♪軍艦行進曲♪
甲飛12期の事績

         

開戦の詔勅

      開戦までの経緯 御前会議(ごぜんかいぎ)とは、天皇が臨席し、国の重要な政策を閣僚・元老など と共に決定するために開催される会議の通称です。そして、この御前会議で天皇が 決定することは「聖断」として高い権威を持っています。 御前会議は主に戦争遂行などを決定するときに開かれました。主な例では明治時代 の1904年2月4日、日露戦争開戦の可否をめぐって開かれています。 昭和時代では、1941年7月2日、独ソ不可侵条約を破棄して独ソ戦が開始された際、 その事態に対応するための方策として「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」が決定さ れています。これは、独ソ戦がドイツ有利に戦況が進んだ場合、ソ連に対して開戦 すること「対英米戦準備ヲ整ヘ、対英米戦ヲ辞セズ」としたうえで、南部仏印進駐 を開始することを決めたものです。 同年9月6日、御前会議が開かれて「帝国国策遂行要領」が決議されました。これは 「大日本帝国が対米戦争を辞さない決意で、10月下旬までに開戦準備を行なう」 「それと平行して、米英との外交手段を尽くす」 「外交手段が10月上旬までにめどが立たなければ、対米開戦を決定する」というも のでした。これに対し、昭和天皇は「この草案は、戦争が主で外交が従ではないか」 と非難され、 「四方の海、みなはらからと思う世に、など波風の、立ちさはぐらむ」と、明治天皇 が作られた和歌を読んで、平和愛好の意思を示しました。これは、御前会議における 天皇の発言の中でも異例のことでした。 しかし「帝国国策遂行要領」はそのまま決議されました。 そして、同年12月1日に御前会議が開かれ、対米戦争が決定されたのです。このとき、 昭和天皇は苦渋の聖断を下されたと伝えられています。   臨時ニュースと開戦の詔勅 [大本営陸海軍部發表](十二月八日午前六時)  帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり [情報局發表八日十一時四十五分] 只今アメリカ、英国に對する宣戰の大詔が發せられ、また同時に臨時議會召集の詔書が 公布されました       詔   書 天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ 昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス 朕茲ニ米國及英國ニ對シテ戰ヲ宜ス 朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ 朕カ百僚 有司ハ勵精職務ヲ奉行シ 朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ盡シ 億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ 征戰ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ 抑々東亞ノ安定ヲ確保シ 以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ 丕顯ナル皇祖考丕承ナル皇考ノ 作述セル遠猷ニシテ 朕カ拳々措カサル所 而シテ列國トノ交誼ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂ヲ 偕ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ 今ヤ不幸ニシテ米英兩國ト釁端ヲ開 クニ至ル 洵ニ已ムヲ得サルモノアリ 豈朕カ志ナラムヤ  中華民國政府曩ニ帝國ノ眞意ヲ解セス 濫ニ事ヲ構へテ東亞ノ平和ヲ撹亂シ 遂ニ帝國ヲ シテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ 四年有餘ヲ經タリ 幸ニ國民政府更新スルアリ 帝國ハ 之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提攜スルニ至レルモ 重慶ニ殘存スル政權ハ 米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ 兄弟尚未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス 米英兩國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ平和 ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス 剰へ與國ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ 増強シテ我ニ挑戰シ 更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ與ヘ遂ニ經濟斷交ヲ敢テシ 帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ 朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ囘復セシメムトシ 隠忍久シキニ彌リタルモ 彼ハ毫モ交譲ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間 却ツテ益々經濟上軍事上ノ脅威ヲ増大シ 以テ我ヲ屈從セシメムトス斯ノ如クニシテ推移 セムカ東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ 事既ニ此ニ至ル 帝國ハ今ヤ自存自衛ノ爲蹶然起ツテー切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ 皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ 朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ 祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根 ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ 以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス   御 名 御 璽         昭和十六年十二月八日                 内閣總理大臣兼内務大臣 陸軍大臣  東條 英機                 文 部 大 臣            橋田 邦彦                 国 務 大 臣            鈴木 貞一                 農林大臣兼拓務大臣         井野 碩哉                 厚 生 大 臣            小泉 親彦                 司 法 大 臣            岩村 通世                 海 軍 大 臣            嶋田繁太郎                 外 務 大 臣            東郷 茂徳                 遞 信 大 臣            寺島  健                 大 蔵 大 臣            賀屋 興宣                 商 工 大 臣            岸  信介                 鐵 道 大 臣            八田 嘉明
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