蒼空の果てに

     敵機来襲

 昭和二十年二月十五日、課業終了に際して、 飛行指揮所前で搭乗員整列が実施された。 そして、飛行隊長武藤少佐から、翌十六日から開始される「S作戦」についての状況説明 があった。 「数日来、南東方面の太平洋上に配備している我が方の哨戒艇に対して、敵の潜水艦が 浮上攻撃を行い、次々に撃破する事件が発生している。これは、敵の機動部隊が来襲する 前兆であると考えられる。よって、これらの敵潜水艦を制圧するのが、今回の『S作戦』 の目的である」と。  既に、 作戦期間中の「搭乗割」も決められ、それぞれ入念な準備が行われていた。また、 この作戦を支援するため、横須賀航空隊から電探を装備した一式陸攻二機が飛来し、滑走 路北側に翼を休めていた。  明くれば二月十六日、いよいよ「S作戦」の開始である。早朝から、対潜水艦索敵機は 次々と発進して行った。その日私は、当直下士官の配置にあって、搭乗予定はなかった。 朝飯を早めにすませて、デッキの黒板にその日の課業予定を記入していた。  突然《ドドーン》と、異様な爆発音と機関銃の発射音が響き渡った。 「スワ何事!」と、デッキに残っていた者は、慌てて飛び出して行った。私も事態が把握 できずに一瞬迷ったが、作業を中断して皆の後を追った。  飛行場に出てみると、滑走路の南側に並べられていた零式戦闘機が、真っ赤な炎を噴き 上げて燃えている。敵艦上機により空襲を受けているのだ。飛行隊長の昨日の説明では、 二十日前後に敵の機動部隊が来襲するとの予想であった。ところが、敵はもうそこまで来 ていたのである。  その日は曇天で鉛色の雲が低く覆っていた。また、早朝から戦闘機隊が試運転を行って いたので、敵機の近づく爆音を聞き漏らしたのである。第一撃を受けて、 初めて敵の空襲 を知ったような状況で、何の準備もできていなかった。完全な奇襲である。こうなると、 「S作戦」どころではない。攻守処を替え防空戦闘の開始である。空戦能力のない艦上攻 撃機は、速やかに分散防護しなければならない。  館山基地は飛行場の南西側の山腹に、横穴式の大型掩体壕が掘られていた。だが、格納 庫から遠いのと、運搬が面倒なため普段は使用されていなかった。しかし、この際ここに 格納するのが一番安全である。  ところが、肝心な古参の搭乗員は日ごろの大言壮語とは裏腹に、 素早く退避して指揮所 付近には見当たらない。仕方がないので新前の搭乗員だけで飛行機の分散を実施すること になった。  私たちは、敵艦上機による空襲を受けるのは初めての体験であり、無我夢中であった。 古参の連中は、過去の経験から空襲の危険を承知していて早々に退避したものと思われる。 私は、当直下士官としての責任もあり、勝手に退避できなかったのである。  付近にいた搭乗員に飛行機の分散を指示し、自分も手近な一機に飛び乗り、エンジンを かけた。地上滑走による運搬は楽なように見えるがなかなか面倒である。特に天山艦攻の 場合は重心が前部にあるため、 ブレーキの使用が特に難しい。下手にブレーキを踏むと逆 立ちするので、 スピードを出すことができない。  また、掩体壕までの誘導路は、滑走路のように直線ではなく、そのうえ坂道になってい る。座席を一杯引き上げても、エンジンが大きいので前方の見通しが極端に悪い。恐らく 第二波が来襲するであろう。自分の飛行機の爆音で、 敵機の爆音を聞き漏らす不安がある。 そのため、偵察員を後部座席に立たせて上空の見張りをさせながら、のろのろ運転である。  どうやら第二波が来襲する前に、飛行機の掩体壕格納が終わった。指揮所に帰る途中で もう次の空襲が始まった。エプロンの端までたどり着いたが隠れる場所がない。慌てて地 面に伏せたまま顔も上げられない。真っ赤な「焼け火箸」のような銃弾が、 まるで夕立の ように突き刺さる。それが、滑走路に跳ねて《ピュッ、ピュッ》と、耳元を掠める。生き た心地がしない。身を縮めて敵機の去るのを待つばかりである。  いくらか慣れるにつれて、顔を上げて突込んでくる敵機の軸線を確かめる余裕ができた。 次々に銃撃を繰り返す敵機、その軸線が皆こちらに向かってくる。それもそのはず、すぐ 横に土塁式の掩体壕があって、零戦が置かれている。敵機はそれを狙っているのだ。だが、 いまさら逃げ出そうにも付近に適当な隠れ場所が見当たらない。  パラパラパラ…… と、上から何かが落ちてきてエプロンの上を跳ねている。よく見る と、敵機の十三ミリ機銃の撃殻である。味方零戦の二十ミリ機銃と同じぐらいの太さがあ り、先端が絞られている。敵のグラマン戦闘機は、十三ミリ機銃を六挺を装備している。 これが真正面から、真っ赤な火を噴いて撃ち込んでくると、その威力に圧倒され、恐怖さ え感じる。 F6F          グラマンF6F戦闘機。  飛行機の分散遮蔽が一段落すると、次は、対空戦闘の開始である。飛行機から降ろした 機関銃を、応急的に据え付けて応戦するのは、偵察員の役目である。彼らは飛練時代に旋 回機銃による正規の射撃訓練を受けている。操縦員は指揮所横の防空壕で息をひそめてい る。空襲の合間に弾倉を運ぶ手伝いをする以外に手の施しようがない。  それにしても、指揮所付近にいて、 飛行機を分散防護したり、応急的に機関銃を据えて 対空射撃を行うなどして頑張っているのは、比較的若い新参の搭乗員ばかりである。古参 の搭乗員は、日ごろの大言壮語とは裏腹に、真っ先に退避して、そこらあたりには見当た らない。  フト南西の空を見上げると、空襲の合間を見計らって発進した零戦が、巴戦特有のうな りを響かせて迎撃戦を展開している。だが、圧倒的多数の敵編隊に対して、少数機で攻撃 をかけても結果は明白である。残念ながら火を噴いて墜ちているのは味方の零戦である。  館山基地では、二五二空戦闘三○五飛行隊が毎日猛訓練を実施していた。それが、去る 二月一日、錬成訓練を終了し、堂々たる大編隊を組んで硫黄島方面へ出陣した。われわれ は、この壮途を期待を込めて見送ったのである。その後、戦闘三○四飛行隊が後を引き継 いで錬成訓練を開始した。だが、未だ編成途中で、搭乗員も飛行機も十分揃っていなかっ たのである。  この日の戦闘で、同期生林五郎二飛曹(旧小倉市出身)が戦死したことを後で知った。 彼は谷田部航空隊で中練教程を終了した後、筑波航空隊に移り戦闘機の実用機教程を卒業 した。そして、戦闘三○四飛行隊に着任し、錬成訓練を開始したばかりであった。
館山基地跡 館山基地跡地(現在海上自衛隊使用)
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