蒼空の果てに

     総員罰直

 飛行訓練は、分隊長が地上指揮官となり、 天幕の中央に用意したケンパス張りの折椅子 に腰を下ろす。その左右や後方にバンコを並べ、待機中の練習生が座る。バンコが足りな いので大部分の練習生は直接芝生の上に座る。 飛行訓練は「離着陸同乗」から始められた。分隊長は前面で行われている着陸の状況を 示しながら、 「あれは、パスが高すぎる……」 「あっ、これはパスが低い、やり直しだ!」 「今のは引き起しが遅い、だからジャンプしたんだ!」                「これは、スピードが多すぎる、だからバルーニングして接地できないんだ!」     「いいかー、 貴様らまだ練習生だ、パスが決まらん場合は無理に着陸しょうとせず、早め にやり直しを決断するのも訓練のうちだ!」  などなど、今眼前で行われる着陸を解説しながら失敗の原因などを説明する。指揮所の 横に置かれている「搭乗割」の黒板を見れば、今派手にジャンプして着陸をやり直したの は○○練習生で、同乗教員はだれであるかがすぐに分かる仕組みになっている。  練習生は分隊長の解説を聞きながら、これを参考にして自己研鑚を行うのである。舵の 使い方などについては、 離陸や着陸から特殊飛行に至るまで、予科練時代から何回も学習 して頭に入っている。しかし、教室で習うより実際に飛行機の動きを見ながら解説を聞く 方がはるかに効果的である。  また、自分が乗って操縦感覚を覚えるのも大事だが、他人の失敗を見ながらその原因を 理解しておくことも重要である。飛行作業は午前か午後に半日しか実施しない。 そのうえ、 自分が飛行機に乗って操縦できるのはせいぜい十五分か二十分程度である。地上で他人の 飛ぶのを見ている時間の方がはるかに多いのである。
          離着陸同乗 出発しまーす。
 ここに教員の姿はない。皆受け持ちの練習生に同乗して飛んでいるからである。だから ここでは教員に気を使う必要もなく気分的には楽である。練習生は、飛行作業が終わって からの方が大変である。「列線」を撤収して飛行機の格納が終わると「総員罰直」が待ち 構えている。  飛行作業が終わると格納庫前に整列する。 先ず分隊長から当日の訓練の成果について、 総合的な講評と注意がある。 「飛行場は飛行道を学ぶ道場である。飛行作業は戦場にいる気持ちで真剣にやれ」 「事前の準備を充分にやれ、試運転は他人のを見て自分のものにせよ」 「十を聞いて百を悟れ」 「列線作業はすすんでやれ」 「見張員はもっと大きな声を出せ」 「明日から燃料節約のため、予備機は手で押して列線へ運べ」 「午前の飛行を、午後の地上教育に生かせ」 「本日の飛行作業終わり、解散!」 と指示して、分隊長や分隊士は引きあげて行く。  練習生はこれからが大変である。いよいよ「総員罰直」が始まるのである。理由は何と でも付けられる。並べられる文句は毎回同じである。   「今日の飛行作業はたるんどる! 子供の遊びじゃないんだぞー」 「報告の声が小さい! もっと大きな声は出らんのか!」 「気合が入ってない! 元気がない!」 「列線作業は、もっと真剣にやれ!」 「そんな事で、搭乗員になれるつもりか!」 「気合が抜けてる、この調子だと事故を起こすこと請け合いだ!」 「やる気のない者は、荷物をまとめて家に帰れ!」 (丁稚奉公じゃあるまいし、帰りたくても帰れないのを承知しての嫌みである)  ここでは、操縦桿の操作要領とかエンジンの使い方とか教育的な話はでない。入れ替わ り立ち代わり抽象的な同じ文句を並べるのである。挙げ句の果てが「前に支え」となる。 「前に支え」とは腕立伏せのことである。腕立伏せをしながら、教員の様子をうかがう。 古参の教員は文句を言うだけ言ったらサッサと引きあげる。残っているのは若い下士官か 飛長の助教連中である。  罰直とは、だれかがミスをしたので懲しめるという意味ではない。根性を鍛えるのが目 的のしごきである。だから、理由などは関係ないのである。助教連中は棒を持って見回り ながら、腰を地面に着けて横着している練習生を見つけては、叩いて回る。この時点で、 その日の罰直の成り行きが予想できる。  慣れてきて分かったことだが「課業止め」のラッパが鳴る頃には罰直は終わるのである。 理由は簡単である。教員連中も、早く飯を食いたいし、外出にも遅れたくない。だから、 いつまでも練習生に構ってはおれないのである。  飛行作業が順調に進んで、早く終わるのも良し悪しである。なぜなら、 それだけ罰直の 時間が長くなるからである。正味一時間、「前に支え」をやらされたこともある。汗がだ んだんと目に染みてくる。そして、流れ落ちた汗が、エプロンのコンクリートを濡らす。  飛行作業が長引き時間に余裕がないときは、腕を屈伸させたり、 片足を上げさせるなど、 それ相当に苦痛を伴う動作が追加される。練習生は、 今日の罰直は時間的には早く終わり そうだと、内心喜んでいる。  駆け足で飛行場を一周する罰直もある。隊伍を組んでの速駆けである。ある日のこと、 二組に分けられ、それぞれが逆方向に回わるように指示された。普段は助教連中が自転車 に乗って、 「遅い! 遅い!」「速駆け! 速駆け!」        などと叫びながら追いかけてくる。ところが、今日に限って一人の教員も付いてこない。 時間を予測すると、帰り着く頃がちょうど「課業止め」になる。それなら急ぐことはない、 安心してスピードを緩めた。ところが、思わぬ落とし穴があった。 「遅かった組は、もう一周回ってこい!」 「エエッ!」と思ったがもう後の祭りである。だまされたのだ。半数の練習生を解放する ことで、食卓番その他の作業員を確保できるからである。そんな教員の魂胆を読み切れな かった練習生は哀れである。 遠くが霞んで見える広い飛行場の外周を、飛行服に飛行靴お まけにライフジャケットを着込んだまま走れば汗だくである。やはり、「飛練谷田部は鬼 より怖い」所であった。
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