蒼空の果てに

     人間爆弾「桜花」

 昭和十九年十月三十一日(火)、それは二等飛行兵曹への昇任を翌日に控えた日の出来 事であった。既に任官の内示を受けていたので、練習生一同ご機嫌であった。  その日は、飛行作業がなく午前午後とも座学であった。午後の課業整列のため、庁舎前 に集合していた。すると、課業整列のため庁舎から出てくる士官連中が、しきりに、上空 を気にしている様子である。何事かと見上げると、一式陸攻が二機、三千五百メートルぐ らいの上空を旋回している。  見ていると、突然一番機の胴体から何かが落下した。爆弾にしては大き過ぎる。 「アアッ! 小型飛行機だ!」 次の瞬間、真っ白な噴煙を引き始めた。そして、爆音もたてずに真一文字に降下してきて、 アッ! という間に着陸した。今まで見たこともない、特徴のある垂直尾翼を二枚もった 小型の飛行機である。  午後の座学が終わるのももどかしく飛行場に行った。しかし、例の小型飛行機は一番北 側の格納庫に納められて、銃を持つた番兵を付けて一般の立ち入りを禁止している。とこ ろが、情報屋はどこにでもいる。あの小型機が噂の人間爆弾「マル大」で、七二一航空隊 が当百里原基地で編成中であると聞き込んできた。「マル大」とは大の字を丸で囲んだ符 牒で、正式に「桜花」と命名されるまでの秘匿名称である。
人間爆弾「桜花」
人間爆弾「桜花」
 フィリピン方面における「神風特別攻撃隊」の「体当たり攻撃」については、まだ聞か
されていなかった。(実際には十月二十八日に発表されていたが、われわれが教官から説
明を受けたのはこの後である)ラジオは聞けない、新聞なども読む暇のない練習生の生活
では、教官や教員から戦況などの説明を聞く以外に、正確な社会情勢の知識などを得られ
る状態ではなかったのである。

 忽然として眼前に現れた新兵器に、戦局の重大さをひしひしと感じた。思えば八月下旬、
「マル大」と呼ぶ「体当たり機」の乗員を募集しているとの噂があり、二、 三の者が志願
を申し出たことがある。しかし、訓練途中の練習生は対象外で、お呼びはかからなかった。

 ところが、「マル大」の飛翔する姿を眼前に見るに及んで、「体当たり攻撃」を現実の
ものとして、認識させられることになった。戦局はそれほど逼迫してきたのであろうか。
それにしても、「体当たり攻撃」とは狂気の沙汰ではないか。

 飛行場には垂直尾翼に斜めの白線を画いた、七二一航空隊所属の一式陸攻が翼を休めて
いる。胴体の下には魚雷の投下器に似た形の、大きな懸吊装置が装着されている。これに  
「マル大」を吊すらしい。「マル大」の乗員は発射前に母機である、一式陸攻の胴体から
乗り移るのであろう。                               

 また、「マル大」には到達距離を延ばすため、ロケットを装備しているとの話である。    
だが、今回の投下試験ではそのロケットは使用していないと言う。われわれが、ロケット   
の噴煙かと思ったのは、機体のバランスを保つため頭部の薬室に爆薬代わりに充填してい
た水を、降下の途中で放出したものらしい。それなら、実際にロケットを噴射すれば大変
なスピードになるはずである。そんな機体を操縦して、 果たして目標に命中することが可
能なのだろうか。

 更に重要なことは、例え命令だからといっても、爆弾そのものを操縦する「体当たり攻
撃」に、平気で出撃することができるのだろうか。技術的な問題もさることながら、精神
的な問題の解決が必要ではないかと強く感じた。

 寄ると触るとこれらの話で持ち切りとなった。「体当たり攻撃」は、志願さえしなけれ
ば直接自分には関係ないと思いながらも、せっかく二等飛行兵曹に任官したのに、その喜
びも半減した感じであった。

 人間爆弾「マル大」は、投下試験の成功により「桜花」と命名された。そして、編成中
の七二一航空隊は、数日後に神ノ池基地へ移動し、「神雷部隊」として本格的な実戦訓練
を開始したのである。
721空の一式陸攻と「桜花」
「桜花」を抱いた七二一空の一式陸攻。
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