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はじめまして 投稿者: 投稿日:2011/08/15(Mon) 13:14 No.1575 
永末様

東京在住30代男性です。亡くなった祖父が海軍にいましたので,私も幼少の頃より靖国神社に参拝しております。
靖国神社にある遊就館にも何度も足を運びました。
亡くなった親戚にも陸軍中野学校や陸軍士官学校に行ってた方もおりました。
そのこともあり少々の頃から戦争の話を聞かされました。
今年は仕事の為終戦記念日に靖国神社参拝できませんでしたが,一昨日に参拝してまいりました。
今の日本があるのは先の大戦で日本の為に戦ってこられた方の礎に成り立っていると思います。
ところでご質問ですが,永末様が所属していた部隊でも戦友の皆様と【靖国で会おう】と誓い合っておりましたか?
神風特別攻撃隊にも若手搭乗員の他に真珠湾作戦からの熟練搭乗員も何人かおりましたか?

つまらない質問で恐縮ですが,ご教示いただけたら幸いです。


老兵 > 大井航空隊では比較的若い搭乗員で編成されていました。九〇三航空隊には古い搭乗員大勢いました。先任下士官は大正時代の応召兵でした。 (8/15-17:11) No.1576
国分 > ご返事ありがとうございました。神風特別攻撃隊に熟練搭乗員も多くおられたのも初めて知りました。あともう1つご質問ありますが、神風特別攻撃隊は飛行隊長も必ずおりましたか?その時は飛行隊長座乗の機は最後に離陸する順番でしたか? (8/15-18:14) No.1577
老兵 > 当書の ☆特攻隊戦没者名簿 をご覧ください。白菊特攻隊では予備学生出身の中尉が最高で、佐官は一人もいません。九〇三航空隊は特攻隊ではありません。 (8/16-06:06) No.1578
> ご教示ありがとうございます。最後にもう1つご質問させていただきますが,航空の専門家と言われた源田実大佐は特攻隊を立案し組織化したと聞きます。また海軍内では源田大佐は好まれてなかったと聞いた事ありますが,実際はどうだったのでしょうか? (8/16-12:22) No.1579
老兵 > 特攻隊の創始者は大西中将が定説です。源田氏は戦後自衛隊に入りました。F105の選定や参議院選出馬など部内の評判はよくありませんでした。 (8/16-17:16) No.1580
> ご教示ありがとうございます。この前DVDで【君のためにこそ死ににいく】という特攻隊の映画を見ました。国の為に亡くなった特攻隊員の方々の死を決して忘れてはならないと思いました。 (8/22-08:45) No.1581
呼称について 投稿者: 投稿日:2011/08/02(Tue) 00:39 No.1571 
永末様

以前書き込みをさせていただき、長らくご無沙汰いたしております。
この度は、海軍航空隊内での上級者の呼称についてお尋ねいたします。
永末様のペアの方は少尉とのことでしたが、普段の呼びかけの際、何とお呼びするのでしょうか。苗字に階級を付けて「××少尉」と呼ぶのでしょうか、面と向かっている時は「少尉」と階級のみで呼びかけることがあるのでしょうか?
映画などで、「少尉殿」などと呼ぶ場面(陸軍の兵隊だったか?)を見たことがありますが、実際には、海軍一般で定められた呼び方があったのでしょうか。

つまらない質問で恐縮ですが、ご教示くださいましたら幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。


老兵 > 上級者の呼び方はは職名が一般的です。「飛行長」「分隊長」などです。同じ職域の方が多数いる場合は「分隊士」でなく苗字をつけて「○○分隊士」又は「○○少尉」と呼びます。海軍では「殿」はつけません。 (8/2-06:02) No.1572
> ありがとうございます。海軍では「殿」は使わないのですね。参考になりました。 (8/3-00:57) No.1573
お礼 投稿者:さやか 投稿日:2011/07/16(Sat) 13:49 No.1565 
遅くなりました。
申し訳ありません。

とても分かりやすかったです。納得しました。

何だか、数学が得意の方が有利そうですね。

永末様は操縦ですが、操縦員の方にとって、ペアの偵察や電信の方は、どんな存在なのですか?

また、士官の方との関係はどうでしたか。兵学校、予備学生と様々ですが・・・

甲飛と乙飛では軋轢があったとかよく言われますが、実施部隊ではどういった関係でしたか?

