中野先生戦中日記
昭和二十年五月九日 昨五月八日の分より記録することを決心す。印象の何と鮮明なる! 神と鎮まる靖国の社 へも、何時の日か必ず訪はん。今後生きることの何と難多きことか。辛くとも苦しくとも 生きぬかねばならぬ。護っていて下さるであろうことを、私は確信し必信する。 二十年五月八日 朝雨が降ってた。高梨先生(海軍の病室になっていた)に所用があって出勤前お宅へ伺う。 特攻隊の方が二人、受診にみえていた。先生が、「福岡だったね」と呼びとめられたので、 その旨御返事すると、小さい方の人(茶の間で玄関を背に左側に座っておられた)が黒岩 さんとおつしゃる方で、久留米附近とのことで紹介された。大石町(久留米市に花蓮港小 学校の校長が帰っておられたので)の事など一寸おたずねしてみる。 煙草を喫っておられるお二人に縁側の下から一寸お話して学校のこともあるし、後で講堂 へお話においで下さいと言いおいて出勤する。 大きい方の難波江さんが大分との事であった。出勤したのが見えたらしくて(宿舎が端の 部屋であったので)すぐ二人して来られた。難波江さんを長岡先生に紹介した所(高梨先 生の所で、別府の亀川の方が居られるってお話した時は、フーンと気のない返事をされて たのが)何と先生の女学校時代のお友達の息子さんとわかり奇遇を喜ぶ。次々と艦爆隊の 方が入って来られて話の仲間に入る。 [難波江上飛曹・甲飛十期] 一体どんな話をしたんだか記憶にないけれども、随分色々喋った様に思う。 私も大いに喋ってお相手をした。難波江さんと同じ椅子にかけてた森本さんが、長洲の人 とわかり(長岡先生の嫁ぎ先が長洲)私が大声をあげたこと。 特長のある掌を口に当てた笑い方をする難波江さん。 [森本上飛曹・丙飛十七期] 終始にこにこと余り喋りもせずに、板につかぬ煙草の喫い方をしてた黒岩さんが印象に深 い。黒岩さんが余りおとなしくて外の人とばかり喋った印象しかない位。鳥居さんて熊本 の人が、女みたいな可愛い声を出して、それで気持よく笑はせる。黒岩さんと同じ偵察員 で、ズックの鞄を何時も持ち歩いている。 [鳥居一飛曹・黒岩一飛曹・甲飛十二期] 戦闘隊(大義隊)の人達も一寸みえた事があったけど。黒岩さん、難波江さんの事から、 振天隊(元山中尉、鳥居さん)忠誠隊との御縁のつながりが出来た。 専攻科の連中から聞かれたらしくて、「先生、体操の先生だってね、ダンスをしてみせて よ」って言はれる。体操じゃないって返事をしたら、修身だ作法だやれ国語だのと色々な 意見がでた。 振天隊は新竹から、忠誠隊は台南から台東へそして宜蘭へと進駐したとの事。 机のまわりは賑やかな事だ。黒岩さんは左に、鳥居さんは右に、赤いシャツを着て窓に腰 かけてた森本さん、難波江さんも印象に深い。森本さんが、虎尾のカーチャンがどうとや らって話して、長岡先生が母ちゃんと間違ってたずね返して大笑いしたっけ。 昨日二枚翼が沢山飛んで来たので練習機かと思ったとお話したら、渡洋爆撃の時の飛行機 で忠誠隊の乗機とのこと。今日は一日変わった日であった。
五月九日 午前中飛行訓練。ブンブンと爆音勇しく何か頼もしい気がする。難波江さんは一人残され ている。机の前でお守り袋を紅絹で作る。警報が出ると生徒は帰してしまうし呑気なもの だ。黒岩さんの分なり。黒岩さんと鳥居さん訓練終了後(十一時頃だったか)みえて色々 話される。主として鳥居さん。 顔を見るなり難波江さんが、「先生嘘つきだね、矢張り体操の先生だってね。ダンスして 見せてよ、僕少し出来るんだよ」と怒られる。次々と顔をみる人毎に、先生の嘘つき嘘つ きって言われるけど、決して悪気があつて言ったのではないし、ニヤニヤしてた。 昨夜西山旅館で、気分をこはしたといふ話やら(柴田さんと森本さんだったと思う、碁を 打ってゝ碁盤をとりかえに来られたことだったろう)礁渓の山田さんの所へ行った話やら、 机の前に一ぱいでわいわい賑やかな事。 廊下を通る士官連中が、チラッチラッと横目で見て通られる。お守り袋を作っているのを みて難波江さんが、「僕にも作って」っておつしゃつたけど、「本職の長岡先生(手芸の 先生ですものね)に作ってお貰いなさいよ」って返事をしたので、一寸ムッとした表情を される。 黒岩さんと鳥居さんはずっと側につきっきりで色んな話をされる。地図をかいて、今晩家 へ来ていたゞく約束したり、予科練の時の話やら、鳥居さんは盛んに三々九度の盃事の真 似をされたりするのを、お守り袋を作りながらお相手する。 「体操の先生でもお裁縫をするの」って言われた様に思ふ。昼食後(十一時半頃だったか) 又来られて話をしたが、黒岩さんが「忠誠隊の連中が歩いてる、何処へ行くのかな」って たずねに走って行かれたが、「集合々々」って南入口から鳥居さんを呼ばれたので、あわ てゝ荷物を片附けて二人して走って行かれる。 何か訓示があるとの事であったので、その積りでいた所がすぐに黒岩さんが帰って来て、 「先生、今日出るよ」って言われるので、ポカーンとしてしまう。 しかも難波江さんもその後席の鳥居さんもとの事で、急に胸がどきどきして、お守り袋を 仕上げるのに何度針をさしたことか。 温泉療養を頼もうか等と話しておられた難波江さん(胸が悪くなりかけていたとか。本当 にそんな感じの深いキャシャな人でした)だったのに。やっとお守り袋が間に合って落下 傘の紐の白いのをつけ、背中の方へ下げる様にしたので目立つこと、でも喜んでつけて下 さる。 黒岩さんのはやっと間に合ったけど、鳥居さんのも難波江さんのも間に合はず何もしてあ げられない。 黒岩さんが、「先生此の時計ね、壊れてるけど持って征っても役に立たないから、自分の 時計の方が正確だから之を置いていくからね、修繕出来たら修繕して使ってね。