谷田部空目次へ 総員罰直へ飛行訓練
飛行訓練はまず「離着陸同乗」から開始された。これは飛行場の周辺上空を回りながら、 離陸と着陸を繰り返して練習するのである。まず離陸と着陸ができなければ、次の科目に 進めない。だから飛行機操縦の基本ともいうべき、最も初歩的な飛行訓練である。 飛行機に乗り込むと、 座席バンドを締め、次に伝声管を繋ぐ。 「伝声管を試しまーす、教員聞こえますかー」「よーし、聞こえるー」 教員の返事を確認して、 「こちらも、聞こえまーす」と、答える。 伝声管の接続がわるいと、肝心なときに教員の声を聞き漏らすことになる。九三中練には 風防がないため、 爆音や風圧の影響を直接受けるので聞こえないのである。 次に、 スチック(操縦桿)とフットバー(踏棒)を一杯に動かし、方向舵や昇降舵それ に補助翼の動きを目で確かめる。その際、自分の足の長さに応じて、フットバーの位置を 前後に調整する。操縦席は上下には動くが、自動車のように前後には動かない。だから、 フットバーの位置を動かして踏み具合を調節するのである。自動車で運転席の位置を前後 に動かすのと同じ理屈である。 これが終わってからエンジンの試運転にかかる。搭乗割が一番目の練習生は、エンジン の始動から始める。メインスイッチがオフの位置にあるのを確認し、スロットルレバーを 全開にして、 「スイッチオーフ、あっさーく(圧搾)」 と、地上にいるペアの練習生に指示する。ペアの練習生はプロペラを手で押して回転させ、 シリンダー内に混合ガスを吸い込ませる。次に、 「あっさく止めー、イナーシャー回せー」 と、指示する。 「イナーシャー(慣性起動機)」とは、ハンドルで勢車を回し回転数が上がったところで プロペラシャフトに嵌合させて、エンジンに回転を与え起動する装置である。新型の実用 機では電動で勢車を回す装置が付いていた。 それも自動車のシェルモーターと違いプロペラシャフトを直接回転させるものではない。 手回しに替えてモーターで勢車を回転させる装置である。それでも、電池の消耗が激しく、 二〜三回ミスするとバッテリーがあがるので、手回しと併用できる構造になっていた。 また「スターター」と呼ぶ自動車があった。これはプロペラの高さの前に突き出た回転 軸を持ち、これを飛行機のプロペラに直接嵌合させて、自動車の動力を使って回転させる 装置である。便利であったが、練習生は起動要領も飛行訓練の一環であり、手回しが原則 で故障そのた余程の事情がないと利用できなかった。 イナーシャーのハンドルは、二人がかりで回す。勢車の回転が高速になった時期を見計 らって操縦員は、 「前離れー」 と、叫ぶ。地上にいるペアの練習生は、プロペラ付近に人がいないことを確認して、 「前よーし」 と、復唱する。これを確認して、 「コンタック!」 と、呼称しながら起動索を引っ張る。 勢いよく回転しているイナーシャーの主軸が、エンジンと嵌合されてプロペラが回転し 始める。すかさず、メインスイッチをオンにして、マグネトーのハンドルを素早く回す。 順調にいけば、《プルプルブルーン……》と、エンジンがかかる。駄目な場合は同じ操作 を繰り返さなければならない。寒い朝など、一発でエンジンがかかれば幸運である。 試運転は決められた手順に従って行う。まずエンジンを八百〜九百回転にして、潤滑油 の温度が四十度、シリンダー温度が百五十度になるのを待つ。 これを、暖機運転と呼ぶ。 次に、スロットルレバーの作動に応じてエンジンの回転数が増減するかを確認する。また、 エンジンの回転数に応じて、燃料圧力計や潤滑油圧力計などの計器が正常に作動している かどうかをチェックする。 飛行機のエンジンは、一つのシリンダーに前後二個の点火栓が装着され、二系統の電流 が流れる装置になっている。片方の点火系統が故障しても飛べる仕組みである。千二百回 転で、これを片方ずつに切り替えて、落差と呼ぶ回転数の変動具合をみる。これで、点火 系統の良否を確認するのである。 次に、微速回転を四百五十回転に調整する。微速回転が高過ぎると、スロットルレバー を一杯絞っても余力が残り、飛行機の行き足が止まらずに苦労する。低過ぎるとエンスト の原因になる。 「試運転終わーり、出発しまーす」 と、 後席の教員に報告して、エンジンを一杯絞り左手を上げて左右に振る。この合図を見 て整備員はチョークを外す。いよいよ出発である。静かーにエンジンをふかして「列線」 を離れ地上滑走に移る。 離陸発進の位置につくと、ブレーキを踏んで、もう一度エンジンをふかして調子の良否 を確かめる。次に、離陸目標を決めて左右後方を見廻し、付近にいる他の飛行機の状況や 障害物の有無を確認する。 「見張りよーし、離陸しまーす」 と、教員に報告し、スロットルレバーを徐々に押し出し全開にする。ぐんぐんとスピード が増してくる。操縦桿を押さえ、尾輪が浮き上がるのを待つ。六十ノットを越え、浮力が ついたところを見計らって、操縦桿の押さえを緩める。 スーッと機体が浮く、速力六十五ノットを確認してから上昇操作に移る。直進しながら、 ここでスロットルレバーを七分目程度まで絞る。全力運転をするのは離陸の時だけである。 離陸後は上昇しながら約千五百メートル直進する。ここから、上昇旋回しながら九十度変 針する。これを、第一旋回と呼ぶ。高度は百七十メートル前後である。高度二百五十メー トルに達したところで水平飛行に移る。再び九十度旋回して、離陸した方向と反対方向に 向きを変える。第二旋回である。 このコースを飛びながら指揮所を注視する。