蒼空の果てに

      九七艦攻最後のご奉公

 当時第一線部隊には、新鋭機「天山艦攻」が配備されていた。われわれが訓練に使用し ていた九七式一号艦攻は、既に使用限度を越えた感じで、エンジン・機体ともいろいろな 故障が続出していた。同じペアの川崎練習生がやはり故障で脚が出ないため、応援に離陸 した飛行機に同乗した整備員から手先信号と指示板を使っての指導により、操縦しながら 脚操作部分のカバーを外し、故障を直した事例もあった。  当時われわれは、暇さえあれば古い機体の点検を行い、ビスの緩みなどを締め付けるた めドライバーは常時持ち歩いていたのである。  この使い古しの九七艦攻に、最後のご奉公の機会が与えられた。翌二十年四月、当時の 教官や教員を中心にして編成された「神風特別攻撃隊」の使用機として、鹿児島県の串良 基地へ進出した。そして、「菊水二号作戦」が発令されるや、勇躍して串良基地を発進し たのである。離陸と同時に収納された脚は、再び大地を踏むこともなく、沖縄周辺の海上 に砕け散ったのである。  彼ら「特攻隊員」は、私たちを手とり足とりして一人前の搭乗員に育て上げた親鷲たち である。あたら豊富な経験と優秀な腕前を、ただ一回の「体当たり攻撃」で消耗するとは、 真に不経済な戦法と思われてならない。  彼らに、新鋭機「天山艦攻」で夜間雷撃を敢行させれば、「体当たり攻撃」以上の戦果 が期待できたはずである。いや使い古しの九七艦攻であっても、夜間雷撃を反復すること で、昼間強襲の「特攻隊」に、決して劣らぬ戦果を挙げたであろうと確信する。  またこの出撃では、魚雷の機械部分を切り離し実用頭部だけに改造した、特攻機専用の ヒレのない爆雷が、初めて使用された。そして、全機目標に突入して、多大の戦果を挙げ たことが、戦果確認機によって報告された。聯合艦隊告示第一四三号により、その功績が 全軍に布告されたのが、せめてもの慰めである。
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