形見!」 と天文時計を置いていかれる。鳥居さんも予科練のマークやらマッチの外殻やらを形見に と置いていかれる。あわたゞしい出撃準備よ。 二人共、先生がここにいるとわかってたら遺品を持って来るんだったけどと、残念がって 下さる。写真一枚ないのだもの。公園の忠霊塔の前に集合する前に走って来られて、「後 で通知しておいて」と黒岩さんが住所を書き遺される。 その後から鳥居さんも走って来られて、「永いこと便りをしてないから、知らせておいて ね」と書き遺され走って集合場所へ。天幕の中で壮行式をしておられるのを見る。 お送り出来るのもここまでと思ってたら、 飛行場まで行ってもよろしいとの事で大喜び。 (向陽校の先生も大勢)生まれて初めての、喜んでよいのか悪いのか、何とも言へない経 験をすることが出来た。 黒岩さんと鳥居さんについて歩いたもので、長岡先生は難波江さんと並んで歩いてました ので、五人かたまった様なものでした。黒岩さん達の乗るトラックに私も便乗しようとし て、黒岩さんに手を引張って貰ひ、タイヤを踏んで乗ろうとしたら後ろの方で、「見送り の者は後のトラック」と声がしたけれど身軽いものでつい乗ってしまってたら、「何だ、 もう乗ってしまったか」と又言ってるのが聞こえる。 胸がどきどきするので、「誰?」ってたづねたら、それが玉井司令との事。 「下りようかしら」って言ったけど黒岩さんが、「かまわんかまわん」って言って下さる ので、心臓強くそのまゝいる。(長岡先生は運転台に乗られたと思っています) 昨日から皆して盛んに口真似をしているのは此の人の事かと、そーっと顔を見る。感じの 悪い人だ確かに。(士官連中がズラーッと並んでいるので、見送りはこゝまでかと思って たら、後で飛行場に来て居られた) トラックが動き出すと搭乗員の方がサーッと敬礼され身が引き緊まる。はげしく揺れるの で蹲んではいたけど、ずーっと黒岩さんのズボンにつかまったきり。 飛行場に着いてから向陽の先生方は土手の方へ行ってしまわれた。何だか勝手がわからず 場ちがいな気がして落着かないけれども、黒岩さんと鳥居さんはずっと側にいて下さるし 外の皆様も何かと気をつかって下さるので安心。腰掛を持って来て下さったり、鳥居さん はよく気がつかれる。 市長からとかって、餅菓子を何回も山ほど持って来てくれては皆して、「食べなさいよ」 とか、「先生持って帰ったらいゝよ」とかって渡されるけど、士官連中は天幕の中からじ ろじろ見てられるし気兼なことだ。でも皆して取巻いてる形なので落着いておられる。 ワイワイと賑やか。之が出撃する人達か。かえらぬ出撃をする人達かと見直す様な空気だ。 恩賜の煙草と落雁をいたゞく。煙草は機上ではもう喫えないからって、喫っておられる。 黒岩さんからは鉛筆一本と落雁。鳥居さんからは落雁。他にも下さった方はおられるけど 名前がはっきりしない。 携帯食糧はいなりずし。鳥居さんは、「持って行くのは面倒だ」と包みを開いて食べてお られる。「先生、食べなさいよ」って渡されるけど喉に通らず。 黒岩さんは一包をだまって膝の上においていかれる。鳥居さんは相変わらずズックの鞄を 開けたり閉めたりして、之もいらんあれもいらんと置いていかれる、何かと話しては笑わ せる。御自分ぢやあ笑わないでいて。 落着いてゝ別に喋りもせず、「十八で死ぬのか、怖いなあ」って一人言を言ってた黒岩さ ん。何もして上げられず残念だ。思ったらすぐ実行すること。之を今度も身に沁みて感ず る。実行! 実行! 「お守り袋の位置をみて」と私に直させた黒岩さん。此の時だけは甘えてるなあと感じた 黒岩さん。 忠霊塔の横で忠誠隊員の中に中野って同姓の人がいることをチラッと見たが、この人が控 え席にいる時ツカツカ来られて、長岡先生に注目しながら、「先生、はちまきを持ちませ んので、すみませんがその旗を下さいませんか」っておっしゃる。 (一尺位の小旗で布製)小旗故しめられるかしらと長岡先生と案じたが、私のが少しきれ いなので、竿から外して折りたゝんで差上げたら、「有難うございました」って持って行 かれたが、又帰って来られて、「自分は後からですので、先きの者を送ってから下さい」 と返して来られる。 専攻科生が四、五名送って来てゝトラックの陰にかくれているのに餅菓子を持って行って 下さったのは、森本さんだったっけ? 天文時計をいぢってる私を、「先生、それ兵器だから見付かったら駄目だよ」って心配し て下さった鳥居さんの表情が忘れられない。 第一陣 三時半 [筆者解説・日記は空白だが、第一陣は大義隊の爆装零戦七機が出撃] 第二陣 四時 九六式 忠誠隊 一番機、久保中尉 後藤さん 二番機、中野さん 三番機、境さん 第三陣 四時半 九九式 振天隊 一番機、元山中尉 黒岩さん 二番機、難波江さん 鳥居さん 第一陣を送る時掲揚台の旗の動きをよくみておく。皆さんと一緒に整列してお見送りする。 それがすんでから、第二陣で出撃の中野さんに、はちまきをして差上げる。 「成功を祈ります」と皆がみている中で何か赤くなる思いをする。きつくしめないと足り ないので、痛くないかしらと心配したっけ。キチッと敬礼される。 「有難うございました。征ってまいります」とおっしゃったっけ。(征きます、征ってま いります、で随分議論されたのを記憶しています) 二枚翼九六で出撃、じっと立って見送ってる私のそばで森本さんが、 「あゝ、境が征ってしまった。先生、境とはね、ずっと一緒で寝るも起きるも離れたこと がなかったんだよ」って感無量な語調でおっしゃる。さもありなん。 