追憶の手記
後藤 義治(大分県別府市)
昭和20年3月9日、指揮所の搭乗割に、築城基地より残存予備機三機を攻撃406飛
行隊へ輸送、(操縦員)後藤・山村・島津と掲示されていた。この日は急降下爆撃の訓練も
あって大忙しである。午後になって池上兵曹の操縦する96陸攻に便乗して、築城基地ま
で運んでもらう。われわれを降ろした池上兵曹の96陸攻はそのまま出水基地へ帰投した。
指揮所で話を聞くと、攻撃406飛行隊に輸送する筈の銀河は、鹿屋基地に輸送してい
るという。出水基地に連絡をとってもらうと、鹿屋基地まで行って銀河を持ち帰れとの指
示である。96陸攻に便乗するのかと思ったが迎えに来ない。結局陸路で鹿屋基地へ行く
ことになり、10日の朝7時過ぎに築城駅から西鹿児島行きの列車乗り込んだ。大分駅に
は10時過ぎに着き停車時間が15分ほどある。
当時私の父は大分車掌区に勤務していた。不在なら伝言だけでもと思い、
後藤「親父の勤務先へ顔を出してくるから、頼む」
島津「俺も一緒に行って良いだろう」
山村「心配いらん、席は確保しておく」
私と島津はホームの建物二階にある「大分車掌区」の部屋へ入った。車掌区の皆さんが、
立ち上がって魂消た顔付きで二人を見ている。それもその筈、飛行服に白のマフラー姿の
二人連れに何事が起きたのかと緊張したのである。
私は勤務助役の所へ行き、
後藤「後藤豊の息子です。父は乗務中でしょうか」
助役「はい、後藤豊さんは乗務中で、今日は大里(操車場)に行っております」
後藤「そうですか・・・」
〔父上様。本日十日十時半、用務にて大分駅を通過し鹿屋に向かいます。拙者は頗る元気
です。母上、姉上様に宜しく。義治拝〕と記録用紙に記入し、
後藤「乗務が終わりましたら、父親に渡してください」
助役「承知仕りました」と、助役は頗る緊張の様子である。私が敬礼すると、島津も一緒
に敬礼した。
この時、なんで島津が付いて来ていたのだろう。後に私が沖縄の夜間雷撃で負傷した時、
島津が逸早くこの車掌区に立ち寄り、負傷したことを書置きして行ったという。島津自身
も何故付いて行ったのか、理由など自覚していなかったと思う。人には何故か、潜在的に
予知能力があるのかも知れない。
都城駅経由で終着の鹿屋駅に到着したのは、21時を過ぎていた。誰が手配したのか、
駅に当番兵が出迎えに来ていた。彼の案内で海軍の集会所みたいな建物で一夜を明かした。
翌11の朝、3人で鹿屋基地まで初めての道を歩いた。
山村「この左の道を行くと、鹿屋基地の正門に着くのだろうか」
後藤「そうと思うよ、それより其処の出入口から入ろう」
そう云って、裏門か何か分からないが、番兵も誰もいない所から入った。其処を抜けると、
もう飛行場である。
銀河が30機ほどであろうか、ずらりと並んでいる。攻撃と聞いたが、何の攻撃かは知
らない。銀河の列線の近くへ行く。訓示らしきものが終わり、大勢の搭乗員が列を解散し
て散らばってくる。
「後藤兵曹」と声がする。同期の林栄一2飛曹である。
後藤「おお、やっぱり君たちだったのか。何処の攻撃か」
林 「西カロリンのウルシー攻撃なんだ」
後藤「じゃ、片道攻撃か」
林 「そうなるなあ」と、桜島を眺める。穏やかに白煙が一筋棚引いている。
河村「おい、後藤兵曹じゃないか」と声がかかる。河村兵曹と清永兵曹である。河村兵曹
は1期先輩の甲飛11期生である。
島津兵曹は、同期の原田照和2飛曹や葛佐直人2飛曹と話し込んでいる。
「後藤ではないか」と肩を叩かれた。振り返ると坂口中尉が立っている。
「あっ、中尉」と云うと手を挙げて立ち去る。河村兵曹たち3人に、
「どうせ俺たちも、お前さんたちの後を追って、特攻に征くことになると思うが、何か云
うことがあったら、山村か島津に云ってくれ、俺は一寸坂口中尉の処に行かなくてはなら
ないから」と云って皆と握手し、坂口中尉の飛行機へ急いだ。
坂口中尉と私は、豊橋航空隊当時に知り合い、私が2等飛行兵曹になりたてに撮った写
真と、坂口中尉が錦帯橋を背景にした飛行服姿の写真を交換し、お互い飛行服のポケット
