送るも征くも
家田 尭 (大阪府出身)
昭和十九年十二月、飛行術練習生を卒業した私は、神雷部隊として有名な七二一航空隊
攻撃七○八飛行隊に配属された。次に一○○一航空隊(雁部隊)に転属となった。この部隊
は、飛行機工場で組立てられた新造機の試験飛行を行って受領し、これを各地の実施部隊
に輸送するのが任務である。部隊本部は鈴鹿基地にあったが、一式陸攻の分隊は岩国基地
に派遣されていた。
四月初旬のことであった。指揮所の裏で待機していると、数名の搭乗員が入ってきた。
その中に見覚えのある顔があった。佐藤二飛曹である。顔をちょつと右に傾けた懐かしい
仕種で、
「オーイ家田! 元気か?」と近寄ってきた。そして、
「家田、この前硫黄島の爆撃に行ったが、物凄い弾幕で生きて帰れたのが不思議なくらい
だ。今度行ったらもう駄目かもしれん」 と、しんみりした口調で語った。そして、
「お前らが飛行機を持ってこんのでわざわざ取りに来たんだ、本当に飛行機は無いのか」
と、不満顔である。
その当時、飛行機の生産は遅れがちのため、各部隊が奪い合いであった。佐藤二飛曹の
所属する、七○六空攻撃七○四飛行隊では、新造機を受領するためわざわざ人員を派遣し
てきたのである。
ところが、三菱の水島工場に行っても飛行機は無い。そのため、せっかく来たのだから
と言って、一○○一空が所有していた飛行機を無理やり持ち帰ってしまった。その後しば
らくして、木更津基地の七○六空へ新造機を空輸した。そこで、佐藤二飛曹の消息を尋ね
たが再会することはできなかった。
佐藤栄之助二飛曹は、四月十一日夜半、宇佐基地を発進。那覇沖の敵艦船群に突入し、
壮烈な戦死を遂げていたのである。あの時、飛行機を渡さなければ助かったのではないか
と思うと、残念でならなかった。
六月中旬、陸攻隊は九機編隊で美保基地へ移動した。どん尻に着陸して宿舎に向かって
いると、木陰で休んでいる搭乗員がいた。よく見ると島津一飛曹(五月一日昇任)である。
彼とは豊橋空の延長教育時代は同じペアであり、同じ家に下宿していた仲である。
彼は七六二空攻撃四○六飛行隊の所属で、「銀河」の操縦員である。沖縄周辺の敵艦船
攻撃に既に二回も参加していた。その体験談を聞いていると、
「島津兵曹! 搭乗割が発表されました」と若い兵隊が呼びにきた。
「今度の搭乗割には、間違いなく俺の名前があるはずだ……」そう言うので、一緒に見に
行った。やはり搭乗割には、島の文字の上に^の付いた彼を示す符牒が記入されていた。
その夜彼らには「下宿整理」の名目で上陸が許可された。
「オイ島津、お前…… 外出せんのか?」
「ウン、実はこの前の外出でお金を使い果たして無一文なんだ……」
「そうかー じゃーこれを使え……」そう言ってポケットにあった十円ほどの金を渡した。
「ウアー 済まん済まん……」彼は喜んで外出した。
その夜私は島津一飛曹の愛機を、風防から座席の下まで徹夜で磨き上げた。
午前四時半「搭乗員整列」命令伝達を受けた、島津一飛曹は愛機に乗り込んできた。バン