九六式をみて、今時こんな機があるのかしらと驚いたのだ。特攻機とは? 一時一寸過ぎに飛行場について、第三陣出撃まで相当時間に余裕があったけど。 愈々第三陣の出撃時刻が迫り、司令の前に整列。訓示を受けてトラックに便乗して乗機の 方へ行かれる。 出動準備の旗が掲揚されると乗機を発進線まで操縦して来られ、Z旗に代わると共に滑走 を始める。一番機元山中尉機の後席で、両手を振って征かれた黒岩さん! 難波江機の後席で、正しくサーッと敬礼して征かれた鳥居さん! 真白な手袋、印象も鮮やかな、Z旗を仰ぎつゝ滑走に移る気持如何? 真赤なお守り袋を背に可愛かった黒岩さん。難波江さんから最後まで、「先生、一度ダン スをしてみせてよ」って言われたけどそれもきかず、お守り袋を作ってと言われたことも きかず、すまなかったと思う。長岡先生が、一生懸命面倒みて上げてることに対する気兼 ね! その説明は出来ず、鳥居さんにも何もして上げられず。 沖縄慶良間列島方面。諸々の感慨胸に溢れ、小さく小さくなりゆく機影を見送る。 あの特攻隊の歌。(曲が思い出せず残念です) 送るも征くも今生の 別れと知れどほゝ笑みて 爆音高く基地をける あゝ神鷲の肉弾行 胸の中でくり返し繰り返し文字を羅列する。何と表現すべきか。ひどくゆすぶられた後の 様な力脱けしを感じ、飛行場からの帰途(歩いて帰ったと思います)涙とめどもなし。 今生の別れ! ほゝ笑みて! ぐるぐるまわっている此の文字よ、この空気よ思い胸にあ ふれて文字とならず哉。七時から七時半までの間との事、何をするのも物憂い。静かな家 の空気、しみじみ誰かと話して追想してみたい。 五月十日 今日一日中、ワイワイと机のまわりの賑やかなこと、出撃延期となる。 難波江機大型巡洋艦轟沈の戦果確認される。他の機は電信不能にて未確認との事なり。 切角の出撃をと、シャバの人間は口惜き限りなり。 長岡先生昨夜兵舎を訪ねて、柴田さんにはちまきを上げたり、戦果をたずねたりされたと の事。難波江さんの戦果を喜んでくれる。夕方暗くなってから鉱工局の前で、黒河内少尉 と話しておられる所へ行き合はせる。 「難波江は之で少尉確実ですね」と。 鳥居さんよ安らかに眠れ。どんなに必死に電鍵をたゝかれたことか。 「あゝ眠い眠い」って誰かが言った時、「もう幾時間かしたら、永久に覚めない眠りにつ くんだよ」と言っておられたっけ。電信機が悪いとは一言も言はれなかった黒岩さん。 講堂で皆さんと話した時、元山中尉が慶応の水泳の選手であったこと、昨日の出撃の態度 が実に立派であったことを話して下さる。 私が、鉄ちゃん(花蓮港小学校の教え子、現在広島大学在学中)の話をして、大好きだと 言ったら石原さん、「何故? 純情だから? 僕之でも純情なんだけどね」と。 商業学校時代軟派だったとかって、松下さんが話して聞かせて下さる。 石原さんて必ず私の真前の席をしめる。「村上先生に似てる」と言ったり、「村上先生が 似てるのでしょう」と訂正される。 それから右代表ってわけか? 石原さん、「先生はどうしてお嫁にいかないの?」って尋 ねられるので、「母親代わりで妹と弟を養ってたから」と答えたけど、何だか納得いかな いって顔をされて、「ぢやあ犠牲になったの?」「犠牲ぢゃないの、それをいゝことにし て我儘を通してるの」って返事をしたが、何か割切れないものがあるらしい。 皆さんの顔と名前がまだはっきりしないなあ。昨日、玉井司令に叱言を言われたことを話 したら、手をたゝいて喜んでる。海軍さんてニックネーム式に呼び合って親しみがある。 敬礼だって至極簡単だし、上下の間に親しみがあるって事は愉快だ。 渡辺さん=大柄なおとなしい人。 松下さん=寂しそうな所のある人。松ちゃん。松。 石原さん=村上先生と似ている人。案外小さい。石さん。 福元さん=ほくろ。早口で朗らか。フクちゃん。 柴田さん=朗らかだけど一寸恐い。かんしゃく持ちって感じ。柴。 持田さん=大柄な人。エヘヘ……と笑い方に特長がある。モッチャン。 フクちゃんフクちゃんって言うので、ニックネームかと思ったら違ってたし、黒岩さんの ことクロちゃんって言ってたのも如何にもその人らしい感じがする。 持田さん、福元さん、柴田さん三人して先生の真似をして、「先生、上手でしょう」って 言われるのが本当に板についてる。感心してたら予科練を出て飛行練習生を終了してから 教員をしてた由。道理でと感心する。女学校でも教官といふ言葉を使ふのってたづねられ たっけ。 五月十一日 出撃々々と言いながら、今日も忠誠隊は出撃延期なり。二十四時間生きのびたと笑ってい る。福元さん今日はオルガンばかり弾いてる。皆して、「先生のニックネームを教えて」 と言われるので、「ないの」って答えたが信用せず。生徒が教えないのだと言って、専攻 科生に尋ねているけど専攻科生も教えず。 「先生は恐いんだってね、だから叱られるから教えないんだよ」と柴田さんが盛んに教え ろ教えろって、専攻科生にたずねているけれども教えず。こちらから見てたら、山田やら 藤崎がこちらを見たので私が、メーツってしてみせたら、石原さんが丁度机の右側にいて それを見付けて吹出している。 「先生の今の顔、写真に撮っておけばよかった、案外茶目っ子だね」と。 ニックネームは、花蓮港時代の「キャンデー」だけど、遂に「アネゴ」は話さず。 故郷の話が出て、私が小倉って言ったら石原さんが、「一昨日先生が旗を上げた中野ね、 小倉なんだよ、今は山口に家があるけど床屋をしている筈だ。親類ぢゃないの?」って言 われるので、あゝ何故旗を上げる時口まで出かゝった、「おくにはどちらですか」を言わ なかったのか。胸が一ぱいになって涙が出て来たので、慌てゝ部屋をとび出す。 