に収めているほど、兄弟以上の付き合いである。2小隊5区隊1番機に近づくと、中尉は
操縦席に座ってエンジンをかけていた。私は太股に着けている記録用紙に、
「兄上の後追いゆける我なれば 今の心境訓え給えと」と記入しして、銀河に駆け上がり
中尉に手渡した。中尉はこれを読んで彼の記録用紙に、
「長躯翔け操ずる我は誉れなり 捨石投じ春を築かむ」と、書いて私にくださった。私は
これを読んで、頭が締め付けられるような状態となり、涙が止まらなかった。
坂口中尉が何も云わずに「ニッコリ」と笑って手を差し出した。私も手を出し、しっか
りと握り合った。これが坂口中尉との最後の別れであった。
8時55分から9時10分にわたり、銀河24機は鹿屋基地を発進、長躯1,400浬
西カロリン諸島ウルシー泊地片道攻撃の壮途についたのである。
辞世
特攻の下命ありて身を捧ぐ 達者で暮らせと祈る我なり 清永徳市
志願して故郷はなれ姉上に 負担をかけし詫びる我なり 清永徳市
国のため捨石となり我はゆく 陽い出る国を誰かつくれと 河村秀之
命下り振り返れば桜島 別れ惜しむか煙棚引く 林 栄一
御国のため盾となりけむ我は征く 修羅の巷はふたとあるまじ 林 栄一
大君に召されしわが家誉あれ 春きたらむと祈りつつ征く 葛佐直人
御国のため盾になりしか若桜 散りにし後に誰かおしまむ 原田照和
「梓特別攻撃隊」23号機ペア。
左から(操)原田二飛曹・(電)葛佐二飛曹・(偵)松井飛長。
昭和20年3月19日、足摺岬南方60浬の敵機動部隊に対して、「体当たり攻撃」が
実施された。思い出すままに、搭乗割と「辞世」を記録する。
指揮官機 6時25分、出水基地発進。
操縦 大尉 金指 勲 (静岡・海兵71期)
偵察 上飛曹 河野 通 (宮崎・甲飛10期)
電信 上飛曹 馬渕 哲男 (京都・甲飛9期)
4小隊1番機 6時45分、出水基地発進。
操縦 2飛曹 宮本 三龍 (福岡・丙飛15期)
偵察 少尉 鎌倉 基茂 (高知・予備学13期)
電信 飛長 高橋 要 (大分・電練66期)
なにか縁この世におりし吾なれば 御国のために盾となりゆく 宮本 三龍
5小隊2番機 6時45分、出水基地発進。
操縦 飛長 平田 寛 (福岡・乙飛特2期)
偵察 1飛曹 緒方 春雄 (熊本・乙飛17期)
電信 2飛曹 柏崎 次男 (青森・甲飛12期)
嵐吹き散りにし桜惜まるる またくる春に咲くをまたなむ 柏崎 次男
2小隊1番機 8時5分、出水基地発進。
操縦 飛長 泉 常良 (大阪・乙飛特2期)
偵察 上飛曹 川口 實 (長崎・甲飛10期)
電信 2飛曹 廣澤 文夫 (長野・甲飛12期)
桜咲き散りゆく花よおしみけむ つぎくる後世に咲き誇るかな 廣澤 文夫
引き続き3月21日には、九州南東海上の敵機動部隊に対して「体当たり攻撃」が実施
された。
指揮官機 6時25分、出水基地発進。
操縦 中尉 河野 清二 (石川・予備学13期)
偵察 1飛曹 山崎 祐則 (高知・甲飛11期)
電信 1飛曹 中尾 勝太郎 (東京・乙飛17期)
2小隊2番機 7時30分、出水基地発進。
操縦 飛長 石田 武雄 (栃木・乙飛特1期)
偵察 1飛曹 中原 末美 (長崎・乙飛17期)
電信 飛長 岡本 行雄 (三重・乙飛特1期)
国のため捨石たらん吾なれば 後世に築けよ平和の世界 岡本 行雄
2小隊1番機 7時56分、出水基地発進。
操縦 1飛曹 有村 正視 (鹿児島・丙飛11期)
偵察 少尉 吉岡 勝 (熊本・予備学13期)
電信 2飛曹 岩崎 聡 (埼玉・甲飛12期)
特攻のいざ出陣や朝もやに 宝の写真胸におさむる 岩崎 聡
3小隊2番機 8時、出水基地発進。
操縦 飛長 木原 武雄 (福岡・乙飛特1期)
偵察 1飛曹 朝日奈 登 (愛知・乙飛17期)
電信 2飛曹 角田 利男 (福島・甲飛12期)
我はゆく御国のための人柱 永久に栄えのあれと念じつ 角田 利男
4月になってからは、殆ど飛行訓練は実施されず、時々用務飛行に行くだけであつた。
そして、度重なる敵機の攻撃を避けるため、攻撃406飛行隊は美保基地へ移動すること
