百里原空目次へ 6-6九七艦攻最後のご奉公事故の要因
事故の原因は、三番機操縦員の技量未熟として片づけられた。しかし、その誘因は訓練 計画の不備にあると考えられる。編隊解散から魚雷発射までは問題ないにしても、編隊集 合に疑問が残る。 出発前の編隊集合要領についての指示は、 「集合地点、涸沼上空、高度二千メートル、右回り」であった。ところで、大洗崎の突堤 を標的にして、南東方向の海上から魚雷発射を行い、左上昇旋回をしながら涸沼上空に集 合すれば、そのまま左回りで編隊を組むのが合理的である。 また、この右回り集合の指示が、私の参加をためらわせた理由でもあった。右回りでの 編隊集合では、四番機は編隊の外側を必死になって追いかける格好になる。左回りの集合 だと内側にいるため一番機の方が近づいてくるので、馬力の不足をそれほど気にしなくて すむのだ。 当日の状況は、発射運動を終わった一番機が、大きく左に上昇旋回しながら涸沼上空に 達した。ここで計画どおり右旋回に切り替えようとした。だが、二番機は内側のコースを 近回りして、既に定位置に付いていた。 やや遅れた三番機は、一番機の行動に疑問を持ったに違いない。右回り集合の指示に対 して、左旋回している一番機と、左旋回のまますでに編隊を組んでいる二番機を見て、現 況に応じて、左旋回のまま編隊の位置につこうとした。そして、その予想進路へ先回りし ようとしたものと思う。 次の瞬間、一番機は予定の右旋回に切り替えたのだ。そのため、増速して余力の残って いた三番機の左翼端が、一番機の尾翼に接触、そのまま左に滑って二番機に衝突した。そ の結果、二番機と三番機はともに操縦不能となり墜落したのである。 初めから、左回りでの集合を指示し、編隊の集合が完全に終わるまで、急激な操作を控 えていれば避けられた事故であると断言できる。もし私が、あの飛行機で四番機として参 加していれば、馬力が弱いため、三番機より更に遅れて追従し、眼前でこの惨事を目撃す ることになっていたであろう。
* 私はその数日前、同じ飛行機で事故寸前の体験をしていた。その日も大洗崎で単機での 雷撃訓練を行い、飛行場上空に帰った。私の操縦で後席も練習生の互乗で教員は乗ってい ない。鼻歌まじりであった。風向を確認して「誘導コース」に入った。そして、脚出しの 操作を行った。ところが、どうしたことか右脚が出ない。脚の表示灯は赤のままである。 さあ大変、故障したのだ。直ちに状況をメモして指揮所に投下した。 次に、後席に指示して、偵察席の横にある「手動脚出し装置」を操作してもらった。と ころが、ハンドルが折れるほど力を入れても、びくともしないと言う。仕方がないので少 し高度を上げて、降下から急に引き起こしたり、横滑りしたり、思い付く処置をいろいろ と試みた。だが、依然として右脚は収まったままである。 初冬の太陽は西に傾き、夕暮れが迫ってくる。不時着するなら明るいうちの方が安心で ある。燃料は十分にあるが、今となっては逆に燃料が残っているのが心配になってきた。 万策尽きて胴体着陸を決意した。 指揮所にその旨を連絡し、座席バンドを締め直し、再び「誘導コース」に入った。次に、 胴体着陸を少しでも安全にするため、出ていた左脚を収納した。これは以前、予備学生の 教育を担当している隣の分隊の久保教員が、 胴体着陸をして全員無事だったのを偶然に見 ていたからである。フラップを降ろし、第四旋回を終わってパスに乗った。 地面がぐんぐんと浮き上がってくる。眼高七メートル、静かにエンジンを絞った。突然 「ピー」とブザーが鳴った。慌ててスロットルレバーを全開し、接地寸前でやり直した。 九七艦攻は、艦上機で初めて引込脚を採用した飛行機である。だから、慣れない操縦員に 脚の出し忘れを知らせるために、脚を収納したままでエンジンを微速に絞ると、ブザーが 鳴る構造になっている。この装置が作動したのである。 この警報の意味を承知していながら、とっさにやり直しの操作を行ったのである。胴体 着陸に対する不安が無意識にそうさせたのかも知れない。それとも、火災の発生を防止す るため、あそこでメインスイッチを切れという暗示だったのかも知れない。 再び「誘導コース」を回りながら、念のためもう一度脚出し操作を試みた。すると今度 は、何の支障もなく、左右とも青灯に変わった。脚が出たのである。込み上げてくる嬉し さに胸を弾ませながら無事に着陸した。列線はすでに撤収されていたので、薄暗くなった 飛行場を格納庫へと急いだ。 恐らく最初に脚出し操作を行った際に、右脚のケッチが完全に外れなかったのであろう。 だから、いくら油圧をかけても、脚は出なかったのである。また、手動ハンドルがビクと もしなかったのもうなずける。
[AOZORANOHATENI]