大声を出して泣きたい様だ。講堂のかげで泣いたけど、じろじろ見られるので体裁が悪く なって、入って又話を続ける。石原さん一寸不思議そうな顔されたっけ。 長岡先生宅にて、 すきやきをすると先生から相談があったけど、私は森本さんと原田さん が飛行機をとりに行って留守中なので反対したい気持ちだけど、私がするのではないし、 先生の気の済む様になさる方がよかろうと、強いて反対せず。 私にも来てと言われたけど、今日は高梨先生宅に、お手伝いに行く約束になっているので 高梨先生宅の方へ伺う。 夕方行って、遅かったと奥さんに叱られて不愉快。 柴田さん松下さん当村さん(腹痛とかって食べられなかった由)等、元木中尉、柿本少尉 もみえた様だった。お二人で酔って帰られるのにお会いした。 当村さんと石原さんが、山下大尉のことを話される。兵学校も航空学校も恩賜だとか。頭 がよく流石にちがうとほめている。 [山下大尉…海兵69期・元木中尉…海兵72期] 忠誠隊は教員をしてた人間ばかりって言われるので、「それでゝ特攻?」って尋ねてたら、 予科練を出た練習生連中が台湾に来てくれなくなったので、教員の我々が帰ることになり、 基隆で便を待つこと一ヵ月余。 船で帰りかけた者が沈められ船は嫌だと言ったので、輸送機で帰ることになり台北へ引返 し、(一ヵ月遊んでいるうち金はなくなり、暇はあってもすることなし、映画館に何回も 入っては眠ってたのだとか)くじを引いて順番に十五名か十七名かゞ台北に残り、後の者 は新竹から便があるからと新竹へ行き、翌朝すぐ出発してしまい、台北に残った者は、ダ グラスが脚の故障で左翼が地についているのを、ヤッサヤッサ起こし、やっと起こしたと 思ったら、ドカンドカンと空襲でダグラスがやられてしまってさ。 そこへ台南から引返せと電話が入ったので引返したら、沖縄作戦に九六があるから、特攻 編成して参加することになったとか。教員をしておられた方ばかりと聞いたが道理で何と なく骨のある人ばかり。大義隊の方とは全然ちがった空気を感じたっけ。 五月十二日 十日からずっとお守り袋とはちまき作り。難波江さん鳥居さん中野さんの事でこりたから。 清原先生の坊やだったと思うけど、「先生、特攻隊の人が来て呼んでるよ」との事なので 部屋へ行ったら佐藤さんが、「石けんを上げます」って言われるので、「勿体ないから」 っておことわりしたら、「持ってたってそれこそつまらんシャバにはないでしょう」って 二個下さるので有難く戴いて長岡先生と分ける。 藤井さんは左側の机によく腰掛けて話しかけられる。当村さんも腹具合がいゝのか、時々 顔を出される。 [藤井一飛曹…甲飛12期] 児島さんが、「先生、俺にもはちまき作って下さい」っておっしゃるので作る。 今日は福元さん、プリプリしているのでどうしたのかと思ったら、公共物にふれるなって 言われたので、オルガンが弾けないってわけ。 「私にことわったっておっしゃればいゝでしょう」って笑ったら「気分をこわした」って 今日は弾かず。 皆して出撃が延期々々で気分がだれるって、ブツブツ。 柴田さんが、「先生今朝ね、訓練の後で石が飛行場で山下大尉から、『オイ石原っ!』て 呼ばれたので、『ハイ』て駆けて行って敬礼したら、『オイ石原、女学校の先生、面白い かっ』て尋ねられてね、『ハイ面白いです』て大きな声で返事をしたんだよ」って話され るので石原さんに、「本当?」ってたずねたら、「本当、とても大きな声だったってさ」 と笑ってる。 皆で大笑いしたけど、事実山下大尉が何か御用で部屋にみえても、必ず講堂の机のまわり に集まってワイワイ大さわぎだし。石原さんだけじゃない、誰か彼かいない時はないのだ から、山下大尉に言われるのも無理なしと思う。 特攻隊の人に出来るだけの事はして上げたいと思う一方、何か辛くてもう親しくすまいか と思う。にも拘わらず矢張り親しさはどんどん増していく一方。 そう何かの話から、「出撃状況を親がみたら泣くだろうか?」と石原さんが言い出された と思うけど。そんな話が出たので私が、「泣かない」って断言したら、「安心した」って 言っておられる。 「そりや発進してしまったら、泣くことも涙をこぼすこともあり得るけれども、それまで はきっときっと必死になって涙をこらえるだろうと思う。私の狭い経験だけれども、弟が 応召して入隊する時、私がついて行ったんだけど、弟は私の涙もろいのを知っているので、 泣かないかって心配したけど、涙をみせず別れたので安心したって言ったことがあるし。 黒岩さん達の時も、後では泣いたけれどもその場では泣かなかった」って話したら、笑い ながらうんうんってうなずきながら聞いておられた。 「昨日温泉に行ったのですきやきを食べそこなった、もう一年半ばかり食べないので食べ たいなあ」って石原さんが言われるので、「じゃあ今晩すきやきをして上げましょうか」 ってことになった。何もなかったけど気持ちだけでもと、長岡先生と相談して準備する。 夕方、「先生、」って石原さんと松ちゃんと二人で、ビールを七本下げて来られる。 準備が出来るまでレコードでも聞いて戴こうと思ったら針がなくて素子ちゃん(長岡先生 の姪)に借りて来て貰う。支度が出来て八畳の方で始めたら、「先生も一緒に食べましょ う」と進められるので、こしらえるのと食べるのとで急がしい。 食べないでいると、「食べないと駄目だよ、肉なんて滅多に口に入らんでしょう」って、 わざわざお皿にとって下さるので、一切れでも多く食べて戴こうという気持ちと、反対に なって困る。 「矢張り我々のこしらえたものとは味がちがうね」と感心されるので、おかしくなってし まう。石原さん達にビールを飲まされたっけ。