った。
だけど、そのご飯を炊いて、そして食べさして、ほいで、私もね、もぅ・・今度は別れだと
思ってね、また、三角兵舎まで付いて行ったの。そしたらね、『もう、此処まででいい』
って・・(私は)三角兵舎の入口まで行ったの・・。もうね、その日は本当に・・この・・
あの・・可哀相な顔をお母さんに見せてあげたいと思いました。はい・・。
だけどねぇ・・兵隊さんは・・あの・・何時頃でしたかね、3時頃此処をね(出撃するのを)
『見送りに来るな』って私には言いました。すぐそこなんですけど、
『おばちゃん、もう見送りには来てくれるな』って・・。で、此処までは来ないで家から
飛行機を見ていましたら、ここ(上空)をね、3回廻って、そして、あっちのチョウヤ山の
方に飛んで行ってね・・・・。 数えで24歳でしたかね、(満)22歳だったでしょうね。
もう、そりゃぁね、よかみせごわした。
本当に(私が)お母さんみたいだったんでしょう。ご飯食べさしたらね、寝そべって、
『あぁ、万世の空気を吸うのもあと3時間だ』ってね、そん時ゃ本当に私ももうね・・・、
もう・・言葉に言い表すことは出来ません、あの時は・・・・。
私は、生きてる人はどんだけでもして遣っていいと思う・・。ね・・
死んだ人は可哀相・・・。だけどね・・、戦争が負けていい世の中になりました・・・。
これは、本当に・・、あの兵隊さんたちのお陰様だったと私は思う・・。
あの人たちがいるから、こんないい・・世の中が出来ているんだって私は思う・・・。
紗知
> とてもいい番組だと思いました。特に、元特攻隊員の言葉や、フィリピンの方々の思
いは、語り継がれるべきことだと思います。こういう特集をNHKで放送してもらいたいものです。
(2004/09/05(Sun) 02:54:33)
蒼空
> おしん様、「国破れても国は滅びず」のご紹介ありがとうございました。
実は「アジアの8月15日」というテレビ番組の出演依頼を受けて協力しました。ところが、放送
されてビックリ、日本を悪者に仕立てる企画編集でした。同じフイリピンを取材しているのに、
これほどの違いがあるとは驚きです。今後とも宜しくお願い致します。
(2004/09/05(Sun) 11:39:05)
おしん
> 紗知 様・蒼空様、今晩わ。今まで、特攻隊でなくなられた方については、尊い人柱
とは思いつつ、『人の命を1個の弾丸に置き換える野蛮な戦法の犠牲になった人々』 『現代
日本・日本人の国際理解の上での障害になるのではないか』いう思いがありましたが、彼らは
国のためと言うよりはむしろ肉親や恋人など、 愛する人々を護るため、自己に与えられた運命
を甘受して、粛々と死地に赴いたのですね。こういう、「自己犠牲」 ・ 「滅私奉公」という概念は
普遍性があるようで、フィリピンや欧米の人々にも結構、尊い行いとして捉えている人がいるの
は新鮮な驚きでした。 (2004/09/05(Sun) 23:05:48)
役斗藩太
> 「アジアの8月15日」、拝見しました。蒼空さんを知らなければ、大変真意が伝わ
りにくい編集でしたね。「戦争が終わって嬉しい」のは誰もが思うこと。それを意図的に「日本の
支配下から逃れられて嬉しい」と一貫して情報操作しているところに悪意を感じました。
(2004/09/14(Tue) 17:18:26)
蒼空
> 「アジアの8月15日」は日本を悪者に仕立てる最悪の企画でしたね。同じアジアを
取材して、「国破れても国は滅びず」とは雲泥の相違です。
(2004/09/25(Sat) 14:39:36)
[373] ウミライの地へ
投稿者:愛娘
投稿日:2004/09/05(Sun) 15:24:44
蒼空様、こんにちは、初めて投稿させて頂きます。
父は昭和20年5月10日、フィリピンのウミライという所で戦死したとの公報を受け取り
