蒼空の果てに

                   

     雷撃訓練

 九月十八日(月)、待望の雷撃訓練が開始された。雷撃は艦上攻撃機の御家芸である。 だから、編隊飛行以上に重要視されていた。最初は単機で行う「発射運動」から始める。 離陸して高度をとりながら鹿島灘に向かう。標的は民謡「磯節」で有名な大洗崎の突堤で ある。  標的を左九十度方向に見ながら、高度二千メートル距離約一万メートルの位置から左に 降下旋回しながら突撃を開始する。高度百メートル距離千メートルで魚雷発射。そのまま 標的の上空まで直進し、次に左上昇旋回で退避する。距離はすべて目測である。  操縦員は照準器で標的を狙い、                           「発射よーい、テー!」 と呼称して投下把柄を引く。後部座席に同乗している練習生はストップウォッチを発動し て、標的の上空に到達までの秒時を計る。これで標的までの距離を測定することができる。 百六十ノットで突撃した場合、十秒間で八百メートル進む。千メートルだと一二・五秒で ある。  雷撃で最も重要なことは、魚雷発射の際に飛行機を横滑りさせないことである。横滑り しながら発射した魚雷は、海面に突入する際に角度が微妙に変わり、標的に直進しない。 同じ機首角度を保ちながら横滑りさせず、真っすぐ飛びながら発射することが、魚雷命中 の必須条件である。  ところが、防禦側の対空砲火から見れば、低空を横滑りもせずに至近距離まで真っすぐ に向かってくる飛行機ほど、照準し易いものはない。だから、雷撃機に被害が多いのは、 宿命的なものである。  上達すると、高度五十メートル距離八百メートル程度で発射できるようになる。高度が 低いほど風の影響も少なく、標的に近いほど命中率は向上する。訓練が進むにつれて練習 生だけの互乗が多くなる。教員が同乗しないので物見遊山にでも行くように、ウキウキし た気分である。  いくら低空飛行をしても、自分が操縦桿を握っていれば安心できる。だが、他人の操縦 に身を任せるのは怖いものである。後席に同乗して高度計を読んでいるとマイナスを指す。 「おい! 大丈夫かっ!」 と叫びたくなる。百里原航空隊の標高は三十メートルである。出発の際に高度計はゼロに 合わせている。だから実際にはマイナス三十メートルまで余裕がある。ところが、当時の 気圧高度計はそれほど精密ではなく、一目盛りが十メートルである。だから、目測と勘に 頼ることになる。お尻がむずむずしてくる。  後ろを振り返って海面を見る。プロペラの風圧で水しぶきが揚がっていれば、接水寸前 である。 「おい! 引き上げろっ!」 と、本音で叫ぶ。  もちろん教員には内緒の超低空飛行である。「発射運動」訓練で指示されている魚雷発 射の高度は五十メートルである。だから、計器高度が二十メートルで海面の見え具合など を会得するのである。ところが、教員が同乗していないと途端に超低空飛行を始める。事 故が起きないのが不思議なくらいである。  最後の仕上げとして「襲撃運動」が実施される。これは実戦形式の雷撃訓練である。離 陸して飛行場上空を旋回しながら編隊を組み、鹿島灘に向かって進撃する。標的を左前方 に見ながら、一番機のバンクを合図に編隊を解散する。「単縦陣」を作りながら、標的に 向かって突撃を開始する。魚雷発射後は標的上空まで直進する。次に左上昇旋回しながら 退避する。そして、指定された空域に集合して再び編隊を組む。  百里原航空隊での雷撃訓練はこの「襲撃運動」までである。後は実施部隊で錬成訓練が 行われる。実際の軍艦を標的にして、機数も中隊編成から大隊編成へと多くなる。機数が 多くなるにつれて襲撃の陣形も変わり、編隊の位置による各機の行動要領も複雑になる。  雷撃は敵艦に対して発射角九十度(真横)で実施するのが理想である。六十度以下や百 二十度以上になると命中率は低下する。しかし、転舵しながら高速で回避運動を実施する 敵艦に対して、最良の射点を占めることは非常に困難である。そのため、多数機で取り囲 んで一斉に攻撃することで、その内の何機かが最良の射点を占めることができるような陣 形を作る。  各種の陣形を作る要領は地上で教育を受け、編隊の位置により各機ごとに決められた行 動要領を理解する。またその当時「母艦戦闘法」と題する、搭乗員教育用の映画があった。 これは、索敵に始まり各機種が協同して実施する攻撃要領などを映画にしたものである。  編隊を組んで進撃中、「敵発見」で指揮官は、一万メートル付近まで近寄り、「トツレ トツレ(突撃準備隊形作れ)」を発令する。中隊から小隊へ、そして単機へと編隊を解散 し「単縦陣」になりながら、敵艦を中心に円を描いた陣形を作る。 陣形が完成する時期を見計らって指揮官は、「トトト(突撃せよ)」を発令する。全機 一斉に敵艦に向きを変えて突撃を開始し、魚雷を発射する。この陣形を「馬蹄形包囲陣」 と呼んでいた。  ところが、この陣形では突撃準備隊形を作るのに時間がかかるので、その間に敵の直衛 戦闘機に各個撃破される恐れがある。だから陣形は迅速に作る必要がある。新しい戦法は、 「敵発見」と同時に距離にかかわらず指揮官は「トツレ トツレ」を発令する。 指揮官機 は敵艦に向かって方向を変え進撃を開始する。 第二中隊はその左側へ各機ごとに決められ た間隔をとりながら横隊に開いて増速して先行する。第三中隊は同じく右側に展開しなが ら増速先行する。第一中隊も当然解散して左右に間隔を開く。そして、左右両翼が指揮官 機よりも前方に出て、敵艦を両翼から包み込む陣形を作る。  頃合いを見計らって指揮官は、「トトトト」を発令する。全機が一斉に敵艦に向かって 方向を変え、海面すれすれまで高度を下げながら全速力で突撃して魚雷を発射する。この 陣形を「扇形挟撃」又は「鶴翼の陣」と呼んでいた。  この陣形での訓練では、標的艦の前方で参加した全機が低空で一瞬に交差することにな る。天山艦攻が魚雷を発射するのは高度五十メートル以下で速度は二百四十ノット前後で ある。 したがって、距離八百メートルで魚雷を発射すれば、標的艦の上空を通過するまで に僅か七秒間である。この訓練で空中衝突事故を起こして殉職した者も多い。夜間だとな おさらである。  百里原航空隊でも夜間飛行は度々実施された。「薄暮定着」に始まり「夜間定着」「夜 間編隊飛行」と夜間飛行は重視されていた。当時の戦訓から、白昼の強襲は損害が多いの で夜間雷撃が重要視されていたためと思われる。ただし、百里原航空隊では夜間の雷撃訓 練は実施されなかった。恐らく安全を考慮してのことと思われる。
九一式航空魚雷
九一式航空魚雷。 狂乱怒涛の飛沫浴び  海原低く突き込めば   雨霰降る 弾幕も    突撃肉薄 雷撃隊 雷撃隊出動

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