♪勇敢なる水兵♪

蒼空の果てに

     ラウレル大統領救出作戦

                           酒井 安昭(北九州市)  私は、谷田部航空隊で中練教程を終了し、実用機教程は豊橋航空隊の陸上攻撃機に進ん だ。飛練を卒業して、配属された部隊は七二一空神雷部隊であった。 次に、一〇〇一空に 転属とり、一式陸攻のサブ(副操縦員)に配置された。  昭和二十年三月初旬、当時鹿屋基地と台湾の各基地間との空中輸送任務に従事していた 我々に特別の任務が与えられ、高雄基地に七機が集められた。屏東基地の陸軍からも八機 がこの作戦に参加し、フィリピンから要人を護送するのが目的であると知らされた。  当時フィリピンの制空権は完全に米軍のものとなっていた。だから、フィリピンに取り 残された搭乗員の救出などもすでに中断されている状況であった。目的地であるルソン島 北部のツゲガラオ基地の状況も全く不明である。  そのため、三月十日午後六時、屏東基地から陸軍機が一機、状況偵察のために飛び立っ た。ところが、ルソン島北端のアバリ湾を通過した後、連絡を断って未帰還となった。翌 十一日の夕方、再び陸軍機が一機発進した。だが、この機も帰投しなった。続いて翌十二 日、今度は海軍機が飛び立った。今度こそと期待したが、これも未帰還となってしまった。  こんな状況で、ツゲガラオ基地とは無線連絡さえとれない状況が続いていた。十九日に なって、ついに我々が搭乗する一式陸攻が出番を迎えた。午後六時三十分、高雄基地を離 陸した。八時ごろアバリ湾の上空に到着した。見ると湾内に敵艦らしいものがいる。  おそらく、ピケット艦であろう。我が方の行動を監視しているに違いない。全員で必死 の見張りをしながら南下していると、突然曳痕弾が機体を掠めた。しかし、敵機の姿は見 えない。急降下で海面すれすれまで降りて引き返すことにした。  続いて二十一日に出発した海軍機が、またも未帰還となった。二十三日になり再び我々 のペアが出発することになった。ところが、今度も前回と同様に突然射撃を受け、ほうほ うの体で帰還した。翌朝調べてみると、左のエンジンに弾が当たっていた。しかし、飛行 に支障はない様子である。  二十八日になって、ツゲガラオ基地から待望の連絡があった。大統領一行が基地に到着 したとの知らせである。ところが、残っているのは陸海軍機合わせて六機に過ぎなくなっ ていた。しかし、今度こそ最後の機会であり、やり直しはきかない。作戦の指揮官であり、 我々の機長でもある佐藤中尉が全員を集め、 「今度は、どんな事があっても引き返すことは許さぬ!」 と、訓示した。全員悲壮な覚悟でそれを聞き各自の飛行機に搭乗した。陸軍は護衛のため 戦闘機を参加させるとの話である。  六時三十分までに全機が離陸した。ところが、何としたことか今度に限ってエンジンが 不調である。前回の被弾が原因かもしれない。すぐ着陸して整備員を呼び修理を急がせた。 だが、約二十分ほど他の機に遅れてしまった。  真っ暗闇の中をルソン島北端のアバリ湾に到着した。カガヤン河を右に見ながら、更に 南下した。しばらくすると前方に明かりが見えた。撃墜された飛行機が炎上している様子 である。 「今度が最後だ、何が何でもツゲガラオに着陸するぞ!」 と、機長が叫んだ。ところが、またしても敵夜間戦闘機の襲撃である。そして、その姿は どうしても発見できない。おそらく、電探を利用しての襲撃であろう。地上すれすれまで 高度を下げた。だが、今度は引き返すことはできない。そのまま、超低空で南下を続ける。 カガヤン河だけが頼りである。  飛行場らしい所が見付かった。しかし、地上からは何の合図もない。敵機とでも思って いるのだろうか。低空で旋回しながらメイン操縦員小川少尉の指示で、航空灯のスイッチ を入れた。すると地上に赤い小さな懐中電灯らしき光が見えた。  間違いなくツゲガラオ飛行場である。だが、内地のように「夜設」を要求しても無駄で あろう。先程からの墜落機の炎が唯一の明かりである。ベテラン小川少尉の腕に頼る以外 にない。    うまく着陸できたと思ったのに大きくバウンドした。おそらく爆弾の跡であろう。行き 足が止まるのを待たずに立ち上がった。天蓋を開き身を乗り出して、飛行機をすぐに発進 できる位置まで誘導した。爆弾の穴はほとんど埋められずにそのまま残っていた。  地上から大勢の人々が、ワーッ! と飛行機を取り囲んできた。いつでも離陸できるよ うにエンジンはかけたままである。 「海軍機だ! 海軍の指揮官はいませんか!」 と、機長佐藤中尉が大声で叫んだ。 「ここにいるぞー! こんな時に来てくれるのは海軍機しかいない!」 「大統領は救出されましたか?」 「まだここにいる。他に着陸した飛行機はいない!」  先に出発した五機はどこへ行ったのだろう。全部墜とされたのだろうか。先程から燃え ているのは多分その中の一機であろう。機長が地上指揮官の大尉と話し合って、命令書ど おり大統領一家を優先して便乗者を決めた。乗れなかった者の中にトランク一杯の紙幣を 持ってきて、 「これをやるから、乗せてくれ」 「重要な情報を持っているから、是非帰らせてくれ」 などと言って必死に哀願する姿に、敗軍の悲哀を感じた。 「おーい酒井兵曹、弁当が残っているだろう、地上指揮官に渡せ!」 と、機長から指示があった。弁当はまだ誰も手を付けていなかった。しかし、たった七個 の弁当では何の役にも立ちそうにない。ついでに不時着用に積んでいた非常糧食も独断で 渡した。撃墜されれば有っても無くても同じことである。取り残されている人々に対する、 せめてもの思いやりであった。  しかし、感傷に耽る暇などない。いつ敵機が来襲するか分からないのだ。便乗者が乗り 終わるのを待ちかねて大急ぎで離陸した。午後十時前であった。おそらく地上にいたのは 三十分にも満たない時間であったと思う。だが、非常に長く感じられた。  離陸後は低空を這うようにして北へ向かった。中央の指揮官席に座られた大統領の足に 抱き付くようにして、ご夫人は床に座り込んでいる。佐藤機長が大統領の側に立って暗闇 の島影を指して何か説明している。じっと見下ろしている大統領の双眼に涙が溢れていた。  帰路は幸運にも敵機の襲撃も受けずに、高雄基地に近づくことができた。ところが今度 は霧が出て地上が全然見えない。仕方がないので一旦西方の海上に出て、高度を下げて再 び低空で進入した。海岸線が白く浮かび上がり、その地形から位置も確認できた。  メイン操縦員小川少尉の着陸はいかなる場合でも安心していられる。重要任務も無事終 了して、爽やかな気持ちで地上に降り立った。だが、残された人々のことを思うと本心か ら喜べない気持ちであった。  短期間ではあったが搭乗員として勤務した中で、優秀な先輩とのペアに恵まれ、困難な 任務を遂行し無事帰還できたことを喜ぶとともに、唯一の明るい話題の作戦に参加できた ことを誇りに思っている。 
一式陸攻
酒井一飛曹と一式陸攻。弾痕が見える。

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