蒼空の果てに

     特殊飛行

 全員が「離着陸単独」を許可されると、次の科目は「基本特殊飛行」である。これは、 初歩的な特殊飛行で、 垂直旋回と宙返り、 それに失速反転をこう呼んでいた。離陸して高 度をとりながら、ペアごとに指定されている訓練空域に向かう。高度が千五百メートルに 達すると、周囲の見張りを厳重に行ってから、早速訓練を始める。  まず最初は垂直旋回である。バンクの角度が四十五度以上の旋回を垂直旋回という。急 激に方向を変えるために必要な操作である。 垂直旋回では、昇降舵と方向舵の効果が逆に なる。左旋回の場合、機首が水平線から下がると右足を踏み、上がっていれば左足を踏む。 操縦桿を引き付ければ急速に旋回する。G(荷重)がかかるので体は操縦席に強く押し付 けられている。操縦席から地上を見下ろすと本当に垂直になって旋回しているような感じ である。  宙返り(ループ)は思ったよりも簡単であった。目標を決めて機首を下げながらエンジ ンを全開にする。九十ノット、百ノット、と加速して百十ノットに達したところで思い切 り操縦桿を引く。遠心力によって体が座席に押し付けられるので、逆さまになっても、体 が機外に飛び出す心配はない。円弧の頂点に達しところで、地平線が逆さまに見えてくる。 ここで、エンジンを絞り、操縦桿を一杯引き付ける。再び地平線が見えたところで、エン ジンを入れて水平飛行に戻す。  次ぎは失速反転(ストーリングロール)である。水平飛行からエンジンを全開して操縦 桿を引き機首をあげる。スピートが六十五ノットに落ち失速寸前になったところで操縦桿 を倒す。 機首がガクーンと横に落ちる。カウリング(エンジンカバー)が地平線を切った ところでエンジンを絞る。百八十度反転したところで、エンジンを入れて機首を引き起こ し、水平飛行か又は上昇に移る。失速して急激に機首が落ちるのを利用して反転する方法 である。二ないし四程度のGがかかる。  これらが一通りできるようになると、次は「応用特殊飛行」に移る。垂直旋回が水平面 の運動に対して、急反転(ハーフロール)は垂直面の運動である。操縦桿を倒しながら後 ろに引く。背面になると同時に旋転を止めて操縦桿を更に引き付けながらエンジンを絞る。 地平線が見えたところでエンジンを入れて水平飛行に移る。宙返り後半の操作と同じであ る。三ないし四程度のGがかかる。  宙返り反転(インメルマンターン)も急反転と同様に垂直面での運動である。宙返りの 頂点でエンジンを絞らず、横転後半の要領で背面から百八十度旋転して水平飛行に移る。 斜め宙返りの頂点付近でこの操作を行う場合を上昇反転と呼ぶ。横転(クイックロール) 緩横転(スローロール)と次々に習得する。これらは進行方向を変えずに飛行機をクルッ ト一旋転させる操作である。  錐揉(スピン)は錐揉み状態からの回復操作の演練が目的である。飛行機は空中でエン ジンが停止したり、操縦操作を誤まると浮力を失い失速する。すると錐揉み状態となって 落下し始める。この時遠心力で体は座席の側面に強く押し付けられる。この状態から水平 飛行に戻す訓練をして置かないとそのまま墜落して一巻の終わりとなる。  錐揉み状態から回復する方法は、まず方向舵を中正(水平錐揉の場合は旋転と反対方向 に踏む)にして操縦桿を一杯前に突き出す。すると旋転が止まり飛行機は真っ逆さまに降 下し始める。そこからは宙返り後半の操作と同じ要領である。操縦桿を一杯に引き付けて 地平線が見えたところでエンジンを入れ水平飛行に移る。  背面飛行は横転の要領で背面になったところで旋転を止める。体は座席バンドに吊るさ れた格好になり、マイナスのGがかかる。操縦桿を押さえていないと急激に機首が下がる。 操縦桿を横に倒し、百八十度旋転して元の姿勢に戻す。また、背面の姿勢から操縦桿を引 きつけエンジンを絞って、宙返り後半の要領で水平飛行に移ることもできる。  これらの特殊飛行は、エンジンの開閉と三舵がどのように効くかを理解させると共に、 飛行機を乗りこなしているという自信と、空中での度胸を付けるのが目的である。また、 空中戦闘の基本となる操作を習得するためのものでもある。特殊飛行では戦闘機出身の、 うちの教員が腕前を発揮する。われわれ練習生には、軽く手足を添えさせて操作の模範を 示す。次に同じ操作を復習させて、上手にできないと言って怒鳴り散らす。  特殊飛行では、常に地平線を意識する必要がある。地平線を見失うと自分の飛行機が、 今どんな姿勢になっているのか分からなくなる恐れがある。特殊飛行中は、連続するあら ゆる飛行機の姿勢に応じた操作が要求される。離陸や着陸のように、常に頭が上にあると は限らない。だから、地上で会得するのが難しくなる。  地上から特殊飛行を実施中の飛行機を見上げながら、今どんな舵の使い方をしたのであ の姿勢になったのか判断するには、自分も飛行機と同じ方向に体を傾けたり、そり返った りする必要がある。上空の飛行機を見上げながら地上でもアクロバットが始まる。

      編隊飛行

 「特殊飛行」と並行して「編隊飛行」も開始される。三機が一組になって訓練を行う。 一番機の左後方に二番機、右後方に三番機が付いて三角形をつくる。半機長といって機体 の長さの半分だけ二、三番機は後ろに下がる。競馬の半馬身と同じ意味である。  また機高差といって二、三番機は一番機より一段高く飛ぶ。二、三番機が前に出過ぎて も接触しないためである。複葉機では一機高差、単葉機では半機高差が基準である。編隊 飛行を下から眺めると機体が重なっているように見える。しかし、機高差があるので安全 は保たれているのである。  最初は単機ごとに離陸して空中で集合する訓練から始める。次は、地上で体形をつくり 編隊を組んだまま離陸する。これを編隊離陸と呼ぶ。 飛行機は空中ではブレーキが効かな い。だから、編隊で決められた位置を保つためには、一瞬の先を見越してエンジンを加減 し、三舵を操作しなければならない。ところが、どうしても操作が遅れがちになり、キチ ンとした編隊が組めない。慣れるまでが大変である。  水平飛行から編隊での旋回要領や上昇それに降下と訓練は進む。旋回は一番機のバンク   に合わせ、内側の機は減速し外側の機は増速して編隊の位置を確保する。編隊を組んでの 特殊飛行は中間練習機教程ではやらない。  この時期になると、練習生同士の「互乗」が始まる。後席にバラストの代わりに練習生 が乗り込む、これを「互乗」と呼ぶ。後席で他人の操縦を直接体験するのは参考にはなる が、その半面、他人の操縦に身を任せるのは怖くてたまらない。教員が後席から怒鳴って いた気持ちが理解できる。
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