我々は戦雲急を告げる昭和18年8月1日、第12期(3次)海軍甲種
飛行予科練習生として、鹿児島海軍航空隊に入隊しました。そして搭乗
員としての基礎訓練を受け、昭和19年3月、予科練を卒業し操縦員と
偵察員に分かれて飛練(飛行術練習生)へと進みました。
訓練期間に長短はありましたが、偵察員が先ず飛練を卒業して、実施
部隊へ配属されました。そして「台湾沖航空戦」が我々のクラスの初陣
となり、最初の戦死者を出すに至りました。それ以降は、数々の戦闘に
参加し、戦没者は総員の3分の1に達しました。
戦後生存同期生が集まり同期生会を結成して、毎年同期生全国大会と、
戦没同期生の「慰霊祭」を続けて参りました。しかし、平成18年4月
4日靖国神社での「第24回慰霊祭」を最後に、諸般の事情で全国規模
の集会は中断せざるを得なくなりました。
しかし、会の組織を存続するため、地区代表者会議で私がその責任者
に任命されました。戦没同期生の事績などを後世に語り継ぐとともに、
ご遺族や同期生交流の場として、ホームページ「予科練甲飛12期生の
事績」を開設致しました。
ご遺族及び生存同期生からの資料提供をお待ち致しております。また
「掲示板」を通じて、皆様方との交流を図りたいと思います。
平成18年5月吉日
予科練 甲飛12期(3次)会 事務局 永末千里