ました。海軍のマニラ防衛隊というところに所属していたようです。遺骨さえも帰らぬ父が、
何処で、どのような状況で亡くなったのか、知ることさえも怖く、8月15日の終戦記念日の
番組さえも見ることを拒否してきました。
既に母も他界し、59年も過ぎた今、慰霊巡拝の報に接し、この機会を逃しては永久に
父の供養も出来ないと、慰霊巡拝に参加する決意をいたしました。
ウミライというのはルソン島の民族とだけHPで知りましたが、ルソン島の巡拝コースには、
2コースありました。中部のコースと、西部、南部のコースです。中部というのは、マニラを
発ってカバナツアン、ソラノ、キアンガン周辺の巡拝コースで、西部、南部はバダンガス周
辺、マニラ、クラーク、バギオの巡拝コースです。参加希望するコースを選ばなければなら
ないのですが、西部、南部のコースを選ぶのが妥当でしょうか? 故国に帰ることなく、
遠い海に眠っている父の霊に会いに行きたいと思います。
蒼空
> 私の同期生もウミライで戦死しています。「翼なき搭乗員」をご覧ください。
遠い故郷から想いを馳せるのも供養かと思います。
(2004/09/05(Sun) 21:13:01)
蒼空
> ウミライはマニラの東方です。コースに含まれているか確認すべきです。ここでは
大勢の方々が戦死しています。 (2004/09/06(Mon) 07:35:21)
蒼空 > 靖国の宮に御霊は鎮まるも おりおり帰れ故郷の山
(2004/09/06(Mon) 07:37:31)
愛娘
> 蒼空様お返事有難うございます。コースについてはしっかり確認したいと思います。
残された家族にとって戦争の悲しみは死ぬまで消えることはありません。せめて私が元気な
うちに魂だけでも連れて帰ってあげたい気持ちで行って来たいと思います。
(2004/09/06(Mon) 23:05:13)
[374] 何故でしょう・・・
投稿者:ユタ
投稿日:2004/09/06(Mon) 00:45:29
4日にメールを送信たのですが、
Returned mail: see transcript for details
で戻ってきてしました…
蒼空
> 英文は「返されたメイル:詳細に関しては、記録を参照」とあります。
記録を再調査してください。 (2004/09/06(Mon) 07:18:00)
紗知
> ユタ様。「701空戦記」という会報に、戦死された方のお兄様が書かれた手記が
載っておりますので、コピーして郵送したいと思っております。私の方にもメールを下さい。
メールは、保存掲示板〔350〕番のアドレスにお願いします。ご報告:吉田紗知です。
(2004/09/06(Mon) 12:16:02)
蒼空
> ユタ様、「かえらざる翼」本日発送しました。
(2004/09/06(Mon) 17:49:24)
ユタ
> 蒼空様、ありがとうございます。 メールの方、届いていたんですね。
(2004/09/07(Tue) 14:37:04)
ユタ
> あの英文メールは一体なんだったのでしょう・・・ ところであまりお手紙とか書い
たりしないもので、蒼空様に失礼が無かったか心配しています。
(2004/09/07(Tue) 14:40:18)
蒼空
> CDは「蒼空の果てに」と「自衛隊こぼれ話」の要約ですから、HPをご覧になって
頂ければ結構です。 (2004/09/07(Tue) 18:03:59)
[375] Untitled
投稿者:石原友子
投稿日:2004/09/07(Tue) 10:14:11
始めまして私の姑のお兄さんが戦争で亡くなりました、でも今だにフィリピンで死んだ
としか分かりません戦争が終わって生きていたたのを見たと言う人もいます、どうか
何処で死んだのか病気で死んだのか分からないので教えてください。それと死んだ
場所も分かりません、お骨も家にわ空の骨壷が届けられただけです、どうかだれか
