蒼空の果てに
十七歳の慢心 鈴岡 迪彦(香川県丸亀市) 昭和十九年十一月、戦局も次第に不利となり、内地の沿岸もアメリカの潜水艦によって 十重二十重に取り囲まれている状況であった。寒さも次第に厳しくなり、あのつらい冬が 間近に迫った月末の午前四時、榎本機 (操縦員鈴岡二飛曹・偵察員榎本少尉・電信員小林 二飛曹) は、暗闇の中に排気管の青白い炎をひきながら佐世保基地を離水、船団護衛のた め会合地点へ向けて飛びたった。 高後崎を過ぎたところで、機長である榎本少尉は航法目標灯を投下して偏流を測定した。 「偏流測定おわーり、針路210度ヨーソロー」の指示を受け、針路を210度にセット する。高度計・旋回計・水平儀・速度計・コンパスなどを交互に確認しながら、本日の任 務を頭の中で確認する。 本日の護衛は「モタ船団」である。おそらく、門司から台湾の高雄に向かう船団であろ う。そんなことを考えながら、高度1000メートル、針路210度を保持していると、 「船団発見、直衛に入れ!」と榎本少尉からの指示が伝えられた。 海面を見下ろすと、灯火管制を行い5〜6ノットの低速で、島原半島の牛深沖を南下中 の船団がボンヤリと目に入った。ときたま夜光虫で白く光った航跡を引きながら一路南下 を続けている。 先日も黒島西方で輸送船が敵潜水艦に撃沈され、磁探による捜索に出動したとき、浮遊 物が海面一杯に流れている光景を見たことがある。低空で飛びながら、こんな近くの海で と、潜水艦に抵抗できない輸送船の哀れさを強く感じたものである。 果たしてこの船団の中の何隻が目的地に到達できるのであろうか。せめてわれわれが直 衛中だけでも安心して航行してもらいたい。こんな思いにかられ、海面と計器盤の双方を 睨みながら直衛を続けた。 おそらく、偵察席からは榎本少尉が、電信席からは小林二飛曹が寒空の中風防を開けて 必死になって海面を見つめているのであろう。機長の指示どうり、船団の前方・側方・後 方へと移動しながら、早く夜明けのくることを願っていた。 次第に明るさを増してくる海面を見やりながら、ゆっくりと辺りを見回してみる。もう 計器飛行の心配もいらないのでホッとする。かすかに見える九州の山並みを覆った雲の中 から、黄金色をした放射状の帯が、半透明の暗い天空に向かって一条また一条とその数を 増していく。 二分、三分、その数は次第に増え、遂に束となって地平線一杯に広がっていく。雲の乱 反射のためか、黄金色から赤味をおびた色に変化する光景は何とも言えない美しさである。 足下の海面はどす黒く、ところどころに白波が牙をむいたように海面を荒らしている。 地平線の輝きは一層度を加え、太陽の上端が見えはじめる。朝日を横腹に受けた船団の マストがキラキラと光っている。白い航跡・輝くマスト・雲の反射・地平線に姿を現した 太陽、別世界のパノラマを見ているようである。 このような夜明けの美しさを堪能できるのは、搭乗員の特権であろう。地上では見るこ とのできない荘厳な美しさに、しばし任務や戦争の厳しさを忘れて陶酔した。 ハッと我にかえり、あわてて海面を見下ろし対潜哨戒を続ける。ある時は高度を上げて 全容を見渡し、ある時は船腹すれすれまで高度をさげて、輸送船の甲板に鈴なりになって 手を振っている兵士たちを横目にみながら、得意満面の時を過ごした。 零式水偵に乗りはじめて四ヶ月、ようやく操縦にも慣れ自在に乗りこなすことができる ようになったとの慢心が、死へ向かって一直線を走る結果になろうとは、その時点では夢 にも思はなかった。 直衛の受け持ち時間である九時三十分キッカリに交代の僚機が姿を見せた。低空で船団 に別れのバンクを振りながら、マストすれすれに飛び、航海の安全を祈りながら佐世保基 地に向けて帰路についた。 船団の位置は牛深沖から南下し川内沖ぐらいに達していた。船団の姿も視界から消えて やっと任務から開放されたと思った瞬間、エンジンの不調音とともに機体にいやな振動を 感じた。 あわてて高度をとりながら原因を考えたが、サッパリ見当がつかない。高度1500米 ぐらいでエンジンはプスプスという音とともに停止してしまった。プロペラは目の前で空 転している。なにともいやな光景である。 エンジンの停止した飛行機はもう飛行機ではなく、単なるジュラルミンの塊に過ぎない。 外を見ると海面は白い牙を剥き出しにして荒れ狂っている。手足わ縛られて海に放り込ま れるような恐怖を感じる。 