コップを用意してあったので(学校でコッ プを疎開荷物に入れたお話をしてあったので)喜んで下さる。でもあのジヨッキで飲ませ て上げたかったとつくづく思う。 藤井さんもみえたけど、お腹が悪いとかって食べず、梅肉エキスを上げたんだったっけ。 レコードばかりかけて、窓に腰かけてじっと聞いてたり、お母さんお母さんって、お母さ んに会いたがっていらした。 そろそろスキヤキがなくなる頃になり、柴田さんいゝ御機嫌で少しふらふらしながら来宅 される。それからが断然賑やかになる。それまで遠慮してた唄もはじまる。石原さんの声 がいゝのに感心する。松下さんと柴田さんは大して上手ではない。 柴田さんと石原さんが、二人して仁義のきり方を実演したり、柴田さんが踊ったり。すっ かり嬉しくなってしまう。 二杯目のビールには少し口をつけたけど飲めず、勿体ないので石原さんが飲んで下さる。 飛行服を着せられたのも今晩だった。ニヤケてるて冷やかされたっけ。ニコニコ笑ってる 石原さんの笑顔に特長があった。(七・一〇追記。今にして思えば此の晩、明日出撃がわ かっておられたのではないでしょうか?) 松下さん玄関の障子の前にチョコンと座って、「石さん、もう失礼しよう」って言ってる けど、石原さんも柴田さんもいゝ御機嫌で松下さんの方を引きとめる。 十二時一寸過ぎてから、「ぢやー」って帰られる。唄いながら御機嫌よく。「明日も出撃 見合わせだったらもう一度スキヤキ会をしましょう」と約束して。あゝ疲れた。 でも気持ちのよいそして又、思い出深き一日となるであろう。 本日黒岩さん達の戦果発表あり。 五月十三日 学校に出勤すると直ぐ入って来られる。それも北側の入口から必ず。そして特長のある敬 礼をして。連日警報のみで何事もないので、今日も多勢来ておられる。(七月十日追記。 毎朝の訓練は早かったですからね。しかし、此の日は訓練がなかったと思います。) 命発せられ本日出撃と。残る者松下さんと当村さんのみ。森本さん原田さんは台南へ飛行 機をとりに行って未だ帰らず。石原さんは森本さんの代わりとの事。編隊が決まっている ので予備の中からうめて行くわけ。 本日はドカッと多勢の出撃。何とあわたゞしいことか。九日は急であった為、心落着かず アッと思ったのだけど、今日は少し人にも馴れてきた所ゆえ。石原さんの顔をみてたら、 不覚にも泣けてしまった。あの特長のある敬礼。すきやきの約束遂に無となる哉。 福元さん長岡先生に、「先生、そんな顔しないでよ」とおっしゃる。「さあ最後に一曲」 とオルガンを弾いてた福元さん。相変わらずバックを下げてニコニコ顔。 私は何かを縫つてた。でも何を縫ったか思い出せない。多分はちまきだったろうと思う。 唯じっと机の前に腰かけてた。だって脚に力がないのだもの。柴田さん落着かないらしく て出たり入ったり。 何時もは騒ぐ柴田さんも流石に今日は上がってる感じ。 「操縦者は偵察員の言う通りになるんだよ」と、その真似をしたり敬礼の真似をしたりし て笑わせて下さる。 児島さんは右側の机で黙々と手紙を書いておられたが、「先生、之を御願いします」と、 台北宛の二通とそれから母上宛の一通、遺書を託される。 持田さんは、「さあいよいよだ!」と板書して又例の通り教員の真似。佐藤さんと二人し て現金八十四円幾らかを、「先生の考えで、何か有効に使って下さい」と託される。 石原さんは遺書二通、遺髪。(髪という字をたずねられて私の机の上で書かれ、此の中か ら先生の分もとってねと)遺髪と短刀を何年先きでもよいから、沖縄作戦が落着き確実に 届くとわかってから確実に届けてほしいと託される。 責任重大だ。今までは何時死んでもよいと思った私だったが、之では死ねないし、どんな に辛くとも生きていなくてはならぬ。あゝ代われるものなら! 私が男に生まれたらよかったという気持ち、此の時節に此の運動神経を有効に使えぬ残念 さを話した時、その気持ちは認めると皆さんで言って下さったのに。 「それから下駄(お姉さんへのお土産のつもりであったろうに)とアルバム先生に上げる から永久に持ってゝね」とおっしゃる。特攻隊編成の大きい写真が二枚あったので(一枚 は柴田さんの分)一枚は長岡先生に。 酔って倒れかけてる柴田さん。小さい方のは当地に進駐される前。台南から台東へ進駐、 一度出撃したけど敵艦を見出せず引返し、それから宜蘭へ進駐されたとの事。 板東さんが後席に我妻さんを乗せてゝ曽文渓の河原に不時着。我妻さんは首が曲がって動 かせず、派出所に置いて帰隊するのと、迎えに行く福元さんと入れちがいになって我妻さ んと福元さんとが写っていない由。 寺田さんは石垣の海に不時着。海岸へ向かって泳いでいるのは認めたけど帰着せず。石原 さんが探しに行ったとか。 内藤さんは台東から宜蘭へ進駐する時、スコールの中で行方不明となりし由。私が写真を 喜んでいるのを机のそばで石原さんニコニコ見ていてくれた。 部屋と講堂の間を行ったり来たり。矢張り落着かないのかしら。 九日の黒岩さん達の時はアッという間だったので、何も書残して戴けずに残念だったのに こりて、今日は幸い一郎(実弟)が遺して征ったハンカチに寄書きをして戴く。 出たり入ったり、ごたごたしているけど、それでゝ心の中はシーンとしてしまう。 窓に腰かけているのを見かけるけど、さて集まってゝも何も話すこともなし。 松下さんからの注文で赤か黄の花をと言うので金子さんに依頼して探して貰う。金子さん にも一度出撃状況を見せて上げたくて呼んでおく。 三、四人集ってる時、松下さんがうつ伏してたら石原さんが、「泣いたりするなよ、後か らすぐ来られるからね、すぐ来いよね」「うん」と言ってる。 