♪搭乗員節♪

甲飛12期の事績

     甲種飛行予科練習生志願

 昭和十七年十月、甲種飛行予科練習生の募集が海軍省から告示された。当時甲種飛行予科 練習生は一年に前期と後期の二回募集が行われていた。ミッドウエー海戦や、ソロモン群島 方面での航空戦で、虎の子の飛行機搭乗員を大量に喪失した海軍は、これを急速に充足する 必要に迫られた。  そこで訓練期間が短くてすむ、甲種飛行予科練習生の増員を計画した。第十期生千百名、 第十一期生千二百名に対して約三倍に近い、三千二百余名を採用したのである。そのため、 年齢の制限を一歳切り下げ入隊時満十五歳とした。また、服装もジョンベラ(水兵服)から 海軍兵学校に準じた「七つ釦」の新しい形の制服に改めて、志願者の拡大を図った。  飛行兵募集ポスター。 若い血潮の予科練の 七つ釦は桜に碇  今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にや でかい希望の雲がわく  第一次試験は身体検査と学科試験で、昭和十八年一月六と七日に全国一斉に実施された。 試験科目は、 国語漢文・数学・英語・地理歴史・物理化学の五科目であった。福岡県では 福岡市以外に、小倉市と久留米市でも実施された。  次に、第一次試験の合格者が佐世保航空隊に集められた。海仁会の佐世保集会所に集合し た合格者を、一名ずつ呼び上げながら班が編成された。私の班は田川郡、京都郡、宗像郡出 身の者十五名で第三十班が編成された。  そして、善行章一線の神野兵長が班長として付き 添った。福岡市内から受験した者など大半の者は、航空隊の中に宿泊していたが、兵舎が足 りなかったのか、私たちの班は海仁会の集会所に宿泊して、朝夕ランチで試験場に通った。
第二次試験。後列左から三人目筆者。四人目西部君。
 第二次試験は、精密身体検査と各種器具を使っての航空適性検査である。まず身長・体重 ・胸囲の測定など型通りに始まり、各種機材を使った適性検査が一週間に亘って実施された。 各自番号札を首から吊りさげ、各班ごとに係の指示に従って検査場を順番に回るのである。 そして、各自が所持している検査表にその結果が記入されていく。  第二次試験の最終日、波止場近くで帰りのランチを待っていると、二隻の戦艦が駆逐艦を 伴って入港してきた。「金剛」と「榛名」である。初めて見る戦艦の威風堂々たる勇姿に感 激を覚えた。
巡洋戦艦「金剛」。
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