直衛中はそんなに荒れているようには感じなかったのに、エンジン停止とともに恐怖心 が頭を持ち上げたのである。周辺を見回しても不時着に適当な島も船も見当たらない。 サッと操縦桿を前に倒し、機首を下げて失速を防ぎながら左旋回で機首を風上に向けな がら、目を計器盤に走らせる。どこか異常はないか? 異常は山ほどある。当然である。 エンジンが止まれば、計器盤の指針はすべて異常を示している。 飛行経験の浅い私にとって、何が何だかわからない。とにかくスロットルレバーを絞り、 シリンダー温度の低下を防止するため、カウリングフラップを閉め、次に燃料注射ポンプ を押しながらレバーを開いたがやはりエンジンはかからない。 「どうしたんだ! だめか! おぃ不時着か! 失速するぞ、頭を突っ込め!」 後席から、榎本少尉の怒鳴り声が伝声管を通じて聞こえる。言われなくても必死になって 失速させまいと機を操りながら、エンストの原因を考えているのだ。 あまり怒鳴るので、耳がガンガンして何が何だかわからなくなった。腹立ちまぎれに、 伝声管のケッチを外してしまった。後で考えてみると、よく腹が立つ余裕があったものだ と可笑しくなった。 高度はだんだん下がって300米ぐらいであろう。白波は目前に迫っている。何かを忘 れているのだ、カッと見開いた目は、海面と速度計や高度計を交互にみながら、エンジン 停止の場合の処置を懸命に思い返していた。だが、どうにもわからない。 あと一、二分もすれば海にボシャン、一巻の終わりである。この海の荒れようでは満足 な着水は不可能であり、転覆は免れない。血走った目でもう一度計器盤を確認する。これ が最後である。あとは着水に専念しなければならないので計器盤を見る余裕などない。 回転計・ブースト計・燃圧計・油圧計等など。やっぱり駄目だ。不時着する以外に手は ないとあきらめた時、後席の風防が開かれたのか、操縦席にどぉーっと風が舞込んできた。 「アッ! 飛び出すつもりか? いや、今さら落下傘降下でもあるまい」と思いながら ふっと見ると、燃料コックが目に飛び込んできた。目盛板には5・6番タンクが開かれて いる。順序からいって帰途だから当然である。コックの切り替えを間違えた訳ではない。 そうだ! 燃料コックを切り替えてみよう。咄嗟に1・2番コックに切り替えて、燃料 注射ポンプを必死で押しながら、スロットルレバーを開いた。1・2番タンクは通常出発 時に使用するためオクタン価の高い燃料が入れてありエンジンにも一番近い。 これが最後の手段であった。これでエンジンがかからなければ、当然着水操作に移らな ければならない。「かかってくれ!」と祈った瞬間、ゴー、と身体に響く爆音とともに、 プロペラが回転を始めた。 途端に身体は後方に押しつけられ、機体は頭を振るような形で海面に向かって一直線に 突っ込んでいく。操縦桿をぐいと引き機を上昇姿勢にしようとしたが、機首を少し上げる ような形でなおも海面に向かって沈んでいく。 万有引力を恨んでも仕方がない。重さのある物は必ず落下するものである。フロートが 波頭に当たるのは避けられないのか、このまま上昇することができるのか、物凄い速さで 頭の中を駆け巡る。この間の長いこと。とはいっても実際はほんの2・3秒のことである。 目の前が暗くなるような感じはしたが、まだ海面には激突しない。もうこれで死ぬんだ なあという漠然とした感じである。あまりの驚きのためか、恐怖というものは少しもない。 まるでスローモーション映画を見ているように白波のしぶきが目に入る。 フロートで波を叩いた感じがしないなあと思った時、急に目の前が明るくなった。飛行 機は機首を上に向けている。やっと舵が利いてきたのだ。海面の見え具合が急角度に変化 する。あわてて操縦桿を押さえる。 速度計を見ると60〜70ノットあたりを指している。あと少しで失速しスピンに入る ところである。低高度でスピンに入れば絶対に助からない。心理的恐怖心はなかったのに、 手足は方は助かりたい一心で、異常なほどに機首上げの操作をしていたのである。 水平飛行に戻し、スピードをつけ、少しでも高度をとりたいのと陸地に寄せたい気持ち で右上昇旋回を続けた。やっと高度が300米に達した時、頭の地肌がチカチカするよう な感じと共にカッと頭に血がのぼった。(これが髪の毛が逆立ちするという現象であろう) 操縦桿を握った手、フットバーに添えた足がガタガタと震えだした。