いろいろご迷惑をおかけして申し訳ありません。


老兵 > 予科練時代の教員(班長)は搭乗員以外です。甲飛乙飛の軋轢は彼らが「甲飛に負けるな」「乙飛に負けるな」と嗾けることから生まれたもので、実施部隊ではお互いに協力しなければ任務は達成できません。大井空時代の私のペアは14期の予備学生出身の少尉でした。私に氣を使って酒など届けてくれました。 (7/17-17:58) No.1567
さやか > 参考になります。重ねて質問させて戴きますが、出身地で入隊する航空隊は決まるのでしょうか。 (7/17-19:44) No.1568
老兵 > 当初予科練はすべて土浦空に入隊しました。次に三重空が開隊、昭和18年に鹿児島空が開隊しました (7/17-21:55) No.1569
老兵 > 出身地というより、鎮守府別です。 (7/17-21:59) No.1570
お礼 投稿者:さやか 投稿日:2011/06/22(Wed) 18:44 No.1544 
先日投稿させて戴きました者です。

愛知一中総決起で戦死された方について調べることができました。

戦死された方は5名いらっしゃるようです。

やはり、甲飛13期で御座いました。

なかでも、犬飼成二氏は草薙隊員で、貴方様の御紹介をきっかけに、調べることができました。

有り難う御座います。

みなさん十代で、私と同い年の16歳の方もいらっしゃいます。

戦闘で両足を切断し、闘病の末、14年後に亡くなった方もいらっしゃいまして、胸をかきむしられる思いです。

現在の私にやりたいことがたくさんあるように、みなさん もっともっとやりたいことがあったと思われます。

日本の未来のためにペンを捨てられた先輩方の分まで、勉強をがんばります。そして、みなさんがもう一度日本に生まれてきた時に、良かったなぁと思って戴けるようにします!

本当に有り難う御座いました。


老兵 > 甲飛13期生は偵察員と水上機の操縦員が飛行練習生を卒業して実施部隊に配属されています。陸上機操縦員は燃料不足等で訓練が中断されました。戦死されたのは水上機操縦と偵察員です。犬飼成二氏は偵察員ですね。 (6/22-19:26) No.1545
さやか > そうですか。では、艦戦や艦攻の操縦員で、前線にでられた方は、いらっしゃらないのですね。初めて知りました。甲飛13期というと、回天や特潜などのイメージが強く、あまり飛行機には乗ることができなかったクラスという印象があるのですが、偵察員や、水上機操縦員の方の飛行時間は、だいたいどのくらいなのでしょうか。 (6/22-20:09) No.1546
老兵 > 飛行時間は機種によって違います。一概に言えません。鑑攻の私で800時間程度でした。 (6/22-21:58) No.1547
さやか > そうなのですか。203航空隊戦闘303飛行隊の隊員名簿を見たことがありますが、そこに37飛練甲の欄があって、搭乗時数は128時間と139時間になっていました。実名をあげてよいか分かりませんが、尾形三郎氏と、北村健次氏のお二人です。37飛練甲ということは、甲飛12期の方でしょうか。戦闘機専修者は、訓練時間が少なかったのですか?(ちなみに昭和20年6月初旬ごろの名簿です) (6/23-19:08) No.1548
老兵 > 私も飛練37期です。戦闘機は離陸して戦闘訓練を行い着陸するまで30分程度です。鑑攻の場合雷撃訓練など1時間程度飛びます。おまけに次に操縦する者が後席に乗りますだから2倍になります。私の場合903航空隊に配属され、6時間程度の哨戒飛行を毎日のように行っていました。500時間で半人前1000時間で一人前と言われていました。 (6/23-22:13) No.1549
さやか > ありがとうございます。艦攻は必然的に飛行時間が長くなるのですね。では、艦爆も同じでしょうね。戦闘機操縦員は、300時間は飛ばないと、空中戦はままならないと聞きます。100時間ちょっとの飛行時間で前線へゆくのは、戦闘機は単座ですし、不安だったでしょうね。琴平水心隊の野村龍三氏は、私の住んでいる地方出身です。この方も同じような飛行時間だったと、考えています。水上機は操縦が難しいと聞きますし、沖縄までの道のりは大変だったでしょう。心からお疲れ様でしたと、言って差し上げたいです。偵察員は、どのくらいの経験で一人前か分かりませんので、犬飼氏の心中を推し量ることは容易ではありませんが・・・ (6/23-22:48) No.1550
老兵 > 偵察員は航法が主体です。6ヶ月の飛行練習生でも地上での訓練が可能なので飛行訓練は100時間程度と思います。次に水上機は離着水が陸上機より難しいだけで空中操作は同じです・ (6/24-06:26) No.1551
さやか > ありがとうございます。偵察員の方は、例えば特攻隊だと、航法以外にどんな任務があるのでしょうか。また、艦爆だと偵察員が1人同乗していて、艦攻だと偵察員と電信員の2人ですが、どんな違いがあるのですか。艦攻の方が細分化されているのでしょうか。 (6/24-13:09) No.1552
老兵 > 問題は座席の構成です。鑑獏は偵察席に通信機がセットされています。鑑攻は通信機は通信席で兼務できません。ある特攻隊では指揮官機のみ偵察員を乗せ列機は操縦員だけの編成もありました。 (6/24-18:04) No.1553
老兵 > ごめん! 爆が間違っていました。 (6/24-18:06) No.1554
さやか > いえいえ、大丈夫ですよ。しかし、そんな理由があったとは知りませんでした。航空隊の話になると、戦記でもなんでも、操縦員にばかり光が当たって、偵察員は影が薄いような気がします。しかし、黙々と航法をこなし、電鍵を叩き続けた偵察員の方の活躍にも、そろそろスポットライトがあたっても良いと思います。失礼な物言い、お許しください。ふと、そう思ったのです。偵察員の方が書き残したものも、操縦の方に比べて少ないと思います。永末様は、偵察員の同期生の方についてもいろいろお書きですから、これからも黙して語らない偵察の方について、語り継いでいって下さいませ。応援しております。 (6/24-19:12) No.1555
老兵 > ありがとうございます。今後とも宜しくお願い致します・ (6/24-20:26) No.1556
こんにちわ 投稿者:かすみ 投稿日:2011/07/12(Tue) 16:32 No.1563 
初めまして、今回、神風特別攻撃隊でネット検索をしておりましたら、このサイトに辿り着きました。
永末さんが母方の祖父と同い年でしたので、勝手に親近感を抱きつつ、サイトを拝見させていただきました。
わたし自身は当然、昭和の最後の方に生まれたので戦争は知りませんが、父方の祖父に幼い頃から何度も話を聞いてきました。

