海軍用語
予科練に入隊して、教員連中から海軍独特の用語を始め箸の上げ下ろし(食事作法)
までいろいろと教育をうけました。先ず言葉使いからです。海軍では一人称を「私」
と云います。対象語は「貴方」です。だから誰に使っても失礼はないのです。練習生
は中学校の延長で「僕」を使っていました。「僕」の対象語は「君」で友人間や目下
の者にしか使ってはいけないと教わりました。
「貴様と俺」「君と僕」「貴方と私」確かにそうです。だから、上級者や同僚など
誰に使っても無難な「私」を使うように指導されました。辞書によれば「僕」とは、
「男が同等(以下)の相手に対して使う、砕けた自称。」とありました。また陸軍では、
「自分」と言っていたそうです。
次に、日常生活に必要な用語も口移しで沢山習いました。デッキとかテーブルはす
ぐに理解できます。ところが、テーブルマッチ、食器マッチとなるともう分りません。
次に内舷マッチとくれば面食らうだけです。「マッチ」とは火を付ける道具のことで
はないらしいのです。
食器マッチとは布巾のことです。内舷マッチとは雑巾のことです。それならテーブ
ルマッチとはテーブルを拭く雑巾と解釈しました。ところが、テーブルクロスをこう
呼んでいました。
オシタップやチンケースそれにソーフ?。各デッキには大中小一組になった大きな
桶が備えられていました。これをオシタップと呼びました。それなら洗濯桶だと思い
ました。ところが、洗濯には使われず、朝夕の甲板掃除の際に、ソーフや内舷マッチ
を濯ぐのに使用されました。
風呂をバスと呼ぶくらい英語をかじっていれば理解できます。カワヤ? と云えば
一瞬迷います。これは純粋の日本語です。洗濯ストップなる物品も支給されました。
ハンモック(釣床)は一般でも使います。
そもそも帝國海軍は、建軍当時イギリス海軍に範を求めました。だから、用語をそ
のまま使ったとしても不思議ではありません。ところが、発音が日本式に訛って語源
がハッキリしないのもあります。
航空揺籃の大正十年、海軍はセンピル大佐以下三十名をイギリスから招聘してその
指導を受けました。だから、航空関係では、艦船以上に英語が使用されていたのです。
飛行機の部品や工具など英語がそのまま使われていました。そのうえ、日本語と混用
するので慣れるまで一苦労でした。
エルロンやフラップそれにラダーは一般化しています。スロットルにACレバー更
にスチック、フットバー、タブ、カウリング、スピンナーなど数え上げれば切りがあ
りません。ただし、同じ品物を日本語とカタカナを混用するので混乱するわけです。
チョークと云っても黒板に書く白墨のことではありません。飛行機の車輪止のこと
です。九七艦攻は格納する際に主翼を折り畳みます。飛行準備で主翼を上から落とし
て延ばす際の掛け声は「レッコー」です。
燃料積載の場合、燃料車から渡されたホースの筒先を燃料タンクの注入口に当てま
す。そして、燃料車の運転手に向かって、「ゴーヘー」と指示します。運転手は燃料
ポンプを駆動させます。満タンになる前に「スロー、スロー、ストップ」と指示しま
す。タイミングを失すると、オーバーフローします。
エンジンの起動にも英語と日本語の混用です。操縦員がスイッチオフを確認して、
「スイッチオフ、アッサーク」と整備員に指示します。整備員はプロペラを手で数回
まわします。次に「イナーシャー廻せ」と指示します。操縦員はイナーシャーの回転
数を確認して「前離れ」と指示します。整備員は前方の安全を確認して「前よーし」
と復唱します。これを聞いて「コンタクト」と呼称して起動索を引っ張りプロペラ軸
に嵌合させるのです。
操縦訓練用の九七艦攻は偵察席を改造して、操縦席と連動の操縦装置を設置してい