ドを掛けてやりながらフト見るとマフラーをしていない。
「島津!マフラーは?」と尋ねると、
「質屋の蔵の中だ……」と照れ笑いをしている。すぐに自分のマフラーを外して彼の首に
巻いてやった。
「島津! 最後まで命を大事にしろよ……」そう言って機体を離れようとした。
「家田! お前は滑走路の左側中央付近に行って俺を見送れ!」と言って試運転を始めた。
私は指定された場所に行って見守っていると、滑走路の端から一機ずつ離陸を始めた。
次はいよいよ島津機の番だ。スロットルレバーを全開にして空いた左手を私に向けて合図
を送ってきた。そして、ニッコリ笑いながら離陸して行った。
他の搭乗員はすべて右側の指揮所付近に集まって、手や帽子を振りながら見送る大勢の
隊員に、いろいろな仕種で挨拶を送りながら行ったのに、島津だけは唯一人私の見送りを
受けて前進基地宮崎に向けて旅立ったのである。
昭和二十年六月二十六日深夜、沖縄周辺の敵艦船群に対して「夜間肉薄雷撃」を敢行し
た、島津一達一飛曹は、再び祖国の土を踏むことができなかった。
762航空隊の銀河
飛行注意摘録〔抜粋〕
谷田部海軍航空隊 第一分隊 十卓 家田 尭
三月三十一日 (注・入隊翌日カラ三十日マデ地上訓練、最初ノ飛行作業・慣熟飛行)
分隊長 注意事項 (飛行前)
一、飛行場ハ飛行道ヲ学ブ道場ナリ。戦場ニ居ル気持チデヤレ。
一、気持ハ大キク、今日ノ大空ノヨウニ。
一、搭乗順位ヲヨク知ッテオケ。
一、教員ヲ信頼シテ乗レ。
一、事前ノ準備ヲ良く研究スル。試運転ハ他人ノヲ見テ自分ノモノニナセ。
日慣熟飛行ノ着眼点。
一、水平飛行ノ目安・目標・応舵・誘導コースノ主ナ地上物標ヲヨク見張ル。
本日ノ飛行ニ対スル注意 (飛行後)
一、届ケ方、足ニ注意スル。声ハ元気ニ大キク。
一、注意サレテモ、ショボショボスルナ。
一、黒板(搭乗割)ノ前ヲフサグナ。
一、列線作業ハ正確ニ。明日カラ予備機ハ手デ押シテ行ケ。燃料節約。
一、今日の飛行ヲ午後ノ地上教育ニ生カセ。
日向教員 飛行後ノ注意
一、明日カラ離着陸ヲヤラセルカモ知レヌ。
一、旋回地点ヲヨク覚エヨ。
一、柔ラカク操縦スルコト。
一、伝声管ヲ確実ニ付ケル。
四月一日 (注・午前飛行作業ノ場合ハ午後地上訓練又ハ座学、四分隊ト交互ニ実施)
分隊長 注意事項 (飛行前)
一、本日ノ飛行ハ昨日ト同ジ。
一、操縦装置ハ軽ク持チ離着陸ノ操作ヲ感ジデ覚エル。
一、目標ハ遠距離物標。
一、地上滑走ノ補助者ハ搭乗者ノ目ヲ見テ。又信号ト舵トニ注意シ邪魔ニナラヌヨウ。
一、燃料節約。
一、地上ノ作業ヲ間違イナクヤルコト。
日向教員
一、操縦桿ハ軽ク。
一、旋回点ヲ知レ。
一、交替ヲ早ク。
一、試運転、呼称法ヲ確実ニ。
一、空中デノ注意ヲヨク守ルコト。
一、飛行中モ元気デ大キナ声デ。
一、「バンド」ノ付ケ方ヲ確実ニ。
一、出発時「レバー」ヲ一杯ニ絞ル。手ヲ上ゲ大キク振リ「チョーク」ヲ取ラセル。
本日作業ノ着眼点
一、直線飛行
イ、目安 ロ、目標ノ見方 ハ、左右ノ方向修正及ビ応舵。
二、緩旋回