はじめ松下さんも今日征く筈だったのが残された由。 集ってゝも取り立てゝ話すこともないけれども、皆して「宜蘭で先生みたいな人に会える と思わなかった。宜蘭ってつまらない所だったけど」と言って下さる。 児島さん、はちまきを持って来られて、「何か書いて下さい」とおっしゃるので、片端に 「御成功を祈る中野ユキヱ」片端に「必殺必中」と書く。 石原さんも持って来られたので、真中の日の丸の両側に必殺と書いたら「必中も入れて」 と言われるので、片端に「必中」と入れ、片端に「頑張れ」と書きはじめると「何を書く の?」と不思議がられるのでその下に「一ちゃん」と書くと「ユキヱ姉さん」と書いてと せがまれ、小さく「ユキヱ姉」と書く。(私の実弟一郎を、一ちゃんと愛称していたのと、 石原さんの名前も一郎で、お家で皆さん一ちゃんと呼んでおられた由) 「ウワー之でドンピシャリ、有難とうございました。必ずやりますよ」と大よろこび。 柴田さん、だまって机の上に毛糸の腹巻を置いて行かれる。昼食をとる気になれず。 部屋に誰もいない時、石原さんがツカツカと入って来られ机の右側に立たれ、「ねえ先生、 僕の事、本当の弟の様に思うね」っておっしゃる。「うん」とうなずくのがやっとなり。 口を開けば涙がこぼれて泣けてきそう。返事もせず悪かったかもしれないけど、石原さん には私の気持ちはわかって戴けたと思う。 そりや誰彼の差はないけれども石原さんには「一ちゃん」と呼びかけたい様な身近なもの を感じたのは何故だろうか?。 南部さんがおっしゃる様に、「日本人は皆兄弟だよ」と。そうあるべきことを私は痛切に 体験したわけかしら。嬉しいとも悲しいとも表現出来ない気持だった。「逢うは別れのは じめ」とは誰が言いそめし。特攻隊員と知りつゝも、一日々々と生きておられる様な気が していたのに、あわたゞしい空気! 引きのばしたい様な時間も刻々と過ぎてゆく。 総員整列五分前! 一人々々「先生、御世話様になりました」と御挨拶あり。何とも言葉 もなく頭を下げるのみ。 「長生きして下さいよ」と持田さんと福元さん。あゝ何をか言わん! 春秋に富むべき人達からこの言葉を受けるとは。 空母轟沈! 空母轟沈! と誰も彼も笑って征く! 九日と同じくトラックに便乗。今日は何も文句を言われず。トラックへ同乗したのは松下 さんから「先生!」って言われた故。石原さんに手を引張って貰って乗る。 玉井司令くそくらへ! 飛行場へ着くとすぐに乗機を見に行かれて中々帰って来られず、待っている時間の長いこ と。やっと帰って来られると落着く暇もなく整列。訓示を受けて解散してやっとゆっくり 出来たのは二十分間。 石原さん児島さんから落雁をいたゞく。石原さんからいなりずし。飛行場でも実に賑やか なこと。福元さんが大きな人形を腰につけているのが目につく。携帯食料とサイダーを受 取る時、玉井司令の真似をしながら皆さんがこられるのでおかしくなるけど笑いにならず。 「ガーベラ」がしおれたって心配してた石原さん。 出撃時刻は九日と同じ。二人乗っているは一番機のみ、前席操縦員、後席偵察員。 第一陣(九六式) 一番機、阿部中尉 福元さん 二番機、持田さん 三番機、森さん 第二陣(九六式) 一番機、元木中尉 柴田さん 二番機、石原さん 三番機、駒場さん 第三陣(九九式) 一番機、佐藤さん 渡辺さん 二番機、児島さん 第一陣の持田さん、福元さんが、「先生、征ってきますよ」とあっさりたゝれる。 いよいよ第二陣。「先生、御世話様になりましたー」ってじっと私の目に見入ってた石原 さん! 一寸首をかしげた忘れられない敬礼。 私は涙をこぼさなかったけれども眼は真赤だったことだろう。何か一言言いたいけれども 遂に言葉にならず礼をしたのみ。 遠去かりゆく、トラックの上でサイダー瓶を振ってた石原さん! 一番機の上で、サーッ と敬礼された柴田さん。真直ぐ前を向いたまゝ操縦桿を握ってた石原さん。 飛行場上空で一周して翼を振った。二枚翼か! いくら速力の遅い九六でも、だんだん遠 去かりゆく機影を見送り、こみ上げてくる涙を堪える術もなし。 小旗の陰にかくれて見送る。控席にもどる私をつかまえて松下さん、「先生、負けたね」 と。確かに! 第三陣を見送るまでは元気でいなくてはいけない。笑顔でいなくてはいけ ない。次々とZ旗が掲揚されると共に発進して征く若鷲よ! 戦果を挙げて下さいと、ひ たすら祈るのみ! 第三陣を送る。上空一周もせず真直ぐ蘭陽橋の方へと飛去る。零戦は直ちに訓練を始める。 夜、当村さん松下さん二人して、いなりずしの携帯食料を持って来宅され、思い出話つき ず。「一人では何も食べたくない」と松下さん。 当村さんが宿舎で眠ってたら柴田さんが夢に出てきて、グイグイ頭を押さえつけ塩っから い水を飲まされた夢を見たとかって話される。 帰りに戦果のことが聞かれるかもしれないと思って、兵舎まで松下さん達を送って行った がわからず、門の所まで松下さん送って来られる。 昨日、君ケ代と海ゆかばを弾いたこと、せめてもと慰める。(オルガンを弾いて、あれこ れと注文が出たのですが、オタマジャクシがないと弾けない私で暗記してないもので弾け なかったのです。宵待草を石原さんにせがまれたことなど、忘れられません。) 軍艦マーチの弾けないのは残念。本日特攻隊の歌詞を忘れてきて、尋ねられたけどお見せ 出来なかったことです。 一、無念の歯がみ堪えつつ 待ちに待ちたる決戦ぞ 今こそ敵を屠らんと 奮い立ちたる若桜 二、この一戦に勝たざれば 祖国の行方如何ならむ 撃滅せよと命うけし 神風特別攻撃隊 三、送るも征くも今生の 別れと知れどほほ笑みて 爆音高く基地を蹴る あゝ神鷲の肉弾行 四、大義の血潮雲染めて 必死必中体あたり 敵艦などて逃すべき みよや不滅の大戦果 五、凱歌は高く轟けど 今は還らぬ益荒男よ 千尋の海に沈みつつ 尚も御国の護り神 六、熱涙伝う頬あげて 勲を偲ぶ国の民 永久に遺さじその名こそ 神風特別攻撃隊 神風特別攻撃隊 五月十四日 昨日の戦果確認されず。