同期の友を偲ぶ
藤田 袈裟雄(佐賀県大和町)
堀五郎君と南里勇君は、中学の同窓で一緒に予科練に入隊した。学友二人を失った悔し
さは終生忘れることができない。堀五郎君は昭和二十年一月十二日、哨戒飛行から帰投中、
敵グラマン戦闘機の襲撃を受けて仏印の空に散った。堀君のことでは、偶然とは思われな
い不思議な因縁を体験した。
私は昭和二十年三月、アエルタール基地の中攻隊に転属した。ある日、九九艦爆が一機
飛来した。若年兵の私には、どこから、何しに来たかのかなど知る由もなかった。艦爆の
操縦員は兵曹長(氏名失念)で、顔には酷い火傷の跡が残った人であった。「飛行機乗り
の顔の傷は勲章」と聞いていたので、歴戦の勇士とみていた。機会を得て、顔の傷の話を
聞くことができた。
それによれば、昭和二十年一月十二日、仏印のツドウモ基地から九九艦爆で哨戒に出た。
そして帰投中グラマンの襲撃を受けた。一撃目をかわし後席に、「堀! グラマンだ」と
伝えたら、「ハイッ」と元気な返事があった。二撃目に被弾して、機は火災を起こした。
座席は炎に包まれ、飛行服が燃えだした。
「堀! 堀!」と呼んだが返事がない。後席を覗くと頭を座席の中に垂れている、更に
呼んだが返事はなかった。陸地の上空だったので、火だるまとなって落下傘で脱出した。
機上で戦死した偵察員は、甲飛十二期の堀兵曹だったと言う。
間違いなく学友で同期で入隊した堀五郎君(十七歳)であることを知り大変なショック
を受けた。「明日は我が身か」と、改めて自分の置かれている立場を自覚した。そして、
あの広い戦域の中で、あの搭乗員に出会って、堀君の最期の様子を聞けたことは、単なる
偶然とは思われないものを感じた。
艦爆がただ一機、基地に居続けることも不思議であった。この艦爆が、試験飛行中海に
墜落して、大騒ぎとなった。だが数時間後に、搭乗員二人が指揮所の階段を登って行った
のを覚えている。
ジャワ島のスラバヤ飛行場から、九六陸攻が一機日没を待って出撃した。夕暮れの空へ
青白い排気を引きながら飛び立って行くのを見送った。これが井上保夫君との最期の別れ
となった。共に出撃するものと思っていたが、なぜか見送る立場になってしまった。飛び
立った九六陸攻の機影は、今も脳裏に焼き付いている。好青年だった彼の笑顔を思い出す。
三八一空(旧十三空)は一式陸攻と九六陸攻を装備していた。マレー半島中部、ペナン
島を望む海岸の椰子林の中にあるアエルタール基地を使用していた。そして、哨戒や訓練
など平穏な日々を送っていた。ところが戦局も次第に厳しさを増し、航空隊でも陸戦隊を
編成して、敵の上陸に備えての訓練が行われるようになった。
昭和二十年七月、ボルネオ島バリックパパンに、アメリカ軍の上陸が始まった。これに
対して、三八一空に夜間攻撃の命令が出た。基地では、可動全機でジャワ島のマデオンに
進出し、スラバヤの飛行場から出撃することになった。全機がジョホール飛行場で爆弾を
搭載し、ジャワ島に向け長途の洋上飛行となった。途中引き返す機が多く、無事に着いた
のは、一式陸攻二機と九六陸攻は井上君の搭乗機それに私の搭乗した二機のあわせて四機
だけであった。
私の機も決して順調な飛行ではなかった。島影も見えない洋上で、左エンジンが首を振
りだして不調になってしまった。引き返すこともできずに、片舷飛行という最悪の状態で
飛び続けたのである。予定時間に遅れ、夕焼けの中にジャワ島を見付けることができた。
初めての土地で、進入路を探して飛び廻り、飛行場に着いたのはすでに暗くなっていた。
エンジン不調の状態で着陸のやりなおしをやって、隊長に大目玉を食らった。無事に着け
たのが不思議なほどである。出撃時刻は一式陸攻は深夜、九六陸攻は日没時と決まり機に
は消炎装置が着けられ整備された。だが、私の機のエンジンは直らず出撃は不能となった。
井上機の出撃を見送ってからは、無事帰投を信じて待った。翌朝の明け方に、一式陸攻
二機は帰投した。しかし、九六陸攻は明るくなっても姿を見せなかった。爆音に耳をすま
し、空を見上げては機影を探した。不時着でもしたのではと、無事を願って連絡を待った。
その日のうちだったと思うが、現地の地上軍から、昨夜の攻撃で日本軍機が一機撃墜さ
れたとの通報があった。近郷に当時一式陸攻で出撃した搭乗整備員がおられるが、対空砲
火は花火を見るようで、物凄い弾幕の中を飛んだとのことであった。酸素マスクも積んで
はいたが、思う高度もとれず、速力も遅い九六陸攻には無理な出撃だったようである。
一式陸攻二機は、二晩連続して出撃したが無事に帰投した。私の機は修理不能の状態で、
ついに出撃できなかった。井上君達が身代わりになってくれたのではと思うこともある。
命日は、昭和二十年七月二十三日。井上君の冥福をお祈りする。享年十八歳。
また十三空当時の三月十六日、アエルタール基地で同期の浜口雄彦君(高知・十七歳)
と公文旻君(高知・十八歳)が九六陸攻による夜間航法通信訓練中、急激な天候の悪化に
より、飛行場西側海上に墜落したことを思い出す。当時を回想しながら、 自分が今この世
に生きているのが、不思議に思えることがしばしばである。 合掌。
九六式陸上攻撃機。
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