蒼空の果てに

     特攻隊員の心情

      今日は人の身、明日はわが身、いつ出撃命令が出るか分からない状態で、更に死ぬため の訓練が続けられた。一度は死を決意したものの、夜半ふと目覚めて故郷に思いを走らせ ることがある。そして、まだ死にたくない、何とか生き延びる方法はないものかと、生へ の執着に悩まされることも度々であった。  特攻隊が編成された当初は、皆一様に無口になり、決意を胸に秘めている様子であった。 ところが、日が経つにつれて、今度は以前にも増して快活になってきた。皆それぞれ自分 の死を納得したのであろうか。それとも、表面の快活さは、心中の悩みを隠すための手段 なのかも知れない。  心を許し合った同期生の間でも、直接この問題に触れて話し合うことはなかった。それ は、他人の介在を許さない、自分自身で解決すべき問題だからである。そうは言っても、 人生経験の浅い十八歳の若者に、このような解答を出させるとは非情である。  だが、内心の葛藤とは裏腹に、飛行機を操縦している時だけは、緊張のため雑念も涌か ず、死ぬための訓練でありながら、超低空飛行を行っても怖いというよりもむしろ爽快な 気分を味わうことさえあった。  訓練は続き技量は上達しても、死に対する不安や恐怖は消えるどころか益々強くなって くる。この生への執着は、出撃命令を受けて最後の離陸の時までは、恐らく断ち切ること はできないであろうと感じていた。  だれでも、一時の感情に激して死を選ぶ事は可能かも知れない。しかし、理性的に自分 の死を是認し、この心境を一定期間持続することが、われわれ凡人にとって、いかに大変 なことであるか、経験しない者には想像もできないことであろう。日ごろ大言壮語してい た者が、「特攻隊」の編成に際し、仮病を使ってまで逃げ隠れした事例からも判断できる。  見方を変えれば、あれが人間の正直な姿であったのかも知れない。当時のような「全機 特攻」の重苦しい雰囲気の中で、なお死から逃れようと努力する者には、それ相当の勇気 が必要であったと思われるからである。  他人の心を計り知ることはできない。だが、意識して皆との話の輪に加わり、他愛ない 話題に興じて、 無理に快活に振る舞っている自分の姿を彼らはどう見ているのだろうか。 彼らもまた私と同じような心理であったのかも知れない。皆と一緒に談笑の輪の中にいな がら、ふと脳裏を掠める不安に戦(おのの)く事も度々であった。  昼間は同僚との語らいで気を散らす事もできる。だが、夜中は自分だけの時間である。 眠れぬままに、古里の思い出に浸り、死後の未知の世界を想像することも再々であった。 際限なく次々と頭に浮かぶ雑念を振り払いながら、 儚い人生につかの間の安らぎを求めよ うと、 焦燥する日々がが続いたのである。        *  「特攻隊員」を命じられた場合、覚悟が決まるというか、決心がつくというのか、死に 対する気持ちの整理ができるのに、二〜三日かかるのが普通である。中には一週間程度も 悩み続ける者もいる。そして、一週間が過ぎても、なお決心がつかなければ脱落するしか ない。  では、特攻隊員はいかにして、死に対して自分の気持ちを整理し、覚悟を決めたのであ ろうか。まず一般的に死を解決する要素として考えられるのは、宗教であろう。私の家は 真宗の信者であった。子供のころから、仏壇に向かう母親の後に座り「正信偈」その他の お経を読む程度の関心は持っていた。  また法要などで「夫レ人間ノ浮生ナル相ヲツラツラ観ズルニ・・・」に始まる蓮如上人 の「白骨の御文章(おふみ)」に無常を感じたり、説教師の法話を聞いて感銘を受けるこ ともあった。しかし、いくら「極楽浄土」を信じていても、敵とはいえ「殺生」に変わり はない。だから、「極楽」ではなく「地獄」に落ちるのではないか。などと考え始めると、 ますます混乱する。 「そうだ! 狙うのは敵艦であって敵兵ではない!」そう心に決めることで、自ら安らぎ を求めるのであった。  当時の年齢や人生経験から、信心といっても程度が知れていた。それに比較して解決す べき問題が、あまりにも大き過ぎたのである。だから、宗教によって死を肯定する心境ま でには至らなかったのである。  次に、「悠久の大義に生きる」という国家神道の教えである。当時の精神教育は、この 一点に集約されていた。だが、前述の宗教と同じように、真にこれを理解し、これで死を 納得するまでには至らなかった。  日ごろ同僚との会話の中で、 「俺たちは、戦死すれば軍神として靖国神社に祀ってもらえるんだなあ……」 「そうだよ、靖国神社にも先任後任があるんだ、俺が先に行って待っている。遅れて来た 奴は食卓番だぞー」 「そらつくなよ、軍神が食卓番なんかするものか。毎日が上げ膳据え膳で、 お神酒は飲み 放題だ!」 「そうだー、俺たちは軍神なんだ。だからお神酒だけは今から供えて欲しいなあー」 「なに言ってる。お前さんの供えてもらいたいのは、おふくろさんのオッパイだろう」 などとふざけ合っていても、本心から、軍神になることや靖国神社に祀られることでこの 問題を解決できた者は、恐らく一人もいなかったのではなかろうか。  人間はどうせ一度は死ぬのだ。それなら多少とも、後世に名を遺したいという見栄があ る。そして、軍神や靖国神社は生前に予想できる唯一の死後の姿である。 地獄や極楽など 単なる幻想の世界ではない。  立派に戦って戦死すれば、靖国神社に軍神として祀られることは約束された現実である。 しかし、初めからそれを目的として考えることは、神に対する冒涜であろう。私たちは、 国家神道を観念的には理解できても、それは、死後の姿を想定する手段としてであって、 死を解決するには別の何かを求めざるを得なかったのである。  次に運命として諦観する方法がある。確かに人の運命には予測できない面がある。それ は、過去の戦闘や飛行機事故などの例で、生死は紙一重であることを痛感していた。だか ら、これに運命的なものを感じていたとしても不思議ではない。    だが、これは結果としていえることで、運命そのもで死を解決するのは、諦らめの理論 である。諦らめ切れないから悩むのであって、これが解決の手段にはならなかった。要す るに理屈で解決するのでなく、感情的に納得できる何かを求めていたのである。  私が死を意識して、真っ先に考えたことは、最も身近な者のことであった。即ち、両親 や姉など肉親のことであった。自分が犠牲になることで、国家が存続し親や姉達が無事に 暮らす事ができるのであればという、切羽詰まった考え方でこの問題に対応したのである。  恐らく、 私以外の者の考え方も大同小異であったと思う。この問題を解決するのには、 肉親に対する深い愛情が根本にあったと信じている。その対象が妻子であり、また約束を 交わした最愛の女性であった者もいたに違いない。  この肉親に対する愛情が、わが身を犠牲にして顧みない、重大な決意を可能にしたので ある。また立場を変えて、親の側からこれをみるとき、親もまた複雑な思いに駆られてい たに違いない。   親想う 心に勝る 親心     今日のおとずれ 何と聞くらむ  吉田松陰の辞世を、現実に体験することになったのである。いかに国のためとはいえ、 わが子の無事を願わない親はいない。お互いの愛情と信頼が、「特攻」という常軌を逸し た行動の原動力になったとすれば真に非情である。