今回、永末さんのサイトの中にある文章などを読ませていただき、本当に胸がいっぱいになりました。
高校生、大学生時分は、よく「うちらと同い年ぐらいの青年が飛行機に乗って、敵艦に当たっていったんやね・・・。」と言っていたのに、いつの間にかその年を追い越し、30歳間近になっていることに驚かされました。と、それと同時に平和の大切さを再度確認させられました。
このようにして、戦争の話を風化させずに次世代へと語り継いでいくことが大切なんだと思います。

また、伺わせていただきます。貴重なお話をありがとうございました。

老兵 > 私は12期甲種飛行予科練習生に入隊しました。当時16歳でした。 (7/12-19:25) No.1564
質問です 投稿者:さやか 投稿日:2011/07/01(Fri) 17:21 No.1560 
何度も質問させて戴いて申し訳ありませんが、いろいろ考えて、夏から愛知一中総決起事件をモデルに、偵察員を主人公にして小説を書こうと思い立ちました。

しかし、偵察員について分からないことだらけで手も足も出ませんム

そこでいくつか質問させて戴きます。

1、どのような人が偵察員に選ばれたのですか?適性のようなものがあったのでしょうか。

2、偵察員はどのような訓練をしているのですか?(飛練も含め)

3、航法について。航法はどのようにやっていましたか?

4、偵察員は機種が決まっているのですか?例えば「艦攻の偵察員」のように。

5、戦闘機乗りや艦爆乗りなど、機種によって気質に違いはありましたか?

操縦の方にこんな質問をしては失礼かと存じますが・・・

参考になるものや、詳しい方がいらっしゃればよいのですけれど。


老兵 > 私のホームページをお読みください。特に田中部隊以下を重点に・・・ http://www.warbirds.jp/senri/07ooi/ooi-4.html (7/4-06:00) No.1561
お礼 投稿者:さやか 投稿日:2011/06/22(Wed) 18:44 No.1544 
先日投稿させて戴きました者です。

愛知一中総決起で戦死された方について調べることができました。

戦死された方は5名いらっしゃるようです。

やはり、甲飛13期で御座いました。

なかでも、犬飼成二氏は草薙隊員で、貴方様の御紹介をきっかけに、調べることができました。

有り難う御座います。

みなさん十代で、私と同い年の16歳の方もいらっしゃいます。

戦闘で両足を切断し、闘病の末、14年後に亡くなった方もいらっしゃいまして、胸をかきむしられる思いです。

現在の私にやりたいことがたくさんあるように、みなさん もっともっとやりたいことがあったと思われます。

日本の未来のためにペンを捨てられた先輩方の分まで、勉強をがんばります。そして、みなさんがもう一度日本に生まれてきた時に、良かったなぁと思って戴けるようにします!