教えて下さいお願いします。
蒼空
> 先ず本籍地の役場で、死亡年月日と何処からの通知で除籍したかを調べて
ください。陸軍なら県庁、海軍なら厚生省に記録が残っています。
(2004/09/07(Tue) 11:28:57)
[376] Untitled
投稿者:遠藤
投稿日:2004/09/07(Tue) 21:07:52
突然の書き込み失礼します。
実はこの度、戦前の航空機の主輪を見つけたのですがメーカー、マニアの方、果ては
自衛隊にまで問い合わせましたがいくら調べても使用機種が判明いたしません。
何とかAns,Q本館にて片様より「サイズ的に二式中練かもしれない・・・」との情報を得ま
したがその後進展せず今回も情報を求めてサイトを巡り回りましたところ貴サイトを知り
藁にもすがるような気持ちで書き込みした次第です。
突然のお願いで失礼とは存じますが知っておられる方がいらっしゃいましたら宜しく
お願いいたします。
なおタイヤ本体には下記のように書いております
1:製造年月日 昭和19年6月と19年8月の二本
2:製造メーカー 藤倉工業株式会社
3:サイズ 450×140
4:その他 タイヤ側面に「6層 常用内圧4kg
5:画像 http://b.pic.to/2jvzs
蒼空
> 天山のサイズ、800×280と比較して練習機用だと思います。
情報が得られるとよいですね。 (2004/09/08(Wed) 06:50:40)
遠藤
> そうですか、天山と比べるとサイズ的に約半分ですから機の線が濃厚ですね。
ホイールの形状から主輪に間違いないと思うのですがどうでしょう?
(2004/09/08(Wed) 20:05:02)
蒼空
>もしかして「白菊」かもしれません。 http://www.warbirds.jp/BBS/off/petit.cgi
にコンタクトしてください。 (2004/09/08(Wed) 20:58:46)
遠藤
> 有難うございました。先方にメールしてみます (2004/09/09(Thu) 19:33:16)
遠藤
> 照会の結果[白菊]ではありませんでした。(白菊は600×175だそうです)
またもや迷宮入りです (2004/09/14(Tue) 17:56:21)
[377]
お教えいただき、ありがとうございました
投稿者:土屋二飛曹
投稿日:2004/09/19(Sun) 08:35:17
蒼空様、「陣中談義・うら話」の「Ans,Q 別室」への私へのご回答、ありがたく拝見いたし
ました。私の戯れ言に対し、ご丁寧にお答えいただき、大変恐縮しております。
私があのような質問をしたのは、たとえば、支那事変において、戦闘機搭乗員では私が
例を挙げたような方が新聞を通じて国民に知らされましたし、艦爆搭乗員にも染矢岩夫さん
という、この方も支那事変で金鵄勲章と銀時計を拝受されたようですが、有名な方がおられ
ます。ただ、下士官出身の艦攻搭乗員では、支那事変においては航空雷撃戦(水平爆撃は
もちろんありましたが)がなかっただけに、後の搭乗員の間で伝説になったような方がいらし
たのだろうかと、ふと考えてしまったわけです。
「戦争中の極限の生活では、直接身近に起こった事件以外には関心が薄い」と蒼空様が
おっしゃるのは、平和な時代しか知らない私にも、何となくではありますが、理解できる気が
します。常に死と隣りあわせの毎日の中で、よその隊の誰が何機落としたとか、誰が敵艦
に魚雷を当てたとか、そもそも情報量も少ないでしょうが、あっても関心が薄いのが当たり
前だと思います。だから、岩本徹三さんにしても、支那事変での働きを知る人はあっても、
アメリカとの戦争でどんな活躍をしたのかは、戦後になってはじめてご本人の手記で有名に
なったものだろうと思います。
