蒼空の果てに

     「右舷後方に敵機!」

    電信員は機上で、暗号文の作成や基地との送受信訓練を行う。またこれと並行して「実 用信(訓練でなく実務の交信)」も担当する。《空襲警報発令、訓練中止、帰投せよ》な どを受信できないと大変なことになる。  当時はマリアナ方面からのB29による空襲以外に、新たに占領した硫黄島の基地から、 P51戦闘機が少数機編隊で、たびたび空襲に来ていた。だから、内地の空といっても安全 ではなかったのである。  ある日の午後、第一コースで知多半島上空に差しかかった時、 「右舷後方に敵機!」 と、 見張員が叫んだ。振り向くと右後方から、低空を斜めに近づく二機編隊がある。見張 員は機銃に弾倉を付けて装填している。確認する暇もなくアッという間に胴体の下に隠れ てしまった。太陽の反射光線で見えにくい状態であったが、味方の彗星艦爆であると直感 した。
新鋭艦上爆撃機「彗星」

艦上爆撃機「彗星」とP51戦闘機
   
 確かめようと左下を見るけれど、 なかなか抜け出してこない。P51のような気もする。
P51は大井航空隊で何度も銃撃を受けていた。しかし、いつもは下から見上げていたので、
上から見下ろすのは初めてで自信がない。陸軍にもあの型の戦闘機があるのだが、現物は
見たことがない。疑心暗鬼、尻がむずむずする。飛行機を傾けて下を覗くけれども発見で
きない。

「おーい! どこへ行った!」     
「分かりませーん……」                                                            
「分からんで済むか! よーく見張れ!」

 見張員も、機銃に装填するため目を離した隙に見失なっている様子である。撃ってこな
いところをみると、やはり味方機だったのだろう。敵戦闘機であれば、練習機の独り歩き
は絶好の獲物である。見つかれば逃げられるものではない。やはり、最初の直感どおり彗
星艦爆だったのだ。不安を抱いたまま、予定コースを飛行して帰投した。

 ところが、帰ってみると飛行場の様子がおかしい。列線は撤収されて飛行機は掩体壕に
入れられている。おまけに《航空・短艇(飛行中の航空機は直ちに所属基地に帰投せよ)》
の旗旒信号が揚がっている。シマッター! 空襲警報だ!
「おい、電信員! 実用信は受けなかったのかっ?」
「実用信は受信しておりませーん」

 着陸してそのまま、飛行場西側の掩体壕に乗り着けた。飛行機を整備員に渡し、指揮官
を探して、
「六〇五号機、航法・通信訓練帰りました、人員機材異常なーし」                
と、報告した。                                
「なにっ、異常なしだと……、 敵機はどうしたんだー!」
「敵機発見の電報打ったんは、貴様の機だろ!」

 どうも様子がおかしい。あとで分かったことだが、見張員の、 
「右舷後方に敵機!」の叫び声に慌てた電信員は、確認もせず《敵機発見》の電報を基地
に発信したのである。そのことを私は知らなかった。
 
 基地ではこの電報により、《訓練中止、全機直ちに帰投せよ》と、指令した。だが、不
幸にもわが機の電信員は、電信機を送信の状態にしたまま、次に打つべき電報の起案にで  
も気を取られていたのか、この基地からの電報を受信できなかった。

 またなぜかそれ以後、 訓練用の交信も中断したままであった。電信機の故障ではない。   
訓練中の電信員は、他の配置と違って暗号書を引いたり電信機での送受信が精一杯で外を
眺める余裕がない。だから、機外の様子が分からないため不安が募り気が転倒していたも
のと思われる。

 《敵機発見》を打電して一時間近くも音沙汰無しでは、墜とされたと判断されても仕方
がない。それを、のこのこと帰って来たのだから叱られるのも当然である。敵機の確認を
怠ったため、飛行訓練を中断させ、基地全体にも大変な迷惑をかけて、誠に面目丸潰れで
あった。しかし、本物の敵機でなくて助かったわけである。
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