    八洲隊の若桜

 一、あの教官も あの友も 神風隊の  若桜
   笑って散った 勲に続き 征くぞ 俺らも体当たり
    一機命中 轟沈だ

 二、あゝ南海や 北冥に  手柄残して 散華した 
   同期の友に 後れをとった 悔し涙も 幾度か
    今日は門出の 嬉し泣き 

 三、八幡菩薩の 旗風に  地獄の使者だ 俺たちは 
   敵に恨みの いざ体当たり 富士がほほ笑む この朝だ     
    友よ笑って さあ征こう    

 四、さらば祖国よ 山河よ 離陸のあとは 何もない
   心は澄んで 気は落ちついて 笑顔が写る 計器盤
    目指す針路へ 真っしぐら


     八洲隊隊歌

 一、侵略主義の醜敵が 不逞の野望覆す 
   神機は来り時將に 秀峰仰ぐ牧之原 
   取れ天誅の操縦桿 あゝ待陣の八洲隊

 二、燦たる歴史皇国の 護りは堅き武士が 
   還らぬ覚悟予てより あゝ空征かば雲染めて 
   散って悔いなき大和魂 あゝ出陣の八洲隊

楠公旗印
「非理法権天」  
大井空目次へ 次頁へ

[AOZORANOHATENI]