指揮所前には、白い布板を丁字型に置いて 離着陸の方向を示している。これを確認するとともに、飛行場内のある一点に、自分の接 地する場所を想定して接地までのコースを頭の中に組み立てる。 次が第三旋回である。ここでは九十度よりやや多目に旋回するのがコツである。そして、 その位置の適否が以後の着陸操作に直接影響する。想定した接地地点に近すぎると急激な 降下を必要とする。遠過ぎるとエンジンを使って引っ張り込むことになり、スピードが残 こるため接地の際にジャンプする恐れがある。 第三旋回が終わると、降下操作に移る。操縦桿を押さえ機首をさげながら、スロットル レバーを徐々に絞る。タブ(修正舵)をアップ一杯に巻き上げる。第四旋回は早めに大き くゆっくりと回る。想定した接地地点からの距離は約千メートル、高度は百三十メートル 前後まで降下している。 第四旋回終了までに速力を六十五ノットに減速する。次に、接地想定地点を目標にして 機首角度をアップ二度に保ちながら、スピードを五十七ノットまで減速しながら降下する。 これをグライドパスまたは単にパスと呼ぶ。パスの最終段階、眼高が五メートルに達した 時点でエンジンを絞り、操縦桿を一杯引いて機首を起こせば、トーンと軽く接地する。 この長方形のコースは「誘導コース」と呼ばれ、飛行機が離着陸する場合の基本となる コースである。着陸後はそのまま直進しながら再びエンジンを入れて離陸する。この練習 を二、三回繰り返して列線に帰る。これで一回の「離着陸同乗」訓練が終わる。飛行時間 は十五分から二十分程度である。 海軍の飛行機は航空母艦の狭い飛行甲板に着艦して行動するのが主な任務である。その ため、日ごろから将来飛行甲板に着艦することを想定した着陸を行う。だから着陸した後、 最も短かい滑走距離で停止する着陸要領が要求される。
航空母艦 翔鶴。
この着陸要領のポイントは、スピードを除々に落としながら降下し、眼高が五メートル に達した時点でエンジンをカットして機首を引き起こす。すると失速状態となって、前車 輪と尾輪が同時に接地する。これで着陸後の滑走距離を最も短く押さえることができる。 これを、海軍式三点着陸と呼んでいた。 この三点着陸を上手に実施するには、第四旋回終了後のパスの安定が必須の条件である。 高度三十メートルに降下するまでに機首角度やスピードを安定させることができなければ、 着陸のやり直しを決断する。エンジンを全開して上昇操作に移り、再び「誘導コース」を 回る。この「誘導コース」も一定の形のものではない。風向や風速それに飛行場の状態、 特に接地の想定位置によって、旋回位置や高度などが微妙に変化する。 また飛行訓練中に、風向きが変わることがある。飛行機の離着陸は、必ず風に正対して 実施される。熟練すればある程度の横風にも対応できる。 しかし、訓練中の新前の練習生 に横風着陸は無理である。だから、指揮官は常に「吹流し」に注意し、風向の変化に応じ て離着陸の方向を変更する。まず指揮所前で白色の発煙筒を焚いて、風向に変化があった ことを訓練中の飛行機に知らせる。
飛行作業に吹流しは欠かせない。
次に、丁字型布板を風向に合わせて置き直し、新しい離着陸の方向を示す。訓練中の飛 行機は、発煙筒の煙の流れと丁字型布板を見て、新しく設定された「誘導コース」を確認 する。他の飛行機の動きに注意しながら、一旦「誘導コース」の外に出て、新しい「誘導 コース」の第一から第三旋回点までの間でコースに入る。 また赤色の発煙筒を焚くことがある。これは、《飛行訓練中止、直ちに全機着陸せよ》 の合図である。強風など天候の悪化が予想される場合などに使用される。 飛行機の操縦要領は、文章で書けば至って簡単である。ところが、この簡単なことが思 いどおりにできない。まず離陸である。目標を決めてエンジンを全開する。スピードが増 すにしたがって、機首が左へ左へと回される。これは、プロペラが右回転のため、その後 流が方向舵に影響を与えるからである。方向舵を右へ踏んで早め早めに修正する。離陸後 も常に目標を決めて蛇行しないように注意する。 次に旋回である。バンク(傾斜)と方向舵の使い方が釣り合わないと、飛行機は横滑り する。バンクが大き過ぎると旋回の内側に滑り、小さ過ぎると外側に滑る。旋回計の球が 中心を動かないような旋回ができるようになれば、もう一人前である。 第三、第四旋回の位置を判断するのも難しい。広い飛行場のある一点に自分の接地する 場所を想定する。そこから千メートル離れた所が第四旋回の終了地点となるように飛行機 を持って行かなければならない。旋回位置は、あらかじめ地上に目標を決めておくわけに はいかない。それは風向によって「誘導コース」の方向が常に変わるからである。また、 風の強弱によっても距離や高度など微妙に変わってくる。 グライドパスにおける機首角度とスピードの保持は最も難しい。早め早めの修正が要求 される。眼高五メートルは一瞬に判断して操作しなければならない。高すぎると失速して 落下着陸となり、低すぎればスピードが残り、ジャンプする。風の強弱も無視できない要 素である。 離着陸の要領は予科練時代から教育を受けて、あらゆる状況に対応する操作方法は理屈 としては理解している。だが、飛行機は思いどおりに飛んでくれないから苦労する。教官 や教員にしても初めから上手に操縦できたとは思われない。それなのに、われわれが下手 だと言って叱責し、罵倒し、そのうえ最後には罰直となる。練習生は歯を食い縛って堪え る以外にない。これが、飛行術練習生の宿命であった。
[AOZORANOHATENI]