蒼空様からお教えいただいた、後藤(仁一)大尉、堅田(瑞穂)飛曹長、中西中尉、武藤
(武四?)少佐、柏原飛曹長の5人の方ですが、後藤大尉については印度洋作戦までのご
戦歴は記録を追っておりますので存じております。ミッドウェーでは「赤城」雷撃隊は、索敵
に出た西森飛曹長機以外、艦内待機中に母艦が被弾してしまい、残念な結果に終わりまし
たが、以後のご戦歴については残念ながら存じておりません。
堅田飛曹長(甲飛4期)については、蒼空様のホームページを拝見し、お父上が「珊瑚海
海戦では生還できたのに」と嘆かれたことを知りましたが、残念ながら「瑞鶴」「翔鶴」の記録
では未だお名前を確認するに至っておりません。まだまだ記録に不備があるのかと推測いた
します。18年10月頃カビエンの五八二空艦攻隊にいらしたことは把握いたしております。
72期の中西中尉はともかくといたしまして、武藤少佐(65期?)、柏原飛曹長のお二人に
つきましては、不勉強の為まったく存じ上げておりません。今後、戦史をむさぼるなかで気に
かけていきたいと思います。
長々と駄文を綴りましたが、お許しください。ありがとうございました。今後とも、ご指導賜り
ますようお願い申し上げます。
蒼空
> 柏原飛曹長は、終戦時米軍に引き渡す「天山」を空輸したことを何かの記録で読み、
無事復員されたことを知りました。武藤少佐(名前は確か、将司?)は北九州におられると聞き
ましたが以後会っていません。 (2004/09/19(Sun) 11:14:40)
土屋二飛曹
> 失礼しました、武藤正四(まさし、海兵65期)さんだと思います。
(2004/09/19(Sun) 15:11:06)
蒼空
> 武藤少佐は(しょうし)と呼んでいた記憶があります。正四が正解かも知れません。
60年も前のことですから。 (2004/09/19(Sun) 20:58:57)
土屋二飛曹
> 海兵65期の武藤正四さんだとするとご出身中学は安達中だということですから、
福島県のご出身ということになります。飛行学生は艦上機偵察ご出身のようですね。また、
中西達二中尉は山口中学のご出身のようです。 (2004/09/19(Sun) 22:38:13)
[378] 28歳女です
投稿者:匿名希望
投稿日:2004/09/23(Thu) 19:57:47
昭和元年生まれの大叔父は予科練に蓄膿で落ちて船乗りの学校に進み今も健在です。
予科練に受かっておれば特攻で戦死していたでしょう。私の身内には幸いに戦死者がいま
せんが関心をもっています。特攻で亡くなられた方をはじめ戦死された方々により今の時代
があるんだと。知覧で火だるまになった搭乗員の絵を見た時に胸が痛いというか何ともいえ
ない気持ちになりました。思いつくままに書き意味不明の文になりましたが、今の日本人は
戦死者にもっと敬意を払い感謝すべきだと思います
蒼空
> 私は昭和2年2月生まれです。叔父さんが予科練に合格していれば私と同期生です。
お暇な時にHPをゆっくりご覧になってください。
(2004/09/23(Thu) 22:02:28)
[380] ご報告
投稿者:紗知
投稿日:2004/09/27(Mon) 21:22:18
先日19日に最後の特攻隊員の一人である川野和一さんを訪問しました。
直接お会いすることができ、本当に嬉しく思いました。およそ5時間に渡って貴重な体験談を
お話して下さり、私にとっても大変貴重な体験となりました。
宇垣特攻については、本によって微妙に食い違いがありますが、私なりに纏めてみようと
思っています。大木の航跡辿りも3ヶ月が過ぎ、徐々に空白が埋まってきています。
今後ともよろしくお願いします。
蒼空
> 「宇垣特攻」については、有名作家の著書にも相違があります。HP「陣中談義・うら話」
13-2をご一読ください。 (2004/09/28(Tue) 06:56:11)