慶良間上空に達してぐるぐる廻ったことは確実なりと。あゝ機さ えよければ無電機もよいであろうし、一言も不平を言われず、否反って渡洋爆撃で活躍し たのだと自慢めいて話してさえおられたっけ。 柴田さんが、電信機さえよければドンピシャリと、一言おっしゃつた事など、今さら思い 起こす。私が涙をみせた事を心配したら松下さんが、「操縦桿を握ったら何も考えないか ら大丈夫」と言って下さるので安心したけど本当かしら?。 黒岩さんからの時計、松下さんに修繕を依頼する。 松下さん高梨先生から占い。 「生死の境をいく。例えば上官の命一つ考え一つで、こゝ一週間や十日では死ぬ運命じゃ ない」と。 持田さん、佐藤さんから依託された現金の処置は、医務室の枕購入と略決定する。 川本さんという整備員から、石原さんの絶筆(機上で書いた)を渡されて声をあげて泣い たのは此の日だった。 五月十五日 森本さん達、台南から帰られる。出勤して机の前に落着くなり当村さんより、「松ちゃん 達、今日でるよ」と聞かされる。一昨日の様に胸はどきどきしなかったけど、うかぬ顔を してたらしい。松下さん中央の入口から入って来られ、「今日征くよ」って。 今日は出撃の人数が少ないので静かだ。 藤井さんが、「もう一度お母さんに会いたい、親不孝の有りったけをしたのだし、お父さ んお母さんって一度も呼んだことがないんだものね」と言われるけれど、何とも慰める言 葉が見つからない。 渡辺さん(十三日出撃の渡辺さんとちがった大柄な人)は、長岡先生と静かに話しておら れる。当村さんがプンプンしているので何故かと思ったら、朝の試飛行を腹痛のため松下 さんが代わってして、出撃も又代わったとの事。我妻さん、今朝着いてもう出撃との事。 皆して気毒がられる。 高梨先生が静岡の人なので、松下さんの壮行会をするとかおっしゃるので、私も長岡先生 も来て下さいって松下さんに言われ、長岡先生が渡辺さんと話しておられるのを、無理に 引張って行き、後で私って前後のみ境もなくと、渡辺さんにすまなく思う。 でも後の祭りだ。黒岩さん達を送り、石原さん達を送り、今日又松下さん達を送る。こん な人達に死んで貰はなくてはならないのだろうか? 黒岩さんの時計は当村さんに引きついだ由。会議のない時出撃してよって言い言いしてい たのに皮肉なもので、今日は一時から職員会議。席上腰が落着かず。 いらいらしている席へ、タッタッと駆足で来て、「御世話になりました、本日出撃いたし ます」と挨拶。パッと飛出して花を渡す。 長岡先生、「大した議題もない様ですから、見送りに行きたいのでやって戴きたい。あと 一、二回ですから」って言われるので、校長面白くない顔をしている。 そして又いゝ加減ぐずぐずと進行するので、二人とも立上って礼をして出ようとしたら、 「中野先生もですか」「ハア」って返事だけはして、サーッと飛出してトラックの所へ行 く。トラックがしばらく出ないので、「あわてすぎたわね」と長岡先生と笑う。 山下大尉が今日は馬鹿に接待之れ努めて下さって、「もう一人の先生も前に乗られました から、先生も運転台にお乗り下さい」っておっしゃるのを、「ハアハア」って遠慮して例 の如く後席に便乗。着いてからでも、「テントの中でお待ち下さい」と進めて下さるけど、 矢張り遠慮して皆の所にいる。今日はせっせと森本さんが世話役。 「会議の席へ来る勇気がよく出たわね」「うん、そうするほうが先生達が出やすかろうと 思ってね」と。 今日は石原さん達の様に胸迫る思いがしないのは何故だろう。なれた? まさか。 恩賜の煙草、落雁、携帯食料等みな同じ。「石さんに持って行って海へ落としてやるよ」 と皆持って行かれる。柴田さんが携帯食料を忘れて征かれた事など思い出す。 乗機のそばで花を分けているのも歩いて行くのも双眼鏡を借りて見せていたゞく。(皆の 世話を原田さんがして下さったのじゃなかったかしら。七月十日追記) 控席で涙をこぼしてた藤井さん。トラックの上でも泣いた様な顔をしたまゝ征かれた藤井 さん。「しっかりね」と何回も言ってみたのだけど、うなずくばかり。でも案ずることも なく、立派な出撃であった。 九九で出撃した二番機の渡辺機は、滑走路一ぱいで浮上せず一旦戻るのを山下大尉が飛出 して、「止レ」の合図される表情と態度をみていて胸がドキドキして来る。 でも渡辺さんはエンジンを二、三回ガーッと入れて遂に出撃す。辛うじて離陸。低く低く 飛行場上空を旋回して大きく翼を振って征かれる。あゝ見事な印象的な出撃なり。 之で大体お見送りしたわけ、森本さん達が少し残っているけど。森本さん又台東へ機を取 りに行けと言われている。 本日坂東さん我妻さん来宅。我妻さんすぐ出撃せし由。 第一陣(九六式)忠誠隊 一番機、柿本少尉 荻原さん 二番機、松下さん 三番機、我妻さん 第二陣(九九式)振天隊 一番機、深津少尉 岩熊中尉 二番機、渡辺さん 三番機、藤井さん 本日天山出撃す。しかし、少し時刻遅れし為、戦果確認に到らずと。夕方机の前に座って たら急に物凄く気分が悪くなり何だか脂汗がジクジクにじんで来る。そして体がカーッと あつくなってまるで火のそばにでもいる様だ。胸は苦しいし、じっとうつ伏してうとうと してみる。時刻は六時近くだったか。二十分位苦しかったかしら? 五月十六日 松下さん、我妻さん石垣へ不時着との事。道理で余り悲しくなかったのかしら。 