甲飛12期の事績


          7−3 特攻隊員の死に対する考え方

 「特攻隊員」を命じられた場合、覚悟が決まるというか、決心がつくというのか、死に
対する気持ちの整理ができるのに、2〜3日かかるのが普通です。中には1週間程度も悩
み続ける者もいます。そして、1週間が過ぎても、なお決心がつかなければ脱落するしか
ないのです。

 では、特攻隊員は如何にして、死に対する自分の気持を整理し覚悟を決めたのでしょう
か。まず一般的に死を解決する要素として考えられるのは、宗教です。私の家庭は真宗の
信者でした。子供のころから、仏壇に向かう母親の後に座り「正信偈」その他のお経を読
む程度の関心は持っていました。

 また法要などで「夫レ人間ノ浮生ナル相ヲツラツラ観ズルニ・・・」に始まる蓮如上人
の「白骨の御文章(おふみ)」に無常を感じたり、説教師の法話を聞いて感銘を受けるこ
ともしばしばでした。しかし、いくら「極楽浄土」を信じていても、敵とはいえ「殺生」
に変わりはありません。だから、「極楽」ではなく「地獄」に落ちるのではないのか?
などと考え始めると、ますます混乱します。

 「そうだ! 狙うのは敵艦であって敵兵ではない!」そう心に決めることで、自ら安ら
ぎを求めていたのです。

 当時の年齢や人生経験から、信心といっても程度が知れています。それに比較して解決
すべき問題が、あまりにも大き過ぎたのです。だから、宗教によって死を肯定する心境ま
でには至りませんでした。

 次に「悠久の大義に生きる」という国家神道の教えです。当時の精神教育は、この一点
に集約されていました。だが、前述の宗教と同じように、真にこれを理解し、これで自分
の死を納得することは出来ませんでした。

 日ごろ同僚との会話の中で、                      
「俺たちは、戦死すれば軍神となって靖国神社に祀ってもらえるんだなあ……」
「そうだよ、靖国神社にも先任後任があるんだ、俺が先に行って待っている。遅れて来た
奴は食卓番だぞー」

「そらつくなよ、軍神が食卓番なんかするものか。毎日が上げ膳据え膳で、 お神酒は飲み
放題だ!」
「そうだー、俺たちは軍神なんだ。だからお神酒だけは今から供えて欲しいなあー」
「なに言ってる。お前さんの供えてもらいたいのは、おふくろさんのオッパイだろう」
などとふざけ合っていました。しかし、本心から、軍神になることや靖国神社に祀られる
ことでこの問題を解決できた者は、恐らく一人もいなかったと思います。   

 人間はどうせ一度は死ぬのです。それなら多少とも、後世に名を遺したいという見栄が
あります。そして、軍神や靖国神社は生前に想定できる唯一の死後の姿でした。 地獄や極
楽など、単なる幻想の世界ではなかったのです。                          

 立派に戦って戦死すれば、靖国神社に軍神として祀られることは約束された現実でした。
しかし、初めからそれを目的として考えるのは、神に対する冒涜だと思います。私たちは、
国家神道を観念的には理解していましたが、それは、戦死後の姿を想定する手段としてで
あって、死を解決するには、別の何かを求めざるを得なかったのです。           

 次に運命として諦観する方法があります。確かに人の運命には予測できない面がありま
す。それは、過去の戦闘や飛行機事故などの例で、生死は紙一重であることを痛感してい
ました。だから、これに運命的なものを感じていたとしても不思議ではありません。
 
 だが、これは結果として云えることで、運命そのもで死を解決するのは、単に諦らめの
理論です。諦らめ切れないから悩むのです。だから、これが死を解決の手段にはなりませ
んでした。要は理屈で解決するのでなく、感情的に納得できる何かを求めていたのです。

 私が死を意識して、真っ先に考えたことは、最も身近な者のことでした。即ち、両親や
姉など肉親のことでした。自分が犠牲になることで、国家が存続し両親や姉達が無事に暮
らす事ができるのであればという、切羽詰まった考え方でこの問題に対応したのです。 

 恐らく、 私以外の者の考え方も大同小異であったと思います。この問題を解決するには、 
肉親に対する深い愛情があったと信じています。年齢によってはその対象者が妻子であり、
また約束を交わした最愛の女性であった者もいたに違いありません。     

 この肉親に対する愛情が、わが身を犠牲にして顧みない、重大な決意を可能にしたので
す。また立場を変えて、親の側からこれをみるとき、親もまた複雑な思いに駆られていた
に違いありません。                                                        

  親想う 心に勝る 親心
    今日のおとずれ 何と聞くらむ
                                                           
 吉田松陰の辞世を、現実に体験することになったのです。いかに国のためとは云っても、
わが子の無事を願わない親はいません。お互いの愛情と信頼が「特攻」という常軌を逸し
た行動の原動力になったとすれば真に非情です。
    
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