蒼空の果てに

     味方討ち

   館山基地の南側には百〜二百メートル前後の小山が連なっている。この山頂付近を中心 にして、対空陣地が構築されていた。第二波の空襲から盛んに発砲していた。だが、弾丸 はほとんど後を追う形になり、一機の敵機も撃墜することができなかった。これは、射手 が慣れないため、飛行機の予想進路を狙うべきなのに、飛行機そのものを狙うからである。 そのうえ、最後には敵機でなく、お粗末にも味方戦闘機を撃墜してしまったのである。  それは、数波にわたった空襲も一段落した夕暮れ近くのことであった。南方向から二機 編隊の零戦が帰投してきた。高度は約五百メートルである。帰投した飛行機は風向を確か め着陸する方向を決定するため、編隊のまま飛行場の上空まで進入してから解散し、「誘 導コース」に入るのが決められた手順である。 零戦           零式艦上戦闘機  ところがこの編隊は、飛行場南側の対空陣地の上空あたりで、急激に右降下旋回を始め た。着陸を急ぐあまり高度を下げながら、東西滑走路の「誘導コース」に直接入ろうとし たのであろう。これに対して、湾内に停泊していた小型輸送船に装備していた機銃一挺が、 《パンパンパン……》と、乾いた音をたてて撃ち始めた。これは輸送船の射手が、終日に わたる空襲で極度の興奮状態にあったのと、敵機か味方機かを形式で識別することができ ず、急に自分の方向に突込んできたので、とっさに敵機と勘違いしたものと思われる。  ところが、今まで敵か味方かと半信半疑で見詰めていた対空陣地の全機銃が、これにつ られて、《ダダダダーーーー》と、一斉に撃ち上げたからたまらない。その零戦は慌てて 脚を出し、バンクを繰り返したが間に合わず、オレンジ色の炎を噴いて、館山の町の真ん 中に墜落した。一機だけは辛うじて退避することができた。一瞬の悪夢であった。  われわれにしても、グラマンやシコロスキーの実物に見参するのは初めてである。しか し、搭乗員は日ごろから写真や型式図などの資料を使って、味方識別の訓練を受けている。 対空陣地の指揮官や配置されている兵隊にしても、当然味方識別の訓練は受けているはず である。まして零戦は、毎日上空を飛んでいて見慣れているはずの味方機である。間違い ではすまされないのだ。後味の悪い事件であった。  この事件があったため、翌日から経験のある搭乗員を、味方識別の要員として、対空陣 地に派遣するようにとの要請があった。だが、既に後の祭りである。  この零戦にやや遅れて、西側海上から低空を這うように、脚を出して小刻みにバンクし ながら、天山艦攻一機が進入してきた。この味方識別も鮮やかな帰投は、ベテラン柏原飛 曹長の操縦する索敵機であった。  夕暮れが迫ってきたが、水偵隊の索敵機で未だ帰還しないのがいる。先程、天山艦攻が 帰投した西側の海上を、皆が気にしながら眺めていた。すると、逆光線の夕日を浴びて、 何百とも数え切れない機影が北上しているのが目に映った。 「ウワアー! また来たぞー!」 と、誰かが叫んだ。その声はもう悲鳴に近いものであった。 「ウファー! ハッハッハッ……」 次の瞬間、これは照れ隠しの爆笑に変わった。よくよく見ると、敵機の大編隊と見えたの は、ねぐらに急ぐ水鳥の大群であった。 水鳥          水鳥の大群。         *  艦攻隊は人員機材とも無事であった。ところが未帰還機のある水偵隊や、列線で焼かれ、 空戦では墜とされ、更に、味方討ちまでされた戦闘機隊のデッキは大変である。その夜は、 大荒れに荒れていた。  艦攻隊のデッキでも、敵機動部隊に対して雷撃をやるんだと息巻く者がいた。しかし、 聯合艦隊の直接指揮下にない九○三空には、雷撃出動の命令は出なかった。九○三空の艦 攻隊が、鹿児島県串良基地に進出して、第五航空艦隊の指揮下に入り、沖縄周辺の敵艦船 攻撃に参加することになったのは、四月二十日以降のことである。「雷風雷撃隊」と呼ば れ、夜間雷撃や昼間強襲雷撃にと、艦上攻撃機本来の任務である雷撃に出動して、全滅に 等しい大損害を受けたのは後々のことである。  翌十七日も早朝から、数波にわたる空襲を受けた。ところが慣れとは恐ろしいもので、 前日に比べて余裕のある応戦ができた。また事前に飛行機の分散遮蔽などを行っていたの で、被害も僅少であった。  横須賀航空隊から「S作戦」支援のため派遣されていた一式陸攻は、十六日早朝、対潜 水艦索敵に出発し、「ヒヒヒヒ・・・」を発信したままついに帰らなかった。残る一機は、 東西滑走路の北側に駐機されていたが、掩体壕もなく丸裸のため、グラマンによって繰り 返し繰り返し銃撃を受けた。しかし、最後まで炎上しなかった。聞けば、第一波の空襲の あと、すぐに燃料を抜いていたとのことである。ところが、機体は穴だらけで、恐らく修 理不能ではないかと思われる惨状であった。  また、最初に炎上した零戦の残骸は、金属がこれ程よく燃えるとは信じられないくらい で、翼端と尾翼の一部を残して完全に焼け落ちていた。ジュラルミンの溶けたのと、黒焦 げのエンジンが転がっているだけであった。  水偵隊では、地上での損害は軽微であったが、野村大尉の心配が現実となり、出発した 索敵機の半数が未帰還となった。同期生羽成英夫二飛曹(三重航空隊・神奈川県出身)が 搭乗した水偵も、ついに帰還しなかった。それに比べて艦攻隊には、人員にも飛行機にも 被害がなかったことは、不幸中の幸いであった。 零水           零式水上偵察機  敵機動部隊の空襲が終わり、ホッと一息ついた十九日、敵はついに硫黄島に上陸を開始 した。これに対応して、香取基地に待機していた六○一空で「神風特別攻撃隊・第二御盾 隊」が編成され、この敵に向かって「体当たり攻撃」を敢行した。相当の戦果を挙げるこ とができた様子であったが、上陸を阻止する事はできなかった。

「第二御盾隊出撃」毎日新聞。昭和二十年二月二十三日号。 第二御盾隊出撃準備完了
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