昼食の時、森本さんがおかずを持って来て下さる。士官食の由、おいしかった。(すまし 汁、ねぎと牛肉のにつけ) 長岡先生が森本さん、原田さん、坂東さん、当村さんにすきやきをして上げると(前に食 べて戴けなかったので)準備。折角みえたけど、原田さんは腹痛とかって上がらず、座学 があるからってやっと一口当て召上がったゞけ。長岡先生がっかり。 帰って来るからって約束して行かれたので、もうみえるだろうって待ってたら、九時頃に 「先生」って声がするので出てみたら、黒河内少尉。 服にアイロンをかけたり靴下も新しいのに代えたりして、リューッとして出掛けて来たの に、田圃に落ちたとかってこぼされること。森本さん達、鬼山中尉と礁渓温泉へ行ったの で代わりに食べてくれって言われたのでとか。 柴田中尉を連れてみえる。後から石田少尉来宅。(詳しくは略す) 原田さんに、松下さんの不時着の件、単機でも征くべきではないかとたずねたけど、編隊 長機の指令如何によるとの返事でいさゝか安心する。 五月十八日 午後から高梨先生宅にて先日の依託金の処置方の詳細を伺ってた。九六が一機飛んでいる ので、縁側でそれを眺めながら色々話していて、九六でも高等飛行が出来ますかとおたず ねしたら、可とのことであった。 成るほど素晴らしい思い切った飛行をする。今日は誰が乗っているのかしらと思い思い眺 めてたら、急に爆音が聞こえなくなったので出てみると、降下から上昇に移って爆音がし 始めたので安心して、又縁側に腰かけて話をつゞけていたら、又聞こえなくなったので、 ひょいと見たら落下傘がパッと開いてゆらゆらゆれつゝ降下している所。 アッと思って、 大声を出してしまう。 医務室もあわてゝハイヤーをとばして、副木を持って行ったら、大したことなく左手親指 と人差指の二本火傷のみの事で安心した。 家へ帰ろうと思って玄関まで行ったら、ハイヤーから降りる所。ハキハキしてゝ、「火傷 しただけ、大したことはないから」とおっしゃるので安心した。(之は誰方でしたろう。 お忘れになりました? 七・一〇追記) 余り思い切って高等飛行をするといけないのだそうだ。 夜、柴田中尉、松村中尉来宅。「先生」って入って来られたので、爆の方達かと思ったら、 後から渡辺少尉来宅。 坂東さん当村さんも来宅されたけど、蓄音機を持って長岡先生宅に行かれる。 五月十九日 夕方九六式が一機とんでると思ったら、案の定森本さんが帰って来られる。長岡先生宅へ 行かれたけど、先生はサンキへ作業に行かれてお留守のため、私宅へ来られる。籠が重い らしくて、「一寸下ろして」と悲鳴をあげているので手伝って持って帰る。 台東土産のバナナ、甘納豆、羊羮を出される。そのうち長岡先生も帰宅され、大塚さんか ら恵美子さんと寿男さんもみえ、夜の一時頃まで話される。 花蓮港の町や臨海道路を冷やかして歩いたと話される。搭乗員は権現山へ引上げてしまわ れたので私宅へ。 長岡先生が、蚊帳が私宅の方のが広いからと進められたので、泊まっていたゞく。 森本さん愉快に話す人で気がおけない人。 しかし、我がまゝだという感じ。台所の汚い家の物を食べる気がしないとおっしゃるので、 ピンと来る。 五月二十日 森本さんゆっくり寝んで、起さなかったら何時までも眠るって話してたが、本当に晝頃ま で眠って山の兵舎へ帰られる。 原田さん来宅。落下傘降下のお話しを伺う。歌やら絵やら書いていたゞいた日。 五月二十一日 柴田中尉(九六式の整備)来宅。 五月二十二日 夕方金子さんと思い出話をしてたら、当村さんがドタドタと来宅。 「先生、すまんことが出来た、坂東と今も喧嘩して気分をこわしたので、とび出して来た」 「何かしらないけど、喧嘩なんかしたら嫌よ、まあお上がんなさい」と上がっていたゞい て詳しく伺えば。 例の天文時計の件、私では修繕出来ないので松本さんに依頼したのだけど、すぐ出撃され たので、当村さんに引きつぎ、それを皆さんが見付けて、私に持たせておくと之は兵器だ から先生に迷惑がかゝるし、松も叱られるから(松本さんの物と思い違いしてられる?) 渡してはいけないとの意見で、「一人でも味方してくれる者がいるといゝけど、何しろ三 対一じゃね」とおっしゃるので、「黒岩さんから渡されたもので、そりや私としては形見 としてほしいけれども、皆さんの喧嘩の種になっては困るし、皆さんがいゝとおっしゃる 方法に従うから」となだめる。 飛行場で鳥居さんが「先生、それ兵器だから人に見せない様に、見つからぬ様にしなさい ね」っておっしゃつて心配して下さったことなどが思われて残念だ。森本さん遅く来宅。 長岡先生が泊めたい御様子であったが、二人とも私宅へ泊まられるので、何だか長岡先生 に悪いみたい。 五月二十三日 森本さんと坂東さん、台南へ機をとりに行くとかで、夕方見えてたけど集会所泊まり。 当村さん、長岡先生宅で遊んでおられる。柴田中尉に遊びに行く様にと進めたのは当村さ んとの事。 五月二十四日 原田さん、当村さん来宅。長岡先生と士官の方の感じを一人々々批評してたら、原田さん から、「先生は、人をよくみるね」と言われ、口をつぐんでしまった。 五月二十六日 原田さん、当村さん来宅。 五月二十八日 黒岩さん、石原さん、児島さん宅宛の航空便、返送されて残念なり。防諜上軍機に関する とか? 原田さん、当村さん、布野さん来宅。(虎尾空中練の搭乗員さん)[中練=中間練習機] 夕方九六式ともちがう機がとんでると思ってたらそれが中練の由。今晩随分賑やかだった。 [以下終戦前後の様子など克明に記入されているが、 同期生に関する記録が見当たらないので省略する]本文へ戻る[AOZORANOHATENI]