♪国の鎮め♪

蒼空の果てに

蒼空の果てに

  戦没同期生の遺書とご遺族の願い
              旭商事 有限会社 平成13年2月11日発行   福岡県糟屋郡新宮町下府299-6

 大東亜戦争が終結してから既に半世紀以上が経過した。長い歳月の流れにかかわらず、 若くして蒼空の果てに消え去った同期生の面影が、今も眼前に彷彿とする。昭和の初期 に生まれ、満州事変、支那事変そして大東亞戦争と、戦乱の昭和を生きてきた私には、 戦争を抜きにして己の人生を語ることはできない。  若くして、海軍甲種飛行予科練習生を志願し、大空に散華された同期の友は、純粋に 国家の繁栄と肉親の安寧を願ってわが身を犠牲にしたのである。ところが、あの当時、 国民から畏敬の念をもって迎えられた「神風特別攻撃隊」も、終戦後は単なる無駄死に としか評価されなくなった。そして、己の青春を祖国防衛の礎として捧げた英霊に対し て、なんら報いることのできない世の中に変わり果てたのである。  私は幸か不幸か、命永らえて終戦を迎えることができた。そして、戦没同期生の慰霊 とその功績を後世に残したいと思い、集めた資料と己の体験をもとに「神風は吹かず」 「かえらざる翼」(同期生の戦没者名簿を掲載)「白菊特攻隊」を出版した。いずれも、 戦没同期生に捧げる鎮魂の書である。  このたび、下記のご遺族が大切に保管されていた遺書や遺稿などを拝読させていただ いた。また英霊の生い立ちや生前のご様子などもお伺いすることができた。 「菊水銀河隊」西山典郎君。山口昭二君。 「第七銀河隊」江藤賢助君。   「第一正気隊」弥永光男君。 「第二正統隊」小野義明君。福田周幸君。伊東宣夫君。 「八幡神忠隊」犬童憲太郎君。 「第四御盾隊」岩部敬次郎君。  だが、これはごく一部にしか過ぎない。この限られた遺書や遺稿などを拝読しながら、 「特攻」という非情な命令に抗する術もなく、ただ黙々と戦って散華された数多くの声な き声を収録できたらとの思いが募る。  「八幡護皇隊」の堤昭君の父親、同じく「八幡護皇隊」の小河義光君の母親、「第六銀 河隊」の光石昭通君の母親、それに「第九桜花隊」の相川和夫君の姉上からお便りをいた だいた。ところが、どなたも遺書や遺稿などは受け取っていないとのことであった。はじ めから書かなかったのか、それとも、書かれた遺書が検閲によって発送を差し止められて いたのか、いずれかであろう。
一、鉄砲玉とは 俺らのことさ 待ちに待ってた 門出ださらば   戦友よ笑って 今夜の飯は 俺の分まで 食ってくれ 二、でっかい魚雷を 翼に抱え 俺の得意は いざ体当たり   愉快じゃないか 仇なす艦に 上げる火柱 水柱 三、男命は 桜の花よ 散って九段で また咲き香る   死んで生きるが 雷撃魂 散って香るが 大和魂 四、若い翼を 茜に染めて 燃ゆる機上で ニッコリ笑う   それでいいのさ 俺らの一生 残す言葉も 遺書もない
 これは当時よく歌われた「雷撃隊の歌」である。皆の前では元気に歌っていた彼らだが、 今生の別れに、話したい事や書き残したい言葉があったに違いない。だが、 大多数の者は この歌の文句のように、ただ黙って蒼空の果てに消え去ったのである。残された数少ない 遺書や遺稿から、彼ら戦没者の心情やご遺族の存念をくみ取ってほしいとの願いを込めて 編集した。 彼らの慰霊顕彰と、昭和史の一頁に残る歴史的証言として後世に残せれば幸いである。 なお、多数の関係者から資料をいただきながら、 紙数の関係で収録できなかったことを、 心からお詫びしたい。  運命の日、私は大井航空隊で「神風特別攻撃隊・八洲隊」の一員として、「特攻待機」 の態勢で更に訓練を続けていた。あのまま戦争が続き、「特攻出撃」を命ぜられた場合を 想像すると慄然とする。果たして冷静沈着に、 「体当たり攻撃」ができたであろうか疑問 である。恐らく、敵の戦闘機に追いまくられ必死に逃げまどいながら、「お母さーん」と 叫んでいたに違いない。当時十八歳であった。        平成十三年 春           蒼空の果てに あとがきより
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