になった。ところが、銀河12機分36名の搭乗員を残留させるという。移動する搭乗割
を見ると、同期生の橋本重孝・橋本守・江藤賢助・岡田武教の名前が無い。その夜は有り
合せの酒を集めて、送別の宴をはった。
昭和20年4月16日、残留組の中から「特攻隊」が編成され、喜界島155度50浬
の敵機動部隊に対して「体当たり攻撃」が敢行された。
1小隊1番機
操縦 上飛曹 中居 秀雄 (三重・乙飛16期)
偵察 中尉 小林 茂雄 (神奈川・予備学13期)
電信 上飛曹 臼井 甲作 (北海道・乙飛16期)
1小隊2番機
操縦 飛長 山田 正雄 (兵庫・乙飛特1期)
偵察 1飛曹 宮前 俊三 (山口・乙飛17期)
電信 飛長 田中 仙太郎 (福井・乙飛特1期)
2小隊1番機
操縦 2飛曹 中村 廣光 (愛知・丙飛16期)
偵察 少尉 延澤 慶太郎 (滋賀・予備学13期)
電信 1飛曹 岩田 渉 (兵庫・乙飛17期)
3小隊2番機
操縦 2飛曹 江藤 賢助 (福岡・甲飛12期)
偵察 2飛曹 榎田 重秋 (宮崎・甲飛12期)
電信 2飛曹 岡田 武教 (大分・甲飛12期)
2小隊2番機及び3小隊1番機はエンジン不調のため引き返す。
辞世
大君にめされし我が身国のため 起死回生の特攻たらむ 江藤 賢助
我を生み育てし父母に手を合わす さらば祖国よわたつみのもと 榎田 重秋
命下り盾にならむと我はゆく 祈る心は後世の春陽 岡田 武教
昭和20年4月17日、出水基地では喜界島南方の敵機動部隊に対する特攻出撃準備が行
われていた。そこえB29による空襲があり多数の犠牲者がでた。その中に同期生橋本守
2飛曹がいた。彼は出撃を控え、島津兵曹に託した用紙に次の辞世が書かれていた。
御国のため若輩なれど我征かむ 永久に報国の志はかたし 橋本 守
この空襲のあと、残った3機の銀河で喜界島南方海上の敵機動部隊に特攻攻撃をかけた。
1小隊1番機はエンジン不調のため引き返し、2小隊1番機は敵を発見できずに帰投した。
2小隊2番機
操縦 2飛曹 吉川 功 (宮崎・甲飛12期)
偵察 2飛曹 鈴木 勘次 (兵庫・丙飛15期)
電信 2飛曹 田中 茂幸 (鹿児島・甲飛12期)
昭和20年5月10日、航空記録の整理を終えて指揮所に行った。すると、山村兵曹が
「おい後藤よ、さっき松木兵曹と山根兵曹がお前を捜していたぞ、そしてこれを預かった
ぞ」と云って茶色の封筒を渡された。宮崎基地経由で沖縄方面の特攻に出発したのである。
第1中隊1小隊1番機
操縦 中尉 深井 良 (神奈川・海兵72期)
偵察 上飛曹 俵 一 (東京・乙飛16期)
電信 上飛曹 北山 博 (大分・乙飛16期)
1小隊2番機
操縦 2飛曹 長谷部 六雄 (新潟・乙飛特3期)
偵察 1飛曹 吉田 雄 (和歌山・乙飛18期)
電信 2飛曹 信本 廣夫 (廣島・乙飛特1期)
2小隊1番機
操縦 中尉 鈴木 圓一郎 (静岡・海兵73期)
偵察 上飛曹 三宅 文夫 (徳島・乙飛16期)
電信 上飛曹 田中 榮一 (埼玉・甲飛11期)
2小隊2番機
操縦 上飛曹 谷岡 力 (福井・丙飛10期)
偵察 少尉 山川 芳男 (東京・予備学13期)
電信 1飛曹 杉野 三次 (三重・乙飛18期)
3小隊1番機は、宮崎基地発進後エンジン不調で引き返す。
第2中隊1小隊1番機
操縦 上飛曹 小島 弘 (兵庫・丙飛9期)
偵察 中尉 村上 守 (大分・海兵73期)
電信 1飛曹 佐藤 昇 (新潟・乙飛18期)
1小隊2番機は、宮崎基地でエンジン故障で発進せず。
2小隊1番機は、宮崎基地発進後「左エンジン故障、宝島ニ不時着ス」と打電後消息不明。
2小隊2番機
操縦 1飛曹 松木 学 (愛媛・甲飛12期)
偵察 1飛曹 山根 三男 (廣島・甲飛12期)
電信 1飛曹 伊藤 勲 (大分・乙飛18期)
辞世
誰の手に手折られけんか桜花 ただ知るのみは醜の御盾と 松木 学
戦友と共に誓いし桜花 九段の庭に咲きてあはなむ 山根 三男
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