ました。この機体を「ダブル」でなく「デュアル」と呼んでいました。
「オーソリティー」という言葉も盛んに使われました。誰々は「水平爆撃のオーソ
リティーだ」とか「電探のオーソリティーだ」などと使います。ところがこれを捩っ
て、「俺はまだまだコソリティーだ」「いやいや、お前はもうチュウソリティーだよ」
などと言い出す始末です。こうなるともう何語かわかりません。
「ソラをツク」「ソラツクな!」も盛んに使われました。最初はその語源がわかり
ませんでした。「空言」と「嘘をツク」を組み合わせて誰かが創作したのでしょう。
戦争中でも言葉遊びはあったのです。
同期の中攻搭乗員の話を紹介します。中攻では正操縦員を「メン(正式にはメイン)」
と呼び、副操縦員を「サブ」と呼んでいました。彼の話によると、アメリカの戦闘機
は決まって「サブ」狙ったそうです。戦後その理由が理解できたと言います。米軍機
では左が「キャプテン」の席で右が「コパイ」の席だそうです。だから彼等は、左席
の「サブ」を「キャプテン」と思って狙っていた訳です。
オシタップ(washtub) チンケース(tin case) レッコー(Let go)
※本文は当時の用語で記述。 谷田部航空隊・百里原航空隊参照。
銀蝿
およそ海軍に籍を置いた者で、「銀蝿」を知らない者はいない筈です。海軍用語で
解説するのもおこがましいが、要するに食料や嗜好品それに装備品に至るまで、正規
の手順によらずに獲得することを「ぎんばい」と呼んでいました。
本文にもあるように、百里原空時代に、私は「酒保係」をやっていました。当時は
主計科の下士官に袖の下(航空加給食)を使って仲良くなっていました。だから、一部
公認の「銀蝿」もありました。
あるとき同期の練習生の一人が「父親危篤」の電報で帰郷することになりました。
時間外でしたが、烹炊所に行って事情を話し、弁当を二食分作って貰ったこともあり
ました。表向きは怖い主計科の下士官も同じ人間でした。
飛行機が不時着した場合、救難隊の任務は搭乗員の救出です。ところが別の任務も
ありました。いかに機材の「スペア」を確保するかです。落下傘その他搭載兵器それ
に計器類など、使用可能な機材を収集するのです。機体や発動機それに装備品はすべ
て経歴簿から抹消されます。ところが、現実には「スペア」として現品は残るのです。
これは組織ぐるみの「銀蝿」です。
海軍の残党にとっては、良いにつけ悪いにつけ、海軍生活の一部であった「銀蝿」
という言葉に郷愁を感じるのは、私だけではないと思います。
半旗の礼
海軍の礼式に「半旗の礼」があった。戦死者や殉職者があった場合に実施される。
要領は、軍艦旗掲揚の際に一度全揚した軍艦旗を半旗の位置まで降ろすことで弔意を
表現する。半旗の位置とは、陸上基地などの高い旗竿の場合は、軍艦旗の縦幅一枚分、
艦尾などの短い旗竿の場合は軍艦旗の半幅分と決められていた。半旗を降ろす場合は、
一度全揚した後、通常の要領で降下する。
マントレット
海軍時代、古い軍艦の兵員は釣り床に寝ていました。「合戦準備」が下令されると、
必要部分に釣り床を巻いて防護します。これを「マントレット」と呼んでいました。
釣り床は単なる寝具でなく、防弾にも使い、沈没した場合の浮き袋の代用にもなりま
しま。だから、日頃からその結縛は喧しく指導され「釣り床教練」が行われていたの
です。
ガンルーム
海軍ではガンルームと云う言葉がしばしば使用されます。ガンルームの直訳は武器
庫です。大航海時代のイギリスの商船は、海賊対策として武器を装備しました。とこ
ろが、この武器の管理を誤ると、水夫に奪われて叛乱に使用される恐れがあります。
そこで士官室の隣に武器庫を設け、ここに下級士官を居住させて警備を兼ねさせたの