イ、旋回角、速度。 ロ、緩旋回ノ目安 ハ、旋回操作 ニ、旋回時ノ応舵
三、誘導コース(離着陸)
イ、「パノラマ」トノ比較
ロ、「パノラマ」ニ示サレタ主ナ目標ト、飛行場ノ見エ具合。
四、離陸着陸
イ、離陸操作ノ概要 ロ、降着
五、地上滑走
分隊長 注意事項 (飛行後)
本日ノ一番悪イ事項
一、故障機ヲヨク見ルコト。
一、燃料切換ノ旗ヲ知ラヌ者ガイル、モット疑問ヲ持テ。
一、三ヲ聞イテ十ヲ知レ。
一、疑問ヲ持ッテ自学自習。
一、海軍ノコトヲヨク知レ。
一、人ノヤッテイル事ヲ他人事ト思ウナ。
一、風向ガ変ッタ時ハ速ヤカニ指揮所ヲ替エル。(吹流シ、T字布板)
一、「スターター」ニ乗ラズ駆ケテ行ケ。
一、当直練習生ハ風向風力ヲ記入セヨ。
一、風力ヲヨク知レ。
一、列線要務ハ交替デヤレ。
日向教員
一、目安ヲ覚エヨ。
一、操縦桿ヲ軽ク、「フットバー」モ。固イト円滑ナ操作ガ出来ヌ。
一、伝声管ヲヨク聞コエル様ニナセ。
一、レバーノ使イ方
イ、速力ヲ増ス時
先ズ機首ヲ下ゲル、ソレカラ「レバー」ヲ出ス。
ロ、上昇カラ水平飛行
機ヲ水平ニ、ソレカラ「レバー」ヲ絞ル。
ハ、水平飛行カラ上昇。降下カラ水平飛行
「ケバー」ヲ入レテカラ機首ヲ上ゲル。
一、飛行姿勢ハ正シク
一、見張リヲヨクヤレ、旋回ハ先ズ内側カラ。
一、飛行機ノ姿勢ヲヨク知レ。
五月十五日 (注・本日ヨリ順次単独飛行許可)
分隊長
一、単独ヲ許可サレタ者ハ自信ヲ持テ。
一、落着ケ、深呼吸ヲヤレ。
一、試運転ヲヨクヤッテ行ケ。
一、単独デモ呼称ハ確実ニ。
一、見張リ、正シキ誘導コース。
一、「パス」ハ「キール線」ニ乗ッテ正シク。
一、眼高五メートル、静カーニ一杯。
一、疑念ヲ持タズ、遣リ直シハ早目ニ。
一、降着後廻サレルナ。
一、「バラスト」ハ軽イカラ高度ニ注意。
五月十六日 (単独飛行)
分隊長
一、単独ノ場合、パスニ乗ッテカラ機首ガ下ガル。
一、五メートル、引キ越シハ沈ミニ応ジテ起ス。
一、地上滑走ハユルク、行キ足ヲツケルナ。
一、微速カラ急ニ「レバー」ヲ入レナイ事。エンジン停止ノオソレガアル。
先任教員
一、着陸ノ時機首ヲ下ゲルナ。
一、パスノ機首角度ハ一定ニ。
一、機首ノ上下ハ「エンジン」ノ増減。
一、単独デハ第四旋回ノ高度ガ高スギル。
五月ニ十一日 (単独飛行)
分隊長
一、追風・無風ノ時ノ注意
イ、パスハアンダー目ニ。 ロ、実速ニダマサレテ、引キ起コシ早スギルナ。
ハ、気速ニ注意。 ニ、着陸五メートル、左前方ダケヲ見ルナ。
分隊士
一、旋回ノ際、他機ノ後ニツクナ。
一、応用操作ヲ生カセ。
一、着陸後絶対ニ操縦桿ヲ緩メルナ。
一、地面ノ悪イ所デ「レバー」ヲ吹カス時ハ、操縦桿ヲ一杯引ケ。
先任教員
一、特殊飛行ニ対スル準備
イ、座席内ノ整理整頓。 ロ、伝声管ヲ確実ニ。 ハ、電ランニ注意。
河村教員
一、飛行機ニ乗セラレルナ、風ノ修正ヲシロ。
一、旋回計ノ玉ヲ滑ラセルナ。
一、連続離着陸ノ場合、機首ヲ真直グニ。
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