神風は吹かず
特攻隊への挽歌
葦書房 有限会社 平成3年12月8日出版
福岡市中央区赤坂3丁目1番2号
電話 092(761)2895
戦後同期生の消息も少しずつ判明し、地区別の集いや航空隊別の会合が行われるように
なった。更に、全国同期生会もご遺族のご臨席を頂き戦没者慰霊祭と併せて定期的に実施
するようになった。
さて、我々予科練出身者が敗戦の責任の一端を負うべき立場でありながら、未だ誇りを
失わず大手を振って世間を渡れるのは何故だろうか。それは、先輩や同僚が祖国の存亡に
際し、身を捨てて勇戦敢闘された事例を、国民の皆様方が未だ認識されているからである。
逆に卑怯未練な振舞いが多く、国民の怨嗟の的となっていたとしたら、今ここに予科練
出身者であることを恥じとし、これを秘匿することを余儀なくされていたであろう。故に
生存者一同、英霊に対して感謝の念を持つのは当然のことであろう。
だが、最近の慰霊祭などの行事には形骸化した感が見受けられる。単なる自己満足的な
式典になりつつあるように思われてならない。ここで慰霊の原点について考えてみる必要
がある。
先年「三十七期百里会」の仲間であった、江藤光總君が逝去され、その法要が故郷朝倉
町の萬徳寺で行われた。その折、ご住職の法話をお聴きして眼の覚める思いがした。その
要旨は、「死者の霊を慰めるなどという超能力は、如何なる名僧といえども持ち合わせて
いない。我々にできることは、遺されたご遺族をお慰めしてご安心を戴くことである」と
いうことであった。
この論法でいけば、如何に祭壇を飾り、如何なる名僧をお呼びしても、我々のの気持ち
を死者に伝えることは不可能ということである。勿論、祭壇を飾り盛大な儀式を行うこと
は、ご遺族をお慰めする手段としては意義があるかも知れない。しかし、ただそれだけで
慰霊と言えるのだろうか? それには、ご遺族の真の願いがいずれにあるか見定める必要
があると思う。
戦争末期、ご遺族に対する戦死の公報は形式的なものが多かった。また遺骨さえ帰らな
い現実に空しさを感じているご遺族が大勢おられるはずである。何処の基地から、どんな
飛行機に乗って出撃したのか? そして、何時何分にどのような状況で戦死したのか?
また生前の訓練や生活の様子など、知りたいことが山ほど有るに違いない。
当時の状況を回想すると、一枚のハガキを書くにも検閲を恐れて真実を書くことができ
なかった。また特攻隊を編成しても、その事実を知らせることも禁止された。更に、遺書
を書くにしても、確実に父母の手元に届く保証はなかったのである。
その上他人の目に触れることを考えれば、本心を書くこともできずに通り一遍の文章と
ならざるを得なかったのである。親や兄弟に伝えたいことが山ほどありながら、何ひとつ
書こうともせず、言いたいことも言わずただ黙って散って逝ったのである。
これらを思うとき、生前の彼らと生活を共にした思い出を、少しでもご遺族にお伝えす
ることができればとの念に駆られ、拙文を顧みず出版を思い立った次第である。
平成三年十二月
神風は吹かず あとがき より
平成6年9月10日 改訂版として「かえらざる翼」を出版のため絶版。