です。ここから、下級士官室をガンルームと呼ぶようになりました。
ある本に、下級士官を砲室に釣床を吊って居住させたことからガンルームの名前が
生まれたと説明していました。砲室に釣床を吊るビームがあれば、砲の操作の邪魔に
なる筈です。この問題は、海軍出身者より商船学校出身者の方が詳しいです。
この呼び名がイギリス海軍を通じて、帝國海軍にも引き継がれました。帝國海軍で
は水兵の叛乱など起こり得ないのですが、名称だけが使用されるようになったのです。
海軍士官の居住は士官室(分隊長以上)・士官次室(下級士官)・特務士官室・准士官室
に分かれて生活していました。人数の少ない艦船や部隊では、特務士官室と准士官室
は特准室として統合される場合もありました。各士官室は、公室と私室があり従兵が
配置されていました。
士官は自分の所属する士官室で起居し、それぞれの勤務配置につきます。下士官・
兵の居住区である分隊に相当する場所です。それぞれの士官室では先任者が室長とな
り、規律を維持します。士官次室(ガンルーム)の室長は特にケプガンと呼ばれ、下級
士官の内務指導をも担当するうるさい存在でした。
映画などで、士官や下士官に長髪の者が見受けられますが、当時の下士官・兵はす
べて丸坊主でした。次室士官もケプガンの指導で丸坊主でした。長髪は士官室士官や
特務士官の一部に限られていました。私も在勤中、長髪を見かけた記憶はありません。
昭和十四年五月に制定された「次室士官心得」が、私の手元にあります。勤務及び
生活全般に亘って指導指針が示されております。
次室士官心得
第一 艦内生活一般心得
第二 次室ノ生活ニ就キテ
第三 転勤ヨリ着任迄
第四 乗艦後直チニナスベキ事項
第五 上陸ニ就テ
第六 部下指導ニ就テ
第七 其ノ他一般
ガンルーム(Gun Room) ケブガン(Cap Gun)
海軍機の機種について
海軍の飛行機にはいろいろな種類がありました。これは、一定の基準によって区分
されていました。先ず陸上機と水上機です。また艦上機と艦載機にも分けられます。
次に、小型機・中型機・大型機との区別もありました。その上、使用目的によっては、
戦闘機・爆撃機・攻撃機・偵察機・哨戒機などと区別されていました。
陸上機と水上機は誰にでも区別できると思います。ならば、艦上機と艦載機の区別
はできますか。陸上機の中で、航空母艦に発着できる機種を艦上機と呼びます。艦上
戦闘機・艦上爆撃機・艦上攻撃機・艦上偵察機などです。艦載機とは、戦艦や巡洋艦
それに水上機母艦に搭載する水上機です。主に観測機・水上偵察機などをこう呼んで
いました。
小型機(単発)・中型機(双発)・大型機(4発)と区別することもありました。中型攻
撃機(中攻)・大型飛行艇(大艇)などです。但し間違えないでください。一式陸攻を、
一式中攻とは呼びません。しかし、二式飛行艇は二式大艇と呼びます。また単発機で
も小型戦闘機や小型爆撃機とは呼びません。
次に、同じ爆弾攻撃をしても、急降下爆撃が可能な機種を爆撃機と呼び、水平爆撃
や緩降下爆撃しかできない機種を攻撃機と呼びました。急降下爆撃とは、降下角度が
45度以上の爆撃です。だから、「銀河」は陸上爆撃機の範ちゅうです。「瑞雲」も
水上爆撃機と呼んでいました。
魚雷攻撃を行う機種を、雷撃機とも呼んでいました。艦上攻撃機や陸上攻撃機など
です。「銀河」や「流星」も雷装すれば雷撃機です。
以上、ほんの一部分を簡単に解説致しましたが、戦記など読む場合はこれ以外にも
いろいろな表現に遭遇すると思います。些かでも参考になれば幸いです。
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