ブースト計は赤の 200を指しているが、少しでも高度をとりたいのでそのまま1000米までレバーは絞 らなかった。 水平飛行に入り、計器盤をチェックしながら、足元の燃料コックをもう一度確かめて、 残量を確認した。あと20分は飛べそうである。どうして5・6番で燃料が途切れたのか、 満タンではなかったのか、飛行中では確認しようもない。 これからは今使っている1・2番タンクの残りと、3・4番タンクの残りを使って帰ら なければならないと思い、3・4番タンクの残量を確認した。何とか帰投できそうである。 北風が強く、実速が出ない場合は、天草空か大村空に不時着すればよいので一安心である。 途端に疲れが出てぐったりした。 しばらくすると、後席から背中をつつくので振り返ってみると、榎本少尉が怒鳴ってい る。あわてて伝声管を接続した。 「機長、5・6番タンクは萬タンでなかったようです。しかし、何とか帰れそうです」と 報告した。榎本少尉も随分あわてている様子で、 「よかった、よかった。もう駄目かと思ったぞ」と上ずった声で答え、その後しばらくは 声も出ない様子であった。 電信員の小林兵曹は終始無言であった。もう少しで若輩操縦員のため死の道ずれにされ るところであったのだ。後で小林兵曹から聞いた話では、機長は伝声管に向かって怒鳴り 続けていたという。よくぞ伝声管のケッチを外しておいたものである。 何回かタンクの切り替えを行いながら、ようやく佐世保基地に帰投した。いつものよう にフラップを降ろし降下を始めたが、何となく不安になり第3旋回に入る前に自信をなく して、やり直しである。こんなヘマをやればお目玉を食らうであろう。 再度の進入で無事着水した。引き起こしも悪く、スピードの残り過ぎで着水後は前のめ りになりそうな感じであった。水上滑走してスベリに着けた。飛行機から降りて指揮所へ 行く足取りも重く、三人で飛行長に報告するため整列した。 榎本少尉から詳細に顛末を報告すると、案の定お目玉である。自分の搭乗機の燃料を確 認しなかった責任は当然操縦員たる私にある。整備兵の手違いとはいえ、自己の不注意で もう少しで死ぬところだったのだ。 慢心と馴れは、何時墓穴を掘るか分からないということを、これほど身に沁みて知らさ れたことはない。以後終戦まで九ヶ月の短い期間ではあったが、どんな危険な飛行でも、 また簡単な飛行であっても、一回一回初心に返って操縦を続けた。 この間、何度か死地に足を踏み入れたことはあってが、不注意による事故は二度と起こ すことなく、生き延びてこられたのは、この時の教訓があったからである。 「細心の注意と大胆な操縦」この相反する言葉は、飛行機乗りにとって何ものにも替えが たい教訓である。この言葉を今もしっかりと心に刻みながら人生を送っている。
天草空卒業記念。 5列目 真西・平川・大森・梅田・富浦・静間・清末・福島・三笠 4列目 井上・宮地・清末・○・国森・古田・山田・内城・津田・柴田・江上 3列目 助教・渋谷・福田・安武・小曽根・小川・鈴岡・山中・神尾・真海・伊崎 2列目 教員・武内・高橋・上村・ ○・ 原田・木下・森重・○・市瀬・教員・教員 前 列 教員・教員・教員・先任教員・分隊士・分隊士・教員・教員・教員・教員 37期飛練卒業記念。〔昭19.9.27.〕 4列目 富浦・静間・真海・東・福田・小川・佐藤・内城・神尾・古田・下田・山中・真西・清末 3列目 木下・渋谷・森重・小曽根・安武・鈴岡・大森・宮地・国森・梅田・平川・上村・武内・山田 2列目 教員・ ○ ・ ○ ・ ○ ・ 分隊士・分隊士・分隊長・ ○ ・ ○ ・ ○ ・ ○ ・教員・教員 前 列 三笠・福島・江上・伊崎・ 木原・ 高橋・ 柴田・ 津田・ 原田・ 市瀬・ 松浦・ 井上 特攻隊の回想へ 次頁へ [AOZORANOHATENI]
37期飛練卒業記念。〔昭19.9.27.〕 4列目 富浦・静間・真海・東・福田・小川・佐藤・内城・神尾・古田・下田・山中・真西・清末 3列目 木下・渋谷・森重・小曽根・安武・鈴岡・大森・宮地・国森・梅田・平川・上村・武内・山田 2列目 教員・ ○ ・ ○ ・ ○ ・ 分隊士・分隊士・分隊長・ ○ ・ ○ ・ ○ ・ ○ ・教員・教員 前 列 三笠・福島・江上・伊崎・ 木原・ 高橋・ 柴田・ 津田・ 原田・ 市瀬・ 松浦・ 井上
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