蒼空の果てに

     対空戦闘の経緯

        その日、私は当直下士官の配置にあったので、終日指揮所付近で勤務していた。その間 に見聞した戦闘の経過は次のとおりである。  早朝、予定どおり対潜水艦索敵に出発した、 横須賀航空隊から派遣された一式陸攻から 「敵駆逐艦二隻発見」 の電報が届いた。だが、 距離的にあまりにも近い地点なので、何か の見違いではないかと、 半信半疑でいた。 一式陸攻           一式陸上攻撃機  ところが、続いて「ヒヒヒ・・・」と、発信したまま消息を絶ってしまった。この電報 は「敵機の攻撃を受けつつあり」との緊急略語通信である。そこで初めて事の重大さに気 がついた。しかし、敵の位置や勢力などが分からないため、対応処置ができないでいた。 それでも、戦闘三○四飛行隊に対しては《敵機空襲の公算大なり》と、通報した。戦闘機 隊では、この情報を受けて直ちに迎撃準備を始め、試運転を開始した。ところが、これが 裏目に出た。試運転の爆音で、敵機の近づく爆音を聞き漏らす結果となったのである。  また戦闘機隊の隊員の中に、飛行場西側上空の雲の切れ間に機影を認めた者がいたらし い。しかし、彼は新しい飛行機を受領するため出張していた者が、その朝帰隊する予定に なっていたので、ちょっと早すぎると思いながらも、その飛行機が帰ってきたのだと思い 込んで、気にもとめなかったそうである。  艦攻隊にしても、第一波の空襲を受けてから、初めて事の重大さに気づき、慌てて飛行 機の分散防護を指示する混乱ぶりであった。ただ、第一波の空襲が戦闘機の列線を狙った ため、艦攻隊の飛行機に被害がなかったのは幸いであった。  肝心の対空陣地も準備不足で、対空射撃が開始されたのは、第二波の空襲からであった と記憶している。ここでも、内地が敵機動部隊の空襲を受けるとは思いもよらぬ事で、油 断していたと思われる。  飛行指揮所では、横須賀航空隊から派遣されて、早朝対潜索敵に飛んだ一式陸攻の予定 コースと、電報の発信時刻をもとに、敵機動部隊の位置を予測して、この方面に対する索 敵が立案された。計画は天山艦攻二機と水上偵察機六機であったと記憶している。水偵隊 の隊長野村大尉が、白昼それも敵機動部隊の空襲下における水上偵察機の使用に難色を示 したが、容れられなかった。  直ちに「搭乗割」が示され、出発準備が進められた。天山艦攻は列線をとらず、掩体壕 からそのまま発進した。それでも準備が遅れ、既に、正午を過ぎた時刻であった。操縦員 柏原飛曹長、偵察員西山上飛曹(先任下士官)電信員(失念)のベテランを揃えたペアは、 敵機空襲の合間を見計らって敢然と発進して行った。 西山先任下士は、日ごろ「搭乗割」に名前があっても、何かと理由を付けては他の者に 交替を命じて、自分が搭乗することはなかった。ところがこの日ばかりは、若い偵察員に 準備させた航法図板と用具袋を持って、平然と出発したのはさすがであった。       *  柏原飛曹長機が出発した前後のことである。九〇三空司令官野元為輝少将が飛行指揮所 に来られた。野元少将は航空母艦瑞鶴の艦長として、第二次ソロモン海戦や南太平洋海戦 を戦った歴戦の勇士である。一種軍装を着用し鉄帽を被っている。飛行隊長などと協議さ れている後ろ姿を見ていると、鉄帽の後面にも錨のマークが画かれている。司令官のよう に偉くなると、マークを前後につけた特製の鉄帽を被るのかと思っていた。  やがて打ち合わせが終わり、指揮所を出られるのを敬礼して見送った。ところが、鉄帽 の正面には錨のマークなど付いていなかった。さすがに歴戦の司令官でも、予期せぬ空襲 に戸惑い、少々慌てている様子であった。
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