本当に有り難う御座いました。


老兵 > 甲飛13期生は偵察員と水上機の操縦員が飛行練習生を卒業して実施部隊に配属されています。陸上機操縦員は燃料不足等で訓練が中断されました。戦死されたのは水上機操縦と偵察員です。犬飼成二氏は偵察員ですね。 (6/22-19:26) No.1545
さやか > そうですか。では、艦戦や艦攻の操縦員で、前線にでられた方は、いらっしゃらないのですね。初めて知りました。甲飛13期というと、回天や特潜などのイメージが強く、あまり飛行機には乗ることができなかったクラスという印象があるのですが、偵察員や、水上機操縦員の方の飛行時間は、だいたいどのくらいなのでしょうか。 (6/22-20:09) No.1546
老兵 > 飛行時間は機種によって違います。一概に言えません。鑑攻の私で800時間程度でした。 (6/22-21:58) No.1547
さやか > そうなのですか。203航空隊戦闘303飛行隊の隊員名簿を見たことがありますが、そこに37飛練甲の欄があって、搭乗時数は128時間と139時間になっていました。実名をあげてよいか分かりませんが、尾形三郎氏と、北村健次氏のお二人です。37飛練甲ということは、甲飛12期の方でしょうか。戦闘機専修者は、訓練時間が少なかったのですか?(ちなみに昭和20年6月初旬ごろの名簿です) (6/23-19:08) No.1548
老兵 > 私も飛練37期です。戦闘機は離陸して戦闘訓練を行い着陸するまで30分程度です。鑑攻の場合雷撃訓練など1時間程度飛びます。おまけに次に操縦する者が後席に乗りますだから2倍になります。私の場合903航空隊に配属され、6時間程度の哨戒飛行を毎日のように行っていました。500時間で半人前1000時間で一人前と言われていました。 (6/23-22:13) No.1549
さやか > ありがとうございます。艦攻は必然的に飛行時間が長くなるのですね。では、艦爆も同じでしょうね。戦闘機操縦員は、300時間は飛ばないと、空中戦はままならないと聞きます。100時間ちょっとの飛行時間で前線へゆくのは、戦闘機は単座ですし、不安だったでしょうね。琴平水心隊の野村龍三氏は、私の住んでいる地方出身です。この方も同じような飛行時間だったと、考えています。水上機は操縦が難しいと聞きますし、沖縄までの道のりは大変だったでしょう。心からお疲れ様でしたと、言って差し上げたいです。偵察員は、どのくらいの経験で一人前か分かりませんので、犬飼氏の心中を推し量ることは容易ではありませんが・・・ (6/23-22:48) No.1550
老兵 > 偵察員は航法が主体です。6ヶ月の飛行練習生でも地上での訓練が可能なので飛行訓練は100時間程度と思います。次に水上機は離着水が陸上機より難しいだけで空中操作は同じです・ (6/24-06:26) No.1551
さやか > ありがとうございます。偵察員の方は、例えば特攻隊だと、航法以外にどんな任務があるのでしょうか。また、艦爆だと偵察員が1人同乗していて、艦攻だと偵察員と電信員の2人ですが、どんな違いがあるのですか。艦攻の方が細分化されているのでしょうか。 (6/24-13:09) No.1552
老兵 > 問題は座席の構成です。鑑獏は偵察席に通信機がセットされています。鑑攻は通信機は通信席で兼務できません。ある特攻隊では指揮官機のみ偵察員を乗せ列機は操縦員だけの編成もありました。 (6/24-18:04) No.1553
老兵 > ごめん! 爆が間違っていました。 (6/24-18:06) No.1554
さやか > いえいえ、大丈夫ですよ。しかし、そんな理由があったとは知りませんでした。航空隊の話になると、戦記でもなんでも、操縦員にばかり光が当たって、偵察員は影が薄いような気がします。しかし、黙々と航法をこなし、電鍵を叩き続けた偵察員の方の活躍にも、そろそろスポットライトがあたっても良いと思います。失礼な物言い、お許しください。ふと、そう思ったのです。偵察員の方が書き残したものも、操縦の方に比べて少ないと思います。永末様は、偵察員の同期生の方についてもいろいろお書きですから、これからも黙して語らない偵察の方について、語り継いでいって下さいませ。応援しております。 (6/24-19:12) No.1555
老兵 > ありがとうございます。今後とも宜しくお願い致します・ (6/24-20:26) No.1556
御質問 投稿者:さやか 投稿日:2011/06/19(Sun) 16:49 No.1528 
突然の御質問、御許し下さい。

私、愛知県の高校生です。愛知県の旭丘高校では、旧制愛知一中時代、予科練への総決起があったと伺っておりますが、そのなかで戦死された方はいらっしゃるのでしょうか。

また、草薙隊についても調べております。
参考になるようなよい本など御座いましたら、御手数を御掛け致しますが、御知らせ下さい。

老兵 > 草薙隊は名古屋航空隊の九九鑑爆で編成した特攻隊です。私のホームページ「蒼空の果てに」に戦死者名簿を記載しています。 http://www.warbirds.jp/senri/  (6/19-21:54) No.1530
さやか > ありがとうございます。何度も御聞きして申し訳ないのですが、先日、貴方様のサイトを拝見させて戴いたとき、疑問に思った点があったので、御聞きします。4月17日に第8銀河隊で戦死された、吉川功氏と田中茂幸氏のペアである、鈴木勘次氏は甲飛12期生ではないのでしょうか。鈴木氏の著書である「特攻からの生還」を愛知県の後輩として感慨深く読ませて戴いた記憶がありますので、兵庫県出身の丙飛15期生と聞いて、不思議に思っておりました。もしかして違うお方でしょうか。それとも私の記憶違いでしょうか。そうだとしたら大変な失礼なのですが。また、愛知一中総決起については、昨年NHKで放送されていましたが、入隊年月から推測するに、甲飛13期でしょうか。見当違いな質問をしてしまい、ご迷惑ではありませんでしたか。お気を悪くされていないかと、気にかかっていました。 (6/19-23:28) No.1531
老兵 > ご指摘ありがとうございます。念のため再調査しますが、甲飛12期ではありません。 (6/20-06:38) No.1532
さやか > そうですか。失礼致しました。やはり私の記憶違いでしょうか。御手数を御掛け致します。 (6/20-12:57) No.1533
老兵 > 聯合艦隊告示232号を確認してください。 (6/20-17:18) No.1535
さやか > 確認させて戴きました。やはり、私の記憶違いだったようです。御迷惑を御掛け致して申し訳有りませんでした。私は将来、特攻隊の方の顕彰をさせて戴けるような職業に就きたいと考えております。できれば、大学の先生になって、本など書いて世論を刺激し、日本をもっと良い国にしたいです。頭も良くないのに、大言壮語だと思いますが、それでも今は、特攻隊員の方々のためにもと、勉強を頑張っています。勉強の合間に特攻隊について研究しておりますので、これからも質問させて戴くことがあるかも知れません。暑かったり寒かったりと、なかなか定まらない天気が続いておりますから、どうかお体を大切にして下さい。本当にありがとうございました。 (6/20-19:00) No.1536
老兵 > さやかさん 頑張ってください。 (6/20-19:35) No.1537
無題 投稿者: 投稿日:2011/06/20(Mon) 21:14 No.1538 
お若い方からの投稿読ませていただきました。
この様に若い方々が先の戦いの真の姿を学び、後世に伝えて下さる事を願っている一人として、とても嬉しく思いました。
梅雨空の間からチラッとお日様が覗いた様な気分です。
もっと、もっと多くの若者に知って頂きたいですね。
老兵様、頑張ってください。

老兵 > パソコンの前に座るのが楽しみです・ (6/21-05:49) No.1539
無題 投稿者:響ママ 投稿日:2011/05/22(Sun) 20:10 No.1523 
こんばんわ。
前にも何度か書き込みさせていただいている者です。
近況報告で体調が優れないとありましたがお身体大丈夫でしょうか?
早くお元気になっていただきたいです。
そしていつまでも私たち戦争を知らない世代にたくさん教えていただきたいです。
お大事になさってください。

老兵 > ありがとうございます。お酒が止められずにいます。 (5/22-20:58) No.1524
響ママ > ほどほどになさってください。 (5/23-00:10) No.1525
無題 投稿者: 投稿日:2011/03/23(Wed) 00:11 No.1513 
突然の書き込みお許し下さい。
叔父の事を調べていてここに辿り着きました。

叔父の墓標にはマレー沖海戦で亡くなったと記されておりす。
掲示板の以前の書き込みの中に
「マレー沖海戦での美幌空の搭乗割は所有しています」
とあり、もしや叔父の事も何かわかるかもしれないと思い
書き込みをさせて頂いた次第です。
叔父の名前は、千葉信二と申します。
遺骨も何も帰っては来ずに、木箱の中に石が一つ入ったものが
帰って来たと祖母が言っておりました。
今ではその祖母も亡くなり、当時の様子を覚えている者がおりません。
不躾な申し出ではありますが、宜しくお願いします。

老兵 > 美幌航空隊の編成表によれば、第4中隊第3小隊二番機の副操縦員に、千葉信二一等飛行兵の名前があります。 (3/23-08:51) No.1514
佐藤 > 早速のお返事ありがとうございます。この事を頼りにもう少し叔父について調べていきたいと思います。ありがとうございました。 (3/23-11:53) No.1515
防衛省の採用について 投稿者: 投稿日:2011/03/10(Thu) 20:18 No.1510 
はじめまして。

突然の書き込みをご容赦ください。

実は、防衛省2種(国際関係)の採用時の身辺調査についていくつか質問がありまして、書き込みをいたしました。

質問

現在、同居している祖父が三十年ほど前まで日教組の活動家(現在は日教組とは縁を切っている)で、選挙違反の疑いで警察が家宅捜索(逮捕・起訴はされませんでしたが)に来たこともあるのですが、身内にそういう経歴を持つ人物がいた場合、防衛省2種の採用には響くのでしょうか。
防衛省2種は情報本部での勤務の性質上、採用予定者には身辺調査も行われると聞きます。私は防衛省2種が第一志望なのですが、身辺調査の程度によっては別の道を探そうかと考えております。

そこで、1身辺調査の有無、2身辺調査の対象の範囲、3身辺調査の結果が採用に与える影響 につきましてアドバイスをいただきたく書き込みをいたしました。

なお、お手数ですが、お返事は下記のアドレスにお願いできますでしょうか。
hajime1987iwasaki@inter7.jp

お忙しいなか、恐縮ですが、よろしくお願いします。

岩崎

老兵 > hajime1987iwasaki@inter7.jpにアクセス出来ませんでした。次の頁をご覧ください。http://www.warbirds.jp/senri/jasdf/08asiya/7sigan.html (3/10-22:10) No.1511
無題 投稿者:あゆ 投稿日:2011/02/27(Sun) 17:58 No.1507 
初めまして。いつもHPを拝見させて頂いております。

永末さんのような元特攻隊の方に、一度お会いしてみたいと思っています。
そのような方が講演等をされることは、あるのでしょうか?

まだまだ寒い日が続きますので、お体にはお気を付けください。

老兵 > お逢いできたら嬉しいですね。福岡市の近郊です。 (2/27-21:55) No.1508
削除の件 投稿者:今吉孝夫 投稿日:2011/02/09(Wed) 14:13 No.1502  HomePage
No 1498 No1496 No1493を削除願います。手数お掛けしますがよろしくお願い致します。

老兵 > 削除致しました。 (2/9-14:47) No.1503
荒木幸雄さんについて 投稿者: 投稿日:2011/01/10(Mon) 23:02 No.1487 
初めまして。荒木さんと同い年の者です。
ずっと気になってたのですが、荒木幸雄さんが、出撃後捕虜され、収容所で亡くなったというのは事実なんでしょうか?
もし本当ならば、いつ亡くなったのか、何故亡くなってしまったのか、何故捕虜されたのか…気になります。
このサイトに、荒木さんと同姓同名の方が載ってます。荒木さんも群馬県出身です。
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/gunma/090808/gnm0908080226002-n1.htm


お返事、お待ちしております。
寒いですが、体調には気をつけて下さい^^
今後とも、サイト拝見させて頂きます。
このサイトを拝見して、少しだけ当時の彼らの気持ちが分かったような気がします。
心から「お疲れ様でした」「ありがとうございました。」と伝えたいです。
では、失礼します。

老兵 > 残念てすが、私は海軍の特攻隊戦死者は研鑽していますが、陸軍の方まで調べがついていません。ご免なさい。 (1/11-06:15) No.1488
> そうですか。ありがとうございました。 (1/11-12:34) No.1489
老兵 > あいな様 Google で検索してください。戦死の状況や写真など収録されています